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高校国語は虚学化?第2スレ

1 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/04/13 23:34 ID:ZwbE3es8
前スレ83の問題提起より。
(たとえば、理系でtopクラスの人間から「国語不要論」が出ることに触れて…
 そういう人間を「国語がわかってないヴァカ」と切って捨てるのではなく、
 彼らは歴然と「国語的にはオチコボレ」なのだ、と認めた上で、それでもなおかつ)

 1.なぜ日本の国語教育は、これほど大量に落ちこぼれが出るのか?
 2.それはこのままでいいのか?
 3.改善するなら、どういう方法が考えられるか?

 1.に関しては、デュルケームの言う、学校の選別機能という観点で考えていきたい。
 2.は、ぜひ改変したいが、そうではないと言う意見も聞きたい。
 3.は切実だな。ここだけ読めば、高校生にも役立つものになるといいんだが。

 念のためだが、このスレを御覧の皆さんに参考文献だ。
 清水 義範 『はじめてわかる国語』
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062116073/249-2508732-3429905

 大したことは書いてないが、共通認識作りにはなるだろう。
 読むのは1章と2章、そしてあとがきだけで十分だ。残りはトリビアに過ぎない。 (以上、前スレ83の言葉から抄出)

…おまえらの国語教育は「虚学」なんじゃネーノ?だってさ。
悔しくないの?

…というわけで、語れヤ、国語教師ども!

2 :No3:04/04/13 23:35 ID:ZwbE3es8
追加

前スレ
「高校国語は完全に虚学化してしまっている
http://school2.2ch.net/test/read.cgi/edu/1045796847/

まったりとsage進行推奨。長文はなるべく控えましょう(主に自戒)。

3 :No3:04/04/13 23:38 ID:ZwbE3es8
そして、前スレにレス

>前スレ585
1)教科書または資料集がDVDまたはその他の媒体にならないと断言できる?
2)そうなったとしたら、そのときいつまでも「文学テクスト」ばかりが「国語」の対象であり続ける?
3)それとも、それはもう「国語」とは違う教科ですよ、僕らはもうそんなもの対象にできませんよ、って言う?

そもそも、「国語は技能教科である」というのがよくわかんないんですけど(文学畑出身者なもので)
それはどういうニュアンスの言葉なんでしょうか?オレは国語という教科が、思考そのものの=人間
そのものの育成までを担う教科だと思っているので、「技能教科」と限定されることに激しく違和感を覚えるんですが。

昔、さる映画を見ていたら、フランスの中学生が宿題で推理小説の構造分析を普通にやらされていて
ぶっ飛んだよ。今頃、彼らは夏休みの宿題で、ジャパニメーションの解析と日本文化論でも仕上げている
かもしれないね。

いずれにせよ、おいらの話は単に

  アニメもマンガもはやってきたよ→国語にもはいってくんじゃねーの〜♪

なんて馬鹿話じゃなくて、あくまで

  テクノロジーの進化が、この先国語をどう変えるか?

という大前提でしゃべってるわけで、そこんところをお二人ともすかーっっととばしてるけど、
そこをすっ飛ばされちゃー、浮かばれませんよ。

暴論かね? じゃあ、今の国語教師に足りないのはきっと「暴論」なんだよ、と。

4 :実習生さん:04/04/16 08:33 ID:jUEwN/se
私は国語教育とは関わりのない素人だ。だから、取るに足りない意見であろうが、聞いてほ
しい。

 日本語を母語とするものにとっては、確かに日本語は大切なものだ。我々は日本語で考え、
意思疎通をはかるのだから。この事実は動かせない。
 ところで、今言った「日本語」と高校で学ぶ「国語」とは等置できるものかというと、た
ぶん違う。
 我々が単に生きるためだけならば、必要な日本語は限られるし、我々はそれを既に身に着
けている(と、自分では思っている)。ここでいうのは、隣近所の人に挨拶できる、道案内を
見て目的地に行ける、必要な届出や手続きが(人に聞きながらでも)自分でできる、手紙のや
りとりが普通にできる、酒席で馬鹿話ができる、友達や家族と愚痴をこぼしあうことができ
る、といった程度のことだ。これを「生活人レベル」と、とりあえず呼んでおく。
 しかし、大学に行ってより良い職業に就こうと思うなら、より高度な日本語力が必要にな
る。専門書や専門誌を読みこなすことができる、的確なレポートが書ける、人を感心させる
ような(あるいは少なくとも馬鹿だと思われない程度の)論文や企画書が書ける、討論をして
遺恨を残すことなく勝つことができる、スピーチをして人を退屈させずに趣旨を伝えること
ができるといったようなことだ。われわれが社会に出て苦労するのは、この水準での日本語
である。これを「職業人レベル」と呼ぶことにする。(続く)

5 :実習生さん:04/04/16 08:43 ID:jUEwN/se
 残りの部分は、我々素人が、その存在は知っていても把握はしていない領域である。広い
意味での「文学」がそれに含まれる。俳句の十や二十は素人でも知っていようが、その良否
はわからない。子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句と、自分の作った「饅頭の
十四五個も喰うたかな」とどれほどの差があるのかは判じ難い。短歌もいくつか知っていて
も、その知識は使い道がない。正月に百人一首の歌留多取りをするような酔狂な知り合いは
職場にも、親戚にもいない。平家物語の冒頭は今でも覚えているが、意味としては「所詮、
世の中は儚いもの」らしいということしか覚えていない。漢文は昔は得意だったとしても、
今となっては三国志のゲームをやり込んだ経験のある若手社員に及びもつかぬ。若い生意気
盛りに文学作品を読んだ思い出はあるが、そして、その中のひとつは今なお、当時の感動を
生々しく思い出せるほどだったりするが、かといってそのころ読んだ志賀直哉や森鴎外には
何とも索漠とした印象しか残っていない。そういう素人にとって「文学」というのはなんだ
か難しいものという記憶しかない。だから、極めて漠然と「文学」と言っておくほかないレ
ベルの日本語がある、らしい。これを「趣味人レベル」と呼ぶことにする。
 こういう分類が国語の専門家から見て妥当であるかどうかは知らない。しかし、素人の実
感には即しているだろうと思う。そういう素人の目から見て上記の「職業人レベル」までの
日本語が駆使できれば立派に「国語力がある」ということになる。「趣味人レベル」の国語
は好きな人がやっておれば良いと私などは思ってしまう。

No.3 氏は前スレ>>83 のところまでさかのぼりたいように見受けられるが、私は前スレの>>1
まで戻りたい。
>>585 氏の言う「国語は技能教科である」という言葉は、上に私が書いたことと重なる部分
があるかもしれない。ぴったりと、ではないだろうけれども。


6 :No3:04/04/17 09:24 ID:q7jVGa5H
>4-5氏 の意見を受けて、とりあえず前スレ(いつdat落ちするかわかんないし)
     の>>1を再掲しておく。

>>1 名前:実習生さん 投稿日:03/02/21 12:07 ID:PdJCqwc3
>高校国語において教材として取り上げられている物(純文学・古文・漢文など)は、象牙の塔の学者が好む時代遅れの娯楽であり、現代人の趣向に沿うものではありえない。
>いくら一生懸命勉強したって受験が終われば一生使わない知識しか身につかないのである。
>こんなものはさっさと廃止して余った時間を英語や情報処理教育・投資教育などに充てるべきだ。

なるほど前スレの>>1と4-5氏は、その「煽り/丁寧」「感情/論理」という対立点が
あるが、その根底に流れる部分で通じるものがある。

それは、
   前スレ1「高校国語は…受験が終われば一生使わない知識」
   4-5氏「(我々がその必要性を実感する)『日本語』と高校で学ぶ『国語』とは等置(?)できるものかというと、たぶん違う。」

という部分だ。「等置」という言葉のニュアンスを私が誤解していたら申し訳ないのだが(専門用語?)、
とりあえず「等しいものと置く(仮定する、措定する)」という意味だと解しておくと、両者は取りあえず

つまり両者は、「日常使う『言葉』の世界と、高校で習う『国語』の不連続性」をその批判の根底に
置いている点で一致していることが分かる。

しかし、この点に対しては非常にシンプルな反論が可能だ。

7 :No3:04/04/17 09:38 ID:g8aFlcU+
(…上のカキコミ、途中で一部言葉が重複している。申し訳ない(恥))

4-5氏に次のような質問をしたい。

「あくまで自分の経験だけの話だし、そのレベルで答えて貰ってかまわない
 のだが、たとえばあなたのいう「日常〜職業人の日本語」はとてもよくできるが
 高校の国語はまったく駄目だった…という人間は、あなたの身近にいたのだろうか?
 あるいはその逆で、高校の国語はずば抜けてできるが、日常的なコミュニケーション
 (会話、文章、読書力等)はむしろ人より劣る、などどいう人間がいただろうか?
 少なくとも、私の周りにはそういう人間はいなかったが、どうか?」

たとえば、「数学的センス」とか「数学的なものの考え方」が、「受験数学」で直接問わ
れるかというと、そんなことはない。せいぜいセンター試験レベルの数学なら、別に
そんな特別な「数学的センス」などなくても、反復練習の積み重ねで人並みの点数は
とれるだろう。

では「数学的センス」を育てることは「高校の数学」の授業では全く無意味なこと
なのか?数学の時間は反復練習だけに力を注げばいいのか?それが一番
「役に立つ」授業だと言えるのだろうか?…と高校教師に言えば、たいていの
数学の高校教師は「そうではない」と言うだろう。

彼らはおおむね他人よりも「数学的センス」を持ち、そして大学でより高度な数学を
学んだ上で高校で数学を教えている。その立場から、たとえ、一見受験数学のための
反復トレーニングにしか見えない授業にも、彼らは生徒の「数学的センス」を育てること
を心がけている。

(なんで数学の話をしたか、というと4-5氏に理系の香りを感じたからだ。
 話がわけわかんねぇ…と思われるなら、上の質問のみ読んで、レスの後半はすっ飛ば
 されてもかまわない。)

8 :No3:04/04/17 11:11 ID:QlWZDJ57
(続き)
数学にも、非常に「数学的思考力」を問われる問題がある。
単なる計算の積み重ねでなく、図形と証明の問題や常識と確率に関わる問題
こういう問題をとくには、「ひらめき」みたいなものが必要になる。

しかし、その「ひらめき」と、積み重ねたトレーニングは無関係なのか?というと
…多分そうではないだろう。そして、本当に高度な数学の力を身につけるため
には、その両方が必要だ、ということは、多分了解されるのではなかろうか。

で、話を国語に戻す。
実はすでに前スレの102-103辺りで、この話には触れかけていた。

それは、『国語の公教育と日常のことばの世界が不連続に「見える」のは、実は
両者をつなぐために必須な『絶対的なトレーニング量』が不足しているからだ』という話だ。

高校の国語で扱うのは、これまでの単なる小中生ムケにかかれた「お話」や
「お気楽エッセー」ではなく、国語の世界における過去の最高水準の一端であり、
知の最先端に触れるような内容を含む現場の研究者の論文の一部であったりする。
数学で言えば、まさに「数学的センス」を必須とするような最先端の証明問題の
一部を学ぶようなものだろう。そのためには、やはり「国語的センス」が必要なのであり、
小中の授業でそれを一定のレベルにまで育て、かつ基礎的トレーニングを普段積んでいれば
高校の国語は国語的センスを磨き上げる授業になるはずだ。

9 :No3:04/04/17 11:13 ID:QlWZDJ57
「そんなことが『高校生』に可能なのか?」と言われれば、それができていた時代もあった、と
答えよう。生徒が全員、日々新聞をなめるように読み、休みには自分のシュミのジャンルでかまわない
から読書をし、思索にふけり、日記を書き、人と議論をし……という基礎的トレーニングを積んだ上で、
授業で森鴎外を読み志賀直哉を読んだならば、その文章水準や技術や内容の高さに圧倒される…
それは素晴らしい体験になることだろう。

しかし、もはやそんなことが可能な時代は過ぎ去った。その点においては、現在の国語教育がほとんど
「一般人」にとって、「虚学」にしか「見えない」という点については同意する。しかし、それらは「趣味人」を育てる
ためにやっているわけではない。高校国語が文学を特に取り上げる理由は、文学の世界に国語的に優れた標本
が数多くあるからなのであって、けっして生徒を小説家にしようとしているわけでもなければ、単に物語を
読んでおもしろがらせようとしているわけでもないんだ、ということを理解してもらえると嬉しい。

…上で述べたほど「シンプル」な反論にならなかったことは申し訳ない。
もう少しシンプルに言い換えよう。

 「要するに、それをやる意味、っつーのは有るのだ」

ってことだ。



10 :実習生さん:04/04/18 16:35 ID:xrsq9bRw
ところで、自分にはムズいことはよくわかんないけど、ブンガクや古典に託して人
生論を語るのが、日本の国語教育の主流なのですか? 

最近流行ってる斎藤孝も結局はそこでしょ? やたら感動とか言うし。ま、生徒の理解力にもハ
バはあるし、落としどころとして人生論がいちばんわかりやすいのだろうけどね。

もちろん、思想や文学にそうした効果があるのは事実かもしれないが、ヴァカも碩学も、右も左も、
日本的教養論や学術が人格修養の呪縛から逃れ得ず、現代文の「解答」もそうした観
点から作成されるのはなぜなのだろうね。

11 :No3:04/04/18 17:10 ID:CUj1JABN
>10
>ところで、自分にはムズいことはよくわかんないけど、ブンガクや古典に託して人
>生論を語るのが、日本の国語教育の主流なのですか? 

そう勘違いしてる国語教師は多いと思う。正直、ひどい問題。

>最近流行ってる斎藤孝も結局はそこでしょ?

それは全然違う。彼はむしろそういう授業を批判してる側。
国語の授業は「理解」でなく「体得」させることが目標だ、と考えてる。
そして、「感動」は授業の目的ではなくてその(体得させるための)手段と考えてる、
と考えるとわかりやすい。

>現代文の「解答」もそうした観点から作成されるのはなぜなのだろうね。

なぜなのだろうね、って口調で、あなたの中にすでに「答え」があるのだろうと思うが…。
国語の「(やや薄っぺらい)人生論っぽさ」が嫌いなのはよく分かるが、とりあえず、

  1)現行の国語教育に変わる有効な「国語教育」があり得ると考えるのか、
    それとも「有効な方法など無いから、国語の教育などするだけムダ」という立場なのか。

  2)前者なら「どういう国語教育」が良いと考えるのか、
   そしてそれは本当に「現行の国語教育」よりも優れた(コスト、といった点まで含めて)方法なのか。

  3)後者ならたとえば高校で「国語教育」をしない結果として、どのようなことが起こり、
   また起こらないと考えているのか。

…くらいは答えてくれると嬉しい。
それと一言だけ付け加えて言うと「テストだけが教育の目標ではない。」ですよ。

12 :四五:04/04/22 10:07 ID:H/QCUjzM
>>6 >>7 >>8 >>9
私は >>4 >>5 のレスを書いた者だ。お尋ねに答えておきたい。

> 「日常〜職業人の日本語」はとてもよくできるが、高校の国語はまったく駄目だった…と
> いう人間は、あなたの身近にいたのだろうか?

 いる。というより職業上必要な日本語を使いこなせなければ、その仕事はやっていけない
であろう。例えば、やくざでさえ喧嘩を引き起こしたり警察に捕まったりしないように慎重
な物言いで要求を伝えることができるし、縁組などの席では改まった言葉づかいができる。
それが彼らに必要な日本語だ。彼らは新聞に投書するほどの文章力もないかもしれないが、
それは彼らには必要のない力である。普通の会社員でも、ある程度の経験を経ればペーパー
ワークをこなす程度の日本語力はある。彼らの中には司馬遼太郎を愛読するサラリーマンは
たくさんいて、あるいは彼らは、正岡子規を読むようになるかも知れないが、それは高校国
語とは無関係であろう。私はこうした人々は国語力があると考える。
 そういえば、前スレの >>57 で言及された萩谷昌巳は「ノーベル賞を取るかも知れん天才」
らしいから、私はこの人についてもある程度の国語力があると判断する。ひどい国語力しか
なければ他の学者に評価はされないだろう。

(つづく)


13 :四五:04/04/22 10:08 ID:H/QCUjzM
> あるいはその逆で、高校の国語はずば抜けてできるが、日常的なコミュニケーション(会
> 話、文章、読書力等)はむしろ人より劣る、などどいう人間がいただろうか?

 これもまたいる。一人は娘とうまくいかなくなった国語教師である。娘がライトノベルを
読んで泣いているのをみて、小馬鹿にしたために(「いつまでも、そんなもん読んでないで
『伊豆の踊子』でも読め」といったらしい)、口をきいてもらえなくなった。女の涙を馬鹿
にしたら、あとあと祟るということは知っていて然るべきだと思う。もう一人は、高校時代
に読書感想文コンクールで賞を取ったほどの人間であるが、バブル末期に騙されて使いよう
のない土地を買わされてしまい、ローンが払い切れずに失踪した。あの時期、その手の詐欺
事件は散々あったし、政府の規制が入って地価が下落するだろうという予想は経済誌などで
行われていた。彼は土地を買うのに経済情勢を確認するほどの知恵もなかった。新聞を読む
だけの「読書力」はなかったようだ。

(つづく)


14 :四五:04/04/22 10:10 ID:H/QCUjzM
>>7
> 彼らはおおむね他人よりも「数学的センス」を持ち、そして大学でより高度な数学を
> 学んだ上で高校で数学を教えている。その立場から、たとえ、一見受験数学のための
> 反復トレーニングにしか見えない授業にも、彼らは生徒の「数学的センス」を育てること
> を心がけている。

 「数学的センス」というのは曖昧な言葉だ。だから、No3氏が何を論証しようとしてい
るのかは今ひとつ了解できない。とりあえず、こんな具合に考えてみる。
(1) 教科書を理解し計算問題程度ならできる力
  高校を卒業した後、専門学校に行って何か技能を修得することが目標である生徒にとっ
  ては、この程度で足りるし、先に行ってもっと高度な数学を習得する必要が出てきても
  何とかついていける程度の力はある。
(2) 学校の定期試験で良い点が取れる程度の力
  たいていの学校では傍用問題集が指定されており、定期試験はその中の問題から出る。
  この場合、必要なのは用意されている解答を論理に従って理解し記憶する能力である。
  一般的な文系の大学であれば、このくらいで通用する。
(3) 見たことのないタイプの入試問題に対して何とか対処できる程度の力
  高校数学の単元にとらわれず、知っているすべての知識を利用して何とか解決に至る方
  策を見つけ出すことが必要になる。傍用問題集の発展問題クラスの問題について別解ま
  で含めて理解し記憶しなければならない。必要なのは難問を時間をかけて一人で解くこ
  とだ。東大であれ京大であれ、このくらいで通る。

(なお、つづく)



15 :四五:04/04/22 10:12 ID:H/QCUjzM
(4) 学校で教えられる数学のどこかのポイントで違和感を感じる能力
  例えば、小数の計算に躓く子供は、この能力を持っている。5÷2=2.5 であることは
  図を描けば、たいていの子供が理解する。0.8÷4=0.2 であることもわかる。けれども、
  6÷1.5=4 であることが理解できない子がいる。やり方がわからないのではない。ただ
  言いようのない違和感を感じるのである。そして、その違和感は正しい。ここには密か
  に割合の観念が入り込んでいるのであり、小学五年生はまだそれを習っていないからだ。
  教師は、この違和感を持つように指導することはできない。
(5) (4)を前提とした上で、それを一段上の立場から統合して理解する能力
  (4) で言ったのは、同じように見える複数の事柄の違いを感知する力だとすると、これ
  は、それらの違いを超えて共通する部分を発見する能力である。先の例で言えば、割り
  算を割合という観点から統合するのである。この段階に至って初めて割り算とは何事で
  あるかが単なる理解ではなく腑に落ちる。何より大切なことは「抽象する」という行為
  が体験的に理解できるということだ。
(6) 論理の「かたち」を見抜く力
  論理をたどって一つ一つ結論に迫っていく能力を、列車に乗って一駅ずつ進んで行くこ
  とに例えるなら、これはその線路を上空から見下ろしつつ、その行く末を見定める能力
  である。入試問題を解くに当たって方針を立てる能力もその一つであるが、新しい構想
  でもって科学の一分野を打ち立てる能力もそれに当たる。

 学校の教師は(1)〜(3)については教えることはできるが、(4)〜(6)は教えることができな
い。 (4)については、それが能力だとすら考えていないだろうし、(6) の力を生徒が身につ
けることを願ってはいるだろうが、事実上は(1)〜(3)に当たることを、生徒に合わせて教え
ているだけだ。

(まだ、終わらない)



16 :四五:04/04/22 10:14 ID:H/QCUjzM
 No3氏のいう「数学的センス」は上記のいずれに当たるであろうか。そして、それを支
える反復トレーニングとは何を指すのだろうか。
 さらにそれを国語になぞらえるとして、「数学的センス」に当たるものは何か。反復トレ
ーニングに当たるのは何か。これらのことが私には了解できない。
 強引にこの比喩を押し通すのなら、例えばの話、先の分類で(1)は漢字や言葉の学習、(2)
は文法と文章の組み立て方、(3)が作文・小論文の練習に当たると考えることだってできる。
だとすれば、 前スレの 1 の望むように「純文学・古文・漢文など」をやらない方向で国語
科のカリキュラムを構成することだってできよう。No3氏は絶対に同意なさるまい。しか
しながら、数学科との比較からは氏の望む結論は導き出せないのだ。

 ところで、私は理系ではない。

 さてと、今度は次の部分を取り上げよう。

(とりとめなく続く)



17 :四五:04/04/22 10:16 ID:H/QCUjzM
>>8
> 高校の国語で扱うのは、これまでの単なる小中生ムケにかかれた「お話」や
> 「お気楽エッセー」ではなく、国語の世界における過去の最高水準の一端であり、
> 知の最先端に触れるような内容を含む現場の研究者の論文の一部であったりする。
> 数学で言えば、まさに「数学的センス」を必須とするような最先端の証明問題の
> 一部を学ぶようなものだろう。そのためには、やはり「国語的センス」が必要なのであり、
> 小中の授業でそれを一定のレベルにまで育て、かつ基礎的トレーニングを普段積んでいれば
> 高校の国語は国語的センスを磨き上げる授業になるはずだ。

 これは何とも面妖な文章であると思う。ちょっと要約してみると

「高校の国語で扱うのは、国語の世界における過去の最高水準の一端であり、それを学ぶ
には、「国語的センス」が必要なのであり、基礎的トレーニングを普段積んでいれば、高
校の国語は国語的センスを磨き上げる授業になるはずだ。」

 私、国語力がないんでしょうか。私には、「高校国語は難しいことをやるんだから、セ
ンスが必要で、国語をやってればセンスが身につくの!」と読める。国語をやる根拠とし
ては、ちょっと薄弱ではないか?

(我ながら、いつ終わるんだと思いつつ、続くっ)



18 :四五:04/04/22 10:18 ID:H/QCUjzM
>>9
次はこの部分。

> (1) 「そんなことが『高校生』に可能なのか?」と言われれば、それができていた時代もあ
> った、と答えよう。

> (2) 生徒が全員、日々新聞をなめるように読み、休みには自分のシュミのジャンルでかま
> わないから読書をし、思索にふけり、日記を書き、人と議論をし……という基礎的トレー
> ニングを積んだ上で、授業で森鴎外を読み志賀直哉を読んだならば、その文章水準や技術
> や内容の高さに圧倒される… それは素晴らしい体験になることだろう。

 No3氏は、この二文を一続きに書いておられる。かつては (2)のような状態が実現でき
ていたと一瞬読んだのだが、それで正しいだろうか。私は齢不惑を越えているが「生徒が全
員」、 (2)のような条件を満たしていた時代など知らない。もっと前の全共闘の世代だろう
か。あるいはさらに前の六十年安保の世代か、アプレの世代か、旧制高校にまで遡るのか。
そこまで行けば、あるいは生徒が全員、読書・思索・日記・議論をしていたかも知れぬ。が、
その時代の高校生が今日の高校生とは比較にならないエリートだったことはご存知のはずで
はないか。
 あるいは(1)のみが、昔の高校生について語る文であり、(2)は未だ達成されざるユートピ
アのごときものを語った文なのだろうか。だとすれば、それを一続きに書くのは故意に誤読
を誘うトリックとも見えるがどうか。

(返事終わり、で、次、本題)


19 :四五:04/04/22 10:19 ID:H/QCUjzM
 ここまで、書いといてなんだが、実は私は国語の価値を否定したいのではない。そうで
あれば前スレを読み込んだりはしない。実際、有益なレスもいくつかあった。だから、私
も二ヶ月ほど前から、結構熱心に読んだりもしたのだ。
 けれども前スレにおいて、「純文学・古文・漢文など」を高校生全員がやるべき理由に
ついては殆どなかったと考える。代わりにあったのは、無駄な煽りと侮辱である。前スレ
が dat落ちした現在、前後の文脈抜きに引用されるのは不本意であろうが、一つだけ挙げ
る。

> 37 実習生さん age 03/02/23 23:54 ID:ma05UT5E
> >>1
> 激しく同意!
> 理系に限っていえば古文漢文は高1のみで十分!
> そんなんやるひまがあったら理科4教科やったほうがまし!

> 38 _ sage 03/02/24 23:40 ID:lGEFeSNG
> >37 理系に限って言っても、高2程度の古文漢文で授業についていけなく
> なるレベルのヤシが、理系4教科やるなど無駄。
> なぜなら、間違っても国立TOPクラスには受からないから、やるだけ無駄(w

(終わらんなあ)


20 :四五:04/04/22 10:20 ID:H/QCUjzM
 私は、38のレスを読んだときに、それは違うだろうと思った。今日問題となっているの
は、理系の人間にごくごく基礎的な知識が欠けていることである。特に高校時代に物理を
履修したことのない理系の学生すらいるらしいと聞くと暗澹たる気持ちになる。物理なし
に、数学の微分積分やベクトルの意味が理解できたはずがないからだ。また、生物を習っ
ていない医学部生というのも大問題だろう。また、化学系統の学生が生物の知識がない場
合、自分の扱っている物質の危険性に考えが及ばず、環境問題を引き起こすことすら考え
られる。従って、私は理系の人間が理科4教科が必要だというのは当たり前であるし、37
のような意見は頼もしいと思う。そのために源氏物語や長恨歌が犠牲になるのは仕方がな
いと考える。「理系4教科やるなど無駄」とは間違っても言えない。
 それを、38(これはNo3氏だと考えられる)は「なぜなら、間違っても国立TOPクラ
スには受からないから、やるだけ無駄(w 」 などと煽るのであるが、それは余りに無神
経ではないか。理系学生が、大学で自分の専門分野の習得に困難を感じる危険を冒してま
で、漢文や古文を学んで陶冶しなければならない人格とは何であるか、それを国語教師は
語るべきではないのか。それは、なるほど困難なことであろうし、言語化しにくい部分も
あるだろう。しかし、「馬鹿は放置」「 1は馬鹿だね、って事実を言っただけ」「単なる
煽りとシビアな煽りの区別も付かないんなら、すっこんどけ。」という類の発言で済ます
のは、古文漢文を学んで陶冶されたはずの「人格」を疑わせるのに充分であろう。

(次で終わるはず)


21 :四五:04/04/22 10:27 ID:7xNj6fmm
 私は >>4-5 で素人の国語の見方に関して一つのモデルを考えてみた。単純に言うと次の
ようなものだ。

 (1) 生活人レベル 成長の過程で自然に習得する言葉。このレベルでは人は自分が日本
   語ができないのではないかと疑うことは「できない」。人の日本語能力を疑うこと
   はできる。
 (2) 職業人レベル 自分の仕事をこなすために、苦労の末に身につける言葉。ウェイト
   レスの注文のとり方や、それぞれの職業のジャーゴン・隠語を学ぶことから、企画
   書・報告書や論文の書き方までを含む。
 (3) 趣味人レベル (1)、(2)に収まらない広大な領域。特に古典を含む文学一般。

 高校国語は明らかに (3)に多くの時間を割いている。けれども、素人が社会に出て痛感
する国語力の有る無しとは(1)、(2)に関わるものだ。ここで、誰かが (3)の能力の不足を
衝いたつもりで「お前には国語力がない」といういえば、それは(1)、(2)をも否定したよ
うに感じられてしまう。そのことが感情的な反発を呼ぶということは、いい加減知ってお
いたほうが良くはないか。

No3氏に倣ってシンプルにまとめるなら、「馬鹿、馬鹿いうな」ということだ。

(嘘つきました。まだ終わりません。次こそ終わり)


22 :四五:04/04/22 10:28 ID:7xNj6fmm
 先に私は一般人の国語観を三つのレベルに分けて書いたが、「普通の人は生活人レベル、
職業人レベルの国語だけやってたらいいのだ、趣味人レベルの文学なんか高校でやる必要
はないのだ」という結論が導けるわけではないということは指摘しておく。上記の三分類
はそれぞれの人間の日本語力の実際の成り立ちを説明するものではない。生活人や職業人
としての日本語を文学体験が充実させるということだってあるだろうし、ある程度の水準
の書物を読む限り、古文漢文の知識が必要になることは、良くあることだからだ。その意
味では (3)のレベルの国語力を「趣味人レベル」と呼ぶのはNo3氏の言うごとく、問題
がある。「文化人レベル」という呼称も考えたが、いやな匂いがするのでやめた。「人格
者レベル」というのも思いついたが、けったくそ悪いのでやめた。「知識人レベル」とい
っても良かったが、気恥ずかしく感じる人もいるだろうから、やめた。

 これまで、一生懸命ないしは投げやりに読んでくれた人へ。悪いけれども、以上の私の
レスは、すべて余談である。本題はこうだ。

「高校国語で純文学・古文・漢文などをやる必要があるのか」
注意を一つ。文学以外の、論説文などの現代文を学ぶ必要が有るという点については、争
いがない。

 他にも言いたいことはあったのだが、とりあえずここで、終わり。


23 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/04/22 22:34 ID:BLu/OFqd
>12
おそらく、意図的な誤読ではないのだろうとは思うが、「為にする」反論になっていないか、
もう一度冷静になり、そしてできれば「簡潔」に書いていただくようお願いする。
つーか、このままじゃ、誰も話についてこないよ……。

>> 「日常〜職業人の日本語」はとてもよくできるが、高校の国語はまったく駄目だった…と
>> いう人間は、あなたの身近にいたのだろうか?
>いる。というより職業上必要な日本語を使いこなせなければ、その仕事はやっていけない
>であろう。

「とてもよくできる」をすっ飛ばしてないか?
「ある程度の国語力」がない人間は、そもそも話の対象外だと思っていたのだが。
ちなみに、荻谷に対する評価にご不満のようだが、彼が高校生なら別に馬鹿扱いまではしない。
人は、自分が社会にしめる位置に見合った国語力を持っているべきだ。
彼は自分が社会にしめる位置に見合った国語力を育てることができなかったらしい。そして
それに気づかず、責任有る発言を求められる位置にいるにもかかわらず、高校生並みの国語知識で、
無責任な放言をしているから「馬鹿だ」と言ったまでだ。

>> あるいはその逆で、高校の国語はずば抜けてできるが、日常的なコミュニケーション(会
>> 話、文章、読書力等)はむしろ人より劣る、などどいう人間がいただろうか?
>これもまたいる。一人は娘とうまくいかなくなった国語教師である。娘がライトノベルを
>読んで泣いているのをみて、小馬鹿にしたために(「いつまでも、そんなもん読んでないで
>『伊豆の踊子』でも読め」といったらしい)、口をきいてもらえなくなった。

これまた「ずば抜けてできる」と「人より劣る」をすっ飛ばしてないか?
必要なところをすっ飛ばして、しかもなんか無理のある例を出されても、ちょっと反応に困る。
確かに「日常的感覚で答えてくれ」とは言ったが、それは7のカキコミを最低限理解した上での話。

7のカキコミの主眼とは何か。それは
「公教育における『国語』の世界と、日常的な言葉の世界は決して不連続ではない」ということだ。
そして両者の関係は「反復的トレーニングが、センスを『支える』」などという粗雑な関係ではない。

24 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/04/22 22:45 ID:lPL2vjCM
以後のレスについては、残念ながら「噛み合ってない」としか答えようがない。
あなたとは、もう少し具体的な事例から話をした方がいいように思う。
もっと具体的な部分でズレを埋めないと、あなたとの間で抽象的な会話は不可能だ。

たとえば17の要約であるが、どうして

 「小中の授業でそれ(国語的センス)を一定のレベルにまで育て」

がすこーーーーんと抜けているのか。

「最高水準の文章を読むには国語的センスが必要なのだから、『小中で有る程度までセンスを養い』
 その上で基礎的トレーニングを積んで初めて、高校の授業はそれ(そこまで育てたセンス)を磨く」

と書いてあるわけだが。

>私、国語力がないんでしょうか。

たぶん国語力ではなく、これは単に誠意の問題だと思う。
相手の文章の真意を読もうとする誠意。
…とりあえず、煽りレスを引っ張り出して反論されても困るわけだが。
煽ったには煽ったなりのその時点までのスレの「流れ」があるわけで、それを無視して部分だけ
切り出されても、私の真意は伝わるまい。ましてそれで「人格」を云々されてもなにをか言わんや
である。まあ、私が人格者だとは全く思わないがw

そして最後にヒトコト。
「国語の授業の目的は別に『人格の陶冶』などではない」と私は思っているわけだが。

25 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/04/26 21:44 ID:cXZz2hmc
定期的に関連スレが立つな…

ホシュを兼ねて、紹介がてらage
「無駄な古文漢文の授業を廃止してPCや民法を教えろ」
http://school2.2ch.net/test/read.cgi/edu/1081934861/


26 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/04/30 21:38 ID:ybNYpo7f
人が少ないな。

ホシュ2、関連スレ
「〇〇〇古典・漢文を教育現場から削除せよ〇〇〇」
http://school2.2ch.net/test/read.cgi/edu/1022765847/

古文漢文嫌いなヤシが多いのはわかるが、上の25は重複スレだよな……

27 :実習生さん:04/05/01 04:53 ID:DXAnrS/J
掲示板で書く文章ってもっと短い方がいいと思うよ。
長文は読んでもらえないから。

28 :実習生さん:04/05/01 05:21 ID:zofy/ZOI
自分は国語教師目指してるんですが小林秀雄や吉本隆明とか有名なやつでいいからこいつらの本読むと国語の価値がわかる気がしますよ。

29 :No3:04/05/01 11:23 ID:XUEph2wD
>27 いやー、オレもそう思います…。ゴメソ。

>28 頑張ってください。現国教師は貴重だ……。

30 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 12:01 ID:rNYIHTL1
四五さんの言おうとしている趣旨はよく分かります。四五さんは、本物の国語教育の必要性を痛感し、この掲示板の題名にもなっているような国語の“虚学化”を憂えているのですね。わたしも、日本の国語教育は実務にも芸術創出にも役に立たないと感じています。

31 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 12:03 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)文法は西洋語の受け売りだし、教科書で取り上げる作品も趣味の域を出ないものが多く、読みづらい悪文も多いですね。

32 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 12:05 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)文章作法については、外国人相手に行っている日本語教育とか、マスコミ各社の社内文章作法訓練のような実用性のあるものを、高校生らにも実施してほしいですね。

33 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 12:15 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)国語教育の“虚学化”は文部省の役人の無能さによるところが大きいと思います。

34 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 12:16 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)国語研究については、古中国や古西洋の影響を間接的・直接的に強く受けている低開発国タイプの国文学者ではなく、日本語についての研究成果が豊富な総務省とか日本語研究界の様々な成果を利用すべきでしょう。

35 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 12:40 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)>>34で書いた「役人の無能さ」ですが、彼らが持っている本来の能力のことを言っているのではありません。「無能」に徹しなければ身分の保障が無いという組織の性格による結果としての「無能さ」です。それから抜け出すのは勇気が要ると思います。

36 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 12:44 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)「役人の無能さは」34ではなく>>33で書きました。おわびして、訂正します。

37 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/05/01 17:03 ID:DQnk7ilm
>30 残念ながら、あなたは四五氏の意見を誤読しているように感じる。

たとえば>22の
>先に私は一般人の国語観を三つのレベルに分けて書いたが、「普通の人は生活人レベル、
>職業人レベルの国語だけやってたらいいのだ、趣味人レベルの文学なんか高校でやる必要
>はないのだ」という結論が導けるわけではないということは指摘しておく。

という話を、あなたはどう読んだのか?

ついでに四五氏へ。
先のレスは、こちらもいささか「為にする反論」じみたところがあったかもしれない。
私の言いたいことはこうだ。
「純文学や古文・漢文は、『日常の言葉』のすぐ隣にある」
それらは、あなたの認める「現代文」と一体となって、広い国語的世界を形成する土台の一つだ。
両者を殊更に分けているのは、教育課程上の便宜に過ぎない、と私は考えている。


38 :実習生さん:04/05/01 17:49 ID:rNYIHTL1
>>37 「純文学や古文・漢文は、『日常の言葉』のすぐ隣」という認識は、それに続けて“無い"と続けるのが正しい。それが十分にその人のものになっていれば検討の余地もあるが、一般には教科書での純文学や古文・漢文の不十分な扱いによって現実には害となっている。



39 :実習生さん:04/05/01 18:06 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)その害とは、マスコミ紙誌面のニュース記事、同特集記事、文学作品、論文、ビジネス文書に表れる。デスクは新人記者に、編集者は“純粋培養”の作者に、上司は“優秀”な部下に、それぞれ「純文学や古文・漢文」を基にしない文を書かせるために骨を折る。

40 :実習生さん:04/05/01 18:18 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)>>39に書いた内容にかかわらず、純文学や古文、漢文を全く学ばないでよいとは考えない。しかし現実には、多くの人が感じているように“虚学化”し、ときには必要な文を書くうえでマイナスになっていることが多い。

41 :実習生さん:04/05/01 18:25 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)要するに、使いものにならないものを教えていると言える。「虚学化」とはうまく言ったものだ。ただ、米英などでは、教育機関で学んだ古典が実際の文章を書くうえで生かされていると言われている。確かなことは、わたしには分からないが。

42 :国語じゃなく日本語を :04/05/01 18:47 ID:rNYIHTL1
>>37あなたは、わたしの文を誤読しています。わたしは「趣味人レベルの文学なんか高校でやる必要はない」と同種の発言はしていないので、念のため。わたしは「日本の国語教育は実務にも芸術創出にも役に立たないと感じています」と言っているのです。

43 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 18:49 ID:rNYIHTL1
*「実習生さん」と「国語じゃなく日本語を」は、どちらも、わたしです。

44 :実習生さん:04/05/01 18:54 ID:do8lhvDx
さういふひとを ぢさくぢえんといふんですよ

45 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 18:58 ID:rNYIHTL1
もう一言。今のままだと、国語なんて教科は要らない、って暴論が出てきます。日本語じゃなく英語を学ぼう、なんて屈辱的な意見が幅を利かせるようになります。本当は、国語はすべての科目の基本で最重要なのです。それが、今ではやっかいものになりかけています。

46 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 19:06 ID:rNYIHTL1
>>44さん、まともに日本語を書きなさい。今は平成16年、2004年ですよ。あなたのような的外れな人の存在が国語教科不要論を勢いづかせるんです。

47 :国語じゃなく日本語を:04/05/01 19:14 ID:rNYIHTL1
(前文の続き)「実習生さん」は、「名前」の欄に入力し忘れると、出るのは分かってるでしょ。これを揚げ足取りと言わずに、あなたにふさわしい言い回しを使って、あなたの頭の“処理関数”がバグってる、と言っておきましょう。

48 :実習生さん:04/05/01 20:09 ID:a0JhZ8ee
>国語じゃなく日本語を

ケータイを使っているのか? 読みにくいよ馬鹿。

49 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/05/01 20:55 ID:ioFsE/CH
「国語じゃなく…」さん、とりあえずエキサイトせず話した方がいいと思います。すでに煽られてますし。

>38
>>>37 「純文学や古文・漢文は、『日常の言葉』のすぐ隣」という認識は、それに続けて“無い"
>と続けるのが正しい。それが十分にその人のものになっていれば検討の余地もあるが、一般
>には教科書での純文学や古文・漢文の不十分な扱いによって現実には害となっている。

そうですか。私はそう思いませんが、あなたがご自分の主張を「正しい」と断定する以上、そこは平行線でしょうね。
つまり議論の土台は存在しないということです。
自分の「主観」だけを並べるなら、ブログなりサイトなり開いた方が有効かと思います。そうでなくて、意見の交換
を望むなら、「事実」と「主張」とはきっちり分けた方が良くないですか?

>42
>わたしは「日本の国語教育は実務にも芸術創出にも役に立たないと感じています」と言っているのです。
では、四五氏はそういう主張をしていますか?と私は問うているのです。

彼(四五氏)の主張の根幹はあくまで、「一種の技能教育と考えた国語教育」の必要性と、「その観点からみた古文・
漢文の不要性」についての議論でありますが、現行の国語教育が「虚学化と『言われてしまう』のはなぜなのか」という
問題意識で貫かれているように感じます。彼は決して現在の「国語」を否定しきっているわけではない(>19等参照)。

一方あなたは、「本物の国語教育」とか「文科省役人の無能」とか、「もっと実用的な訓練を」とか、まぁいかにも3K的な
聞こえは良いけど中身のない主張を述べてるわけですが(「本物」を定義する客観的な基準はあるのか?文科省役人の無能を
語る主張の正当性を誰が検証するのか?「実用的」という言葉をどう定義するのか?…等)いずれにせよあなたの主張の根幹が
     「 現 行 国 語 教 育 の 否 定 」
につながる以上、あなたが四五氏に同調するのはおかしい、ということになる。そういう話です。

50 :実習生さん:04/05/01 21:03 ID:SZwuB/1d
50GET!

51 :実習生さん:04/05/02 02:08 ID:3qwg5Xzo
>>49さん。わたしは、あなたが単に否定のための否定を繰り返しているに過ぎない、と思えてなりません。意見は100%同じでないと、同調の形をとってはいけないのですか。あなたは、ネット上によくある、人をおとしめるための不毛なやり取りにをしたいのですか。

52 :実習生さん:04/05/02 02:12 ID:3qwg5Xzo
(前文の続き)四五氏もわたしも、国語教育の抜本的改革が必要だと言っているのです。

53 :実習生さん:04/05/02 02:28 ID:3qwg5Xzo
3さん、あなたが国語教育に携わるか、または将来、関係することになる人なら、私が>>39に書いた現実を理解し問題の解決に取り組む必要性を感じてほしかったのです。わたしたち業界人や一般企業の人たちは>>39を日常、経験しているのです。

54 :実習生さん:04/05/02 03:49 ID:3qwg5Xzo
<前文の続き>>>39の現実は次のようなものです。わたしは、新人記者に次のような問題をさせてみたことがありますが、彼は正しい答えが得られませんでした。

55 :実習生さん:04/05/02 04:14 ID:3qwg5Xzo
<前文の続き>例文;山田と鈴木と松田とが、午前中の役員会で、党三役に選ばれた。問1;例文の並列助詞を1つに減らせ。問2;例文について、並列助詞に代えて接続詞を省略せずに使え。問3;例文の接続詞を1つに減らせ。

56 :実習生さん:04/05/02 04:27 ID:3qwg5Xzo
<前文の続き>例えば、このような初歩的な文法については、せめて中学校までに学ばせておいてほしい。これと同様のことが日常、限りなくあります。国語教育はいったいどうなってるんだ、と思わずにはいられないのです。

57 :実習生さん:04/05/02 04:41 ID:3qwg5Xzo
<前文の続き>また、丸谷才一ばりの評論家や、頑固な純文学志向の出稿者、常用漢字無視の漢文ひけらかし学者など、明治以降今日まで国語教育の間違いが生んだ勘違い執筆者も数多くいます。全くの編集者泣かせばっかりです。

58 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/05/02 12:53 ID:1zZ4Skgh
>51
>>>49さん。わたしは、あなたが単に否定のための否定を繰り返しているに過ぎない、と思えてなりません。
>意見は100%同じでないと、同調の形をとってはいけないのですか。あなたは、ネット上によくある、
>人をおとしめるための不毛なやり取りにをしたいのですか。

相手の意見を理解せずに「同調」されても、「同調」された側も迷惑でしょう。
相手の意見を理解せずに「反発」されたら、「反発」された側が迷惑であるように。
あなたと四五氏の意見の共通点が52に過ぎないのなら、それこそ前スレを読んでいるはずの
あなたが、私の前スレでの意見のまともな部分を全く読み飛ばしているのを、どう考えろというのか。

>52 (前文の続き)四五氏もわたしも、国語教育の抜本的改革が必要だと言っているのです。

そんなことは、私も前スレの103で言ってますよ。
これは、私に反発して四五氏に同調しているあなたの主張の説明にはなっていない。
私が見たところ、私と四五氏とあなたはすべて異なる観点から異なる主張をしている。
私は「まずそこを理解してください」と言っているのです。

…ちなみに、私がイライラして攻撃的に見えるとすればそれは間違っていません。
私は、「書かれた文章」をきちんと読み返さない人間が嫌いだからです。

とはいえ、私も突っかかるためだけにここにいるわけではありません。
とりあえず、あなたが出された話について、一つ私なりに考えたことを書きます。

あなたがあげられた例題について必要なのは、「国語力」というよりは数学の基礎的な力(論理学)
ではないかと思いますが、どうですか。そうだとすれば、中学生の発達段階でその教育が可能かどうか、
適切かどうかということが問われなくてはなりません。ハッキリ言えば、私はムダだと思いますね。
論理的思考力は、一般に高校の途中から身に付いてくるそうです。
あなたの不満や、「実用的な国語力」と称されるものは、大学の教養課程で初歩的な「論理学」の授業を
必修にすれば、解決され、また十分身に付くように思われますが、その点はいかがですか?

59 :実習生さん:04/05/03 00:41 ID:ki6wnz9U
>>58さん。わたしが>>55で示した例題は純粋に文法を問うもので、第三者が読んで理解しやすい文を実際に書く場合に知っておかなければならない知識です。しかも、文法のごく初歩の」簡単な知識です。あなたにも例題を解いてほしいものです。

60 :実習生さん:04/05/03 03:30 ID:KaOZl0rj
だから長いって。読み返せって方が無茶。

61 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/05/03 09:15 ID:HWrFWx/d
>59
問一 「山田と鈴木と松田とが…」→「山田、鈴木と松田が…」
問二 「山田と鈴木と松田とが…」→「山田、および鈴木、および松田が…」
問三 (例文には、「接続詞」も「接続助詞」も存在しないようですが…?)

中学・高校で扱う文の要素の関係は、主として「主客」と「修飾/被修飾」です。
それ以上の内容を詳しく扱わないのは、生徒の発達段階に顧慮したものでしょう、というのが
私のレスの意図です。ちなみに、山梨の方でこんな研究をした人がいたようですが、この人の
モチベーションと、あなたのおっしゃることは多分近いところにあるのではないかと思われます。
「論理的文章を書く基礎・基本の力を育てる指導法に関する研究」
http://www.kai.ed.jp/syoukai/kokugo/hyouka/130kokugo-kiyou.pdf

で、この報告書の最後に興味深いことが書かれています。
「論理的文章を書くために、書き言葉による表現の具体的技能を指導することは、どのように書
 き表せばよいのかという児童の学習への関心・意欲に応えることができた。(中略)しかし書く
 上で大切なことは、『文章表現のしかた』以前に『題材』である。書くべき一つ一つの経験や思
 いに気付き「書きたい」と感じるかが大切である。したがって、文章表現指導をする一方で、児
 童の豊かな題材観を育てることも必要である。」

結局、ここまでやった人においてすら「文章表現」よりも「気持ちを育てる」方が「以前」だとせねば
ならない理由、結局「生活作文/自己表現型の指導」を前提におかねばならない理由、それは
生徒を目の前にしたときの(あるいは生徒の作文を目の前にしたときの)『実感』ではないかと思い
ます。

62 :No3:04/05/03 09:31 ID:XAalk8UD
たとえば、一人の大人として目の前に

 A)論理的表現能力
 B)のびやかで豊かな感性

のどちらも持たない子供がいた場合、どうしますか?という、これは価値観の問題だと思います。
現行の過程がB8割、A2割程度であること、また中学まででAを2割程度しかしないで、いきなり
大学入試ではA・Bとも8割以上の能力を要求されること……など種々矛盾はあろうかと思います。
運用の中で「B10割こそが国語である」と誤解している人も多いかもしれません。その意味で、B10割
で育ってきた社会人に、せめて5割の論理的表現力を付けさせるのに四苦八苦しておられる立場から
すれば、「国語教育」に苦言の一つも呈したくなる気持ちはわかります。(だからこそ、「大学で論理学を
必修にすれば?」と解決策を一つ述べたわけで。)

あなたの意見は、おそらく、「少なくともBを5割のラインまで持っていけ」ということなのでしょう。
上に上げた報告者は、「とりあえずB仮想10割(実質8割くらい?)で授業してみた、結果、A>Bと
感じた」という報告をしている点で、私にはおもしろかったのです。

それが、上であげたような「一人の大人としての素朴な実感」に合致しているという意味でもそうですし、
また実際の指導の場にあって、B>Aと言えない事情(Bの能力に決定的に欠ける生徒の存在など)
が作用しているのだろうと想像させられたという意味でもそうです。

63 :実習生さん:04/05/03 10:12 ID:8Jc3tPI/
高校教員ではありませんが、教育関係者として横槍を入れます。

>たとえば、一人の大人として目の前に
 >A)論理的表現能力
 >B)のびやかで豊かな感性
>のどちらも持たない子供がいた場合、どうしますか?

そんな子供(=高校生)はいません。妄想が過ぎますね。
まず、子供は「論理表現力」も「感性」も持っています。学校ではそれを型にはめようとしてダメにしているだけ。だって、何も方法論を持っていないんだもん。

こんな話、知っていますか?

高校の国語教員のほぼ8割が、「よい授業において大切なことは何?」との質問に、「生徒との信頼関係」と応えるそうです。
しかし、生徒に同じ質問をしてみると、「わかりやすい授業」と、ほぼ全員が応えるのです。

このズレ、高校教員に理解できますか?

そうです。上のNo3氏たちの議論は生徒の視点がありません。
論理的表現力といっても、何を教えるつもりですか?
それ以前に、あなた方は、大学入試の現代文問題が解けますか?
赤本や、予備校の解答のどこが間違っていてどこが正しいのか指摘できますか?
現状では、明らかに努力不足を力業でごまかす方が多いのですが…。

また、「豊かな感性」とはなんですか?こんなどうでもいい表現を使っている先生だと、習っている生徒は悲劇ですね。大学受験生の一人一人にこんな質問をして見なさい。
「豊かな感性とはなんですか」と。
これは数年前のある大学の後期小論文の問題の一部でした。もちろん答えが無いから、小論文で出題されたのです。答えの無いものを土台にして組み立てる議論。空しすぎます。

64 :実習生さん:04/05/03 10:40 ID:KaOZl0rj
「豊かな感性」にせよ「論理的思考」にせよ測定の仕方をまず決めないと。
後者は例えば公務員試験の判断推理・資料解釈みたいなもので
ある程度は測れるのかもしれないけど前者はどうするんだろう。
測定可能な能力を目標に据えないと教師の自己満足で終わってしまうよ。



65 :No3:04/05/03 15:51 ID:0uV1usRV
>63
横槍は歓迎ですが、できればリンク先まで読んでレスして欲しかったですね。リンク先は、小学校の教育実践
の例です。その流れでよんでいただきたかったわけですが。もっとも、高校生でも論理的表現能力(以前の論
理的思考力)も、感性的表現能力も持たない生徒がいないわけではないと思いますが。

「豊かな感性」とは何かを定義せよというお話ですが、ではあなたは「子供は感性を持っています」
と書いたとき、どういう意味で書いたのでしょうか?
どうも、言葉の端々に「単なるケチつけ」…のニュアンスがにじみでてるので、素直にレスしづらいですね。

…上に習って一つだけ答えましょう。
>こんな話、知っていますか?
>高校の国語教員のほぼ8割が、「よい授業において大切なことは何?」との質問に、「生徒との信頼関係」と応えるそうです。
>しかし、生徒に同じ質問をしてみると、「わかりやすい授業」と、ほぼ全員が応えるのです。
>このズレ、高校教員に理解できますか?
>そうです。上のNo3氏たちの議論は生徒の視点がありません。

…よく知ってますよ。2chの教育板ではさんざんガイシュツの話題ですから。
ついでにこの論の欠陥を教えておいてあげましょう。

そもそも授業を「聞きに」来ている生徒相手の数回の「講座」なら、「授業テクニック」でいくらでもカバーできます。
予備校の講習みたいな、ね。けれども、一年間にわたって授業を成立させようと思えば、それだけではすまない…
ということは、一年間にわたって40人近い人数のクラスを担当した人間ならば、誰でも理解できることなのです。

つまり、生徒との間に「信頼関係」を醸成することは、「わかりやすい授業」を成立させるためにこそ重要なのです。
生徒にはそれは「わかりやすい授業」としてしか見えていないかもしれないけれど、そこには必ず「信頼関係」を
築くための様々な努力がある。そういうことです。

要するに、視点が違うから答えが違って見える。作り手と受け手では、答えが違って当然。
その結果をもって、鬼の首を取ったように騒ぎ回るのは非常に滑稽です。

66 :国語より日本語を:04/05/04 04:50 ID:aJVCAnpG
bRさんの解答は正しいとは言えません。「山田と鈴木、松田が……」が正解です。bRさんの解答が全くのでたらめとは言いませんが、重要な点で勘違いがあると思います。


67 :国語より日本語を:04/05/04 04:51 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>こうしたことは、レベルの低い教育にとどまった人より、むしろ高いレベルの教育を受けた人に多く見られるのです。ここが問題なのです。日本語は英語の文法で考えてはいけません。


68 :国語より日本語を:04/05/04 04:54 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>中学、高校で習う文法、さらには大学でも、文法や文型を不十分にしか教えてもらっていないのではないかと思えるのです。漢文や古い純文学も必要かもしれませんが、まず、現在の日本語についての知識こそが必要なのではないでしょうか。


69 :国語より日本語を:04/05/04 05:00 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>解答の説明に戻りますと、bRさんの解答は、並列助詞の文法的性格と接続詞のそれとを取り違えています。並列助詞の本来の使い方は例題の文の通りで、その省略には文法を考慮しなければなりません。


70 :国語より日本語を:04/05/04 05:01 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>bRさんの解答では、初めの並列助詞と最後の並列助詞を省略しています。変だとは思いませんか。これが4語以上の並列の場合は、bRさんのやり方だと、もっと奇異な感じになるでしょう。

71 :国語より日本語を:04/05/04 05:02 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>最初の語の助詞を示すことによって、次に続く語の助詞を省略しても、順次並列にあることを示されるのです。bRさんのやり方だと、最初の2語と最後の1語の2つの並列になってしまいます。この文のないようから3語の並列にしないといけません。

72 :国語より日本語を:04/05/04 05:06 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>わたしがここでこれを取り上げたのは、あなたがきちんとした教育を受けたか受けている人だという前提で、国語教育の一般的な問題点を指摘したかったのです。

73 :国語より日本語を:04/05/04 05:12 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>ほかにも「わたしは数学をできる」という文の間違いの文法的説明ができない新人が多いといったような無数の体験を、わたしは挙げることができます。執筆者への訂正説明のため原稿校閲にはその理解が必要です。

74 :国語より日本語を:04/05/04 05:19 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>これは、高校の理系クラスだけの問題ではありません。一般社会が国語教育を不安視しているのです。国語教科不要論や英語公用語論などという暴論が出てくるのも、そうした背景があるからなのです。

75 :国語より日本語を:04/05/04 05:20 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>現に、慶応大学の受験では、文系、理系を問わず、国語がほとんど不必要になっています。わたしも、毎日、仕事に携わるなかで、今のままの国語教育なら必要がないと感じています。

76 :国語より日本語を:04/05/04 05:22 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>多くの人が指摘しているように、国語の授業も“趣味の文化教室”であってはならないのです。

77 :国語より日本語を:04/05/04 06:31 ID:aJVCAnpG
3さんの>>39の問2に対する解答は正しいとは言えません。「山田、および鈴木、および松田が……」の読点は、むだな記述記号です。読点が無くても、それぞれの語と、それぞれの語の接続関係とは、明確に表現されています。

78 :国語より日本語を:04/05/04 06:32 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>それから、問3は、問2の解答を元に、さらに解答していただく意図のものでした。問3の「例文」は、問2の解答文を示さなければなりませんでした。訂正して、おわびします。

79 :国語より日本語を:04/05/04 06:33 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>問3を示したのは、問1との関連で、接続詞と並列助詞を混同している方が多いことを言いたかったのです。3さんもその傾向があるように見受けられます。

80 :国語より日本語を:04/05/04 06:34 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>十分な教養を持っていながら、語句を誤用したり、文法上ふさわしくない文を書いたりしている日本人が多過ぎるのです。純文学や漢文を学ぶ前に学ばなければならないことがあるのではないでしょうか。

81 :国語より日本語を:04/05/04 06:34 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>あなたがあの研究論文を紹介してくれたのは、それが分かっているからでしょう。現在の教科書に載っている純文学や漢文で児童の豊かな題材観が育つでしょうか。

82 :国語より日本語を:04/05/04 06:36 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>「純文学や古文・漢文は、『日常の言葉』のすぐ隣にある」という使い古された言い回しは、うさん臭さを感じます。

83 :国語より日本語を:04/05/04 06:36 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>しかし、あなたが教科書に載せる純文学や古文・漢文を、児童の豊かな題材観が育つ魅力あるものにしてみせる、と言うのなら、期待はしたいと思います。

84 :四五:04/05/04 09:12 ID:plYTY3Ao
五月に入ってから、えらい流れの速さで、今更口を挟むのもどうかと思うが、私の言いた
かったことは、「素人が古文漢文を高校でやることについて疑問を抱くのは、それなりに
理由のあることなのだから、馬鹿馬鹿いうな」というに尽きる。
No3氏へ。>23-24 に対しては、今はレスをつけないがよろしいか? 今の状況でつけても
話の流れを乱すだけだと思うので。

85 :四五:04/05/04 09:12 ID:plYTY3Ao
「国語より日本語を」氏へ。
ジャーナリズムに携わる方とお見受け致します。私の想像ですが、あなたは、本多勝一の
「日本語の作文技術」や新聞社が発行している「用字・用語ハンドブック」程度のことは
高校を出たら弁えているべきだと、お考えなのではありませんか。
そのうえで、中途半端な古文漢文の学習はかえって害になる。やるのであれば徹底的にや
るべきだと、お考えなのではありませんか。
これは全くの想像です。御説を読み誤っていたら、謝ります。


86 :国語より日本語を:04/05/04 12:04 ID:aJVCAnpG
四五様。自説は、あなたのご指摘の通りです。ここで、本田勝一氏の論について少し説明させていただくと、ご了解済みのことかもしれませんが、それは氏独自のものではありません。


87 :国語より日本語を:04/05/04 12:05 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>校閲一般の経験や、三浦つとむ氏、森田良行氏ら国語研究者の考えをまとめた一般的なものです。


88 :国語より日本語を:04/05/04 12:05 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>また、表記や用語、文型に加えて、ここでご指摘いただいていない文章の構造についても、文章設計や読解の参考になる論文や小説などを、かみ砕いた形で高校生に教えるべきです。


89 :国語より日本語を:04/05/04 12:06 ID:aJVCAnpG
<前文の続き>そうなると、たとえ、これまでの純文学や漢文、古文の授業時間を減らしても、国語自体の授業時間は減らせないでしょう。


90 :実習生さん:04/05/04 16:23 ID:O4muekU7
>国語より日本語を

とりあえずケータイはやめてくれ。読みにくいから。普通のPCを使え。

そのうえで言いますと、貴方の仰るような国語教育なら私も大賛成です。

しかし、残念ながら、まあムリでしょうね・・・。国語のセンセイの多くは、妙に「名文」
が大好きで、人生論や教養論が大好きで、「たましいを育てる」のが大好き。

こんな善意の人ばかりで、こうしたテクニカルな問題には弱い。あるいは逆に、そうしたテキ
ストを作ったら作ったで、そこに載っていることが全て絶対と信じてしまうでしょう。

91 :実習生さん:04/05/04 16:26 ID:O4muekU7
余談ですが・・・ところで現在、文芸書や学術書は、新作も旧作も、硬も軟も、とにかく売れていないそうです。
(例えば、文芸誌の部数が軒並み3000部なのだそうで・・・)

図書館でも、硬くなるにつれ、名著でも貸し出しは鈍くなっていく。だから図書館も硬派本を買いにくくなる
(もちろん本来は、それと関わりなく買うべきなのですが、数字の挙がっていないものはや
はり購入しにくいのです) そしてなぜか、ブックオフ型古書店だけは増えている。

さて、翻って現在、国語教師を名乗る人間が全国に何万人いるのか? このバカにならない数の人たちが
市場として機能していたら、上記のような事態も些かでも回避され得たのではないか?

つまりは、そもそもが彼ら自身の資質がどうなのか!? と、極めて市場経済的観点から
憂慮せざるを得ないのであります(苦笑)

92 :実習生さん:04/05/04 16:38 ID:O4muekU7
それとも、自分が知らないだけで、この狭い市場を支える一員が、国語の先生だったり
するのでしょうか? 
少なくとも私の近所では、それなりの中学も高校もあり、それなりの本屋や図書館もありますが、
後者で教師らしき人物に遭遇したことは一度も(そう、一度も!)ありません。

私がたまたま会わないだけなのでしょうか? たんに忙しいのでしょうか? 
仮にこうした場に来れないほど忙しいのだとすれば、その本末転倒な職場環境に、
深く御同情申し上げるより他ありませんが・・・。

93 :No3:04/05/04 23:01 ID:8AvihyoC
>66
採点乙です。報道関係の「日本語」についての話は興味深く読ませていただきました。ただ、「報道関係が規定している
一種のマイルール」を「正しい日本語文法」と想定して話しておられることに若干の違和感がぬぐえません。現代日本語
が決して論理的でもなく、また、未だ統一したルールを持つほど成熟もしていないことはご承知の通りです。たとえば翻
訳の世界には翻訳の世界なりのルールがあったりします。たとえば複数形を示すために名詞に「達」を使用する、とか。

これが、日常語として使われたら明らかに変だ…ということはたやすく理解されると思いますが、それが「日本語」として
通用している世界もあるわけです。しかしもちろん、これを「日本語の基本的ルール」として学校で教えるわけにはいか
ないでしょう。あなたがおっしゃる「報道関係の日本語」についても、事情は同じことだと思います。その「正しさ」の保証がない、という意味で。

そういう、正しいのかどうかわからないある種の「地方語」のようなものを使用する人々が作り上げる世界を一種の「サークル」のようなものと言うとします。
そうすると、それらの「日本語」の「正しさ」を規定するのは、せいぜいその言葉を使用している「サークル」の所属人数でしかない。

「国語」が「文学的名作」の類を多く扱うのは、要するにそれらが「かつて広く読まれ親しまれた国語の、高水準の一典型見本」
である、というのがその最も大きな理由だと私は考えています。「正しい」「国語」とは何か?を考えるとき、「文学的名作」の類
に行き着くという発想は、その意味において私には了解可能です。「報道的日本語」も、いずれその同じ意味で、国語の授業の
中で教えることになるかもしれない、とは思います。それまでは、新人記者に対して、ご面倒でも「研修」という形で教えてあげてください。

94 :No3:04/05/04 23:18 ID:8AvihyoC
(追記)
ただし、個人的には、むしろその「報道的日本語」を余りに強く書き手に求める姿勢に、ちょっと疑問を感じます。
「常用漢字無視の漢文ひけらかし学者」…と批判しておられましたね?

それを批判する根拠は「常用漢字を無視されると、編集者が困るから」というそれだけの理由ですか?
常用漢字というものが真っ当な学者からどれほどの批判に晒されている代物かを少し調べてみれば、彼らがなぜ
「常用漢字」をあえて「無視」するのか、の理由はすぐわかると思います。それらは決して衒学者流態度などではなく、
むしろ学者として良心的であるからこそあえて取らざるをえない、止むにやまれぬ正直な態度なのです。

報道関係者であればこそ、「いわゆる大衆」視点だけでなく、こういったことも踏まえバランスのとれた視点をもって頂きたいと思います。


>84(四五氏へ)
了解。
こちらはただボールを投げただけです。匿名掲示版である以上、投げたボールをどう扱われようと、もとよりそれに異存はありません。


>91
もともと、「文芸書」というのはそれほど売れる物ではないわけで、これが健全な状態であるとも言えます。
「文学が社会を動かす」……という時代が健全な時代であるとも思えませんし。

ただし、「国語教師」ですら本を読まない…というのはご指摘の通りで、非常に困った事態ではありますね。
このスレで討議されているような「国語の抜本的改革」が進められるためには、多くのそのような「国語教師」が
職を失うか、少なくとも激しい再教育を施される必要があるでしょう。まぁそれよりは、たとえば「情報科」で
作文技術を扱うといったような改革の方が…と少しフォローしておこう。(上で書いたように、あるいは前スレでも書
いたように)現在の「国語教育」には、それはそれとして意味がなくはない、とは、依然として思ってますので
(まぁそんなのは身内贔屓だぜって言われたら正直そうかもしれませんがね)。

>全員に
色々偉そうにも書いてますが、貴重なお時間を頂き、貴重な御意見を頂いていると思ってます。
その感謝の念は、とりあえずレスし続けることで表したいと思っております。

95 :実習生さん:04/05/05 00:21 ID:OCywIYlQ
>>94
>もともと、「文芸書」というのはそれほど売れる物ではないわけで、これが健全な状態であるとも言えます。

かつての純文学や中間小説が担っていた娯楽の水準が、マンガに取って代わられて久しいのは事実でしょう。
さりとて、サブカル評論家のように「マンガは誇るべき日本文化」とか持ち上げる気もありませんが。

>ただし、「国語教師」ですら本を読まない…というのはご指摘の通りで、非常に困った事態ではありますね。

単純に忙しいのかな? という気もするので、だとしたら気の毒には思っているのですけどね。

96 :実習生さん:04/05/14 00:36 ID:fdR3/jtY
保守


97 :一般人:04/05/14 03:48 ID:Cj7TM4ej
 熱い板ですな。興味を持って読みました。
 
 教育というのはそれ自体は決して目的ではなく、本質的には手段でしょ。
 手段であるからには、教育が人間を対象とするその性質上、一義的な目的(理想)
 は設定しえるものではないとしても、高校という場においては指導の目的という
 ものは明確に持つ必要があると思う。

 では、今の国語教育は指導の明確な目的というものをもってなされているのだろ
 うか。あったとしても、今の国語教育は果たして目的達成のための有効な手段と
 なっているのであろうか。

 文科の指導要綱がどうなってんのかは知らんが、個人的には国語教育の中核は論
 理力を養うところに求められるべきだと思う。
 個人的には野矢茂樹の本のようなアプローチは魅力を覚える。

 文学作品、古典の取り扱いは難しいだろう。これらは教養を深め、人間の幅を広
 するという点では必要だが、文学には答えというものはないのだろうから、それ
 を人に教授するというのは至難であろう。冒頭で述べた目的というのが明確に持
 てない類ではないかと思う。
 
 国語教育の問題はこのあたりに根があるのではなかろうか。
 
 
 

 

98 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 21:07 ID:d14pSB4n
現役高三生です。興味深いスレなので僕も意見を。
僕のクラスは人文系統です。公立ですが普通科じゃないです。
一年生の時は「総合国語」として現代文と古典をまなびました。主に古典を。担任の先生はある都道府県で国語教師のトップを十数年やっていたベテランの先生でした。
目標は二年の終わりには古典の作中の人物と一緒に泣いたり笑ったりできるようにするということでした。
授業中はとても楽しく、文法も一通りやりつつ、すぐに脱線して教養などを授かりました。最高でした。


99 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 21:10 ID:d14pSB4n
まだ意見を言ってませんが、続きを。
その先生は一年で国語を好きにさせて、二年の中頃に成績の伸びがとまるのを生徒に実感させ、文法をやる必要があると言うことを認識させて一気に詰めていこうと計画していたようなのですが、残念なことに転勤されてしまいました。

100 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 21:15 ID:d14pSB4n
二年生で現代文と古典に分かれましたが、古典の先生が文法をやるぞ!って感じで授業をしていったのでみんな急に古典がつまらないものになってしまったようでした。
(前述した一年の時の先生の意図はみんな知らなかったので、二年でずっと文法かよ、と…)事実うちのクラスは文法のところで成績が伸び悩んだのですが。


101 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 21:19 ID:d14pSB4n
僕の中でも、うちのクラスでは普通科じゃないんだから古典作品の背景とかの面白いことをもっと教えてほしいという気持ちがありました。
文法もちゃんとやりましたけど。そんな中で古典ってなんなんだろう、と思って。

102 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 21:29 ID:d14pSB4n
自分を納得させるために、今習ってる文法事項は、受験のためでもあるけど、
古典の作品で感動したりできるように必要なんだと言い聞かせました。
一年の時にやったような国語(古典)か、二年の時の文法中心のそれか、どちらが現在の「高校国語」と言えるのか。

残念ながら後者が現在の「高校国語」であると思います。
普通科や、理系のクラスでは僕のクラスのような突っ込んだ内容は
教わらないと思います。
そして、もし教わったとしてそれを面白いと思えるか。

僕が感じた国語の面白さは、僕が根っからの文系だから感じたものなのではないかという不安があります。

103 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 21:46 ID:d14pSB4n
しかし、僕は古典の作品に触れるということは必要だと思います。
それは思想的な面からです。「昔の人がどんな考えを持っていたか」これにつきます。
理系の人にも、むしろ理系の人に触れてほしい。
高校教育で、理系の人が先人の思想に触れる機会があるのか。
センター試験でも、地歴科目では容量的にたいてい地理を選択するはず。倫理はとらないし。

104 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 21:51 ID:d14pSB4n
先人の文章に触れることで、自分たちの今を見直す。これが若いうちにしておくべきことの一つだとおもいます。
大学にいったら古典作品を読むこともないでしょうし、やはり先人の思想をふまえた上でなければ、何事も成し得ないのではないでしょうか。
話が飛躍しますが、今のまま僕達が大人になったとき、
倫理観のない理系の人たち(例えばこれも偏見ですが、いわゆるマッドサイエンティスト)に文系の人たちが警鐘をならす絵が頭に浮かびます。

105 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 22:03 ID:d14pSB4n
先人先人とうるさいようですが、
古典というものはそういった「使い方」をしていかないと、
教養ならば好きな人がやればいいということになると思います。

それと漢文はそれこそ教養として好きな人がやればいいと思います。
一見説話が多くこちらの方が古文よりためになりそうですが、
説話の多くは勧善懲悪とか儒家思想とかがあって僕は「浅い」と思います。
古文の方がそういうもので割り切れない人間の「深い」ところを突いてるというか。
もしこれが偏見ならそれは主に今まで習ってきた古典の教材によるところが大きいので、そこを改善していけば、
漢文なんてどうせ友情とか義とか徳とかの話でしょ、という認識を変えられると思います。

106 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/14 22:10 ID:d14pSB4n
まだ高校生ですので、文章の意味が通ってなかったり、既出の内容だったり、
そもそも話の程度が教師のみなさんにくらべて低いかもしれませんが、
こういうことを考える高校生もいるってことで、書き込んでみました。
…………………………………………………………
あ…もう十時だ。勉強勉強。これが現実か…
「徒然草」読むのは大学いってからかなあ。まず大学いけるかなあ。

107 :No3:04/05/15 20:40 ID:iF3rnsuJ
>97
>指導の目的は明確でなくてはならない

もちろんその通り。しかしそれは
「何のための」「誰に対しての」(誰のための?)「どのような」明確さなのか、が問われなくてはならないでしょう。

たとえば「誰のために『明確さ』が必要なのか?」を問うた場合を考えても、
生徒のためなのか、教師のためなのか、それらを監督する人のためなのか、
あるいは(教育に関わる)社会全体に対しての明確さなのか…によって、
必要とされる『明確さ』の質は変わると思うわけですね。

教師自身に、自らの仕事における「目的の明確さ」が無いとしたら、それはまずもって
問題だと思いますし、教師はそのことを恥じるべきでしょう。

しかし、教師には少なくとも明確な『目的』があっても、他に対してそれを『明確に』説明
できるとは限りません。また、「ナマモノ」を対象とする関係上、その「目的」は臨機応変に
変化する代物であるわけで。

もちろん、大きな理念としての「目的」は常に明確です。学習指導要領を見て頂ければ分かるとおり。
『国語を適切に表現し的確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力を伸ばし心情を豊
 かにし,言語感覚を磨き,言語文化に対する関心を深め,国語を尊重してその向上を図る態度を育てる。』

ここには、あなたの考える「論理力の育成」の趣旨も入っていると思います。
しかしあなたがおっしゃっているのはこんな大きな「目的」の話ではないのでしょう。
もっと、現場における一回一回の授業そのものの「目的と方法」があなたの興味の中心なのではないでしょうか。
そういう関心が昨今始まっている「シラバス作り」へと繋がっているのだろうなぁ、とは思います。

ただ、最後に一点。国語の目的が「文学(を)教育する」ことにあるわけでないことは、少し分かっておいて欲し
いと思います。文学作品を扱うのは、「文学(で)教育する」ためです。理科の授業で朝顔を育てるのは、
生徒を朝顔農家(というものがあるかどうかはともかくとして)にするためではないでしょう。それと同じです。

長くなりました。高校生さんへのレスは、また。

108 :一般人:04/05/16 09:46 ID:eVP00Xgm
 >>107

97で私が用いた目的というのは、一回一回の授業における個別的なものではなく、
むしろ、あなたの文脈でいう大きな理念の目的について述べたものです。
文科の指導要領を持ち出したのもそのレベルでの目的を意識していたからです。

97のようなことを書いた背景には、国家政策(私は学校教育というのは多分に政策
的要素を含むものと考えている。)的な面で国語教育は目的を明確にもてていないの
ではないかと思ったからだ。
あなたは、
>もちろん、大きな理念としての「目的」は常に明確です。学習指導要領を見て頂ければ分かるとおり
とおっしゃるが、果たしてそうであろうか。確かに目的が成文化されているという形
式的な意味では明確といえるかもしれない。しかし、この指導要領の文言は実質的に
「国語力を鍛えよう」くらいの抽象論しか述べていない(一般国民が明確と思えるだ
ろうか?)と私は考える。

 もっとも、指導要領という性質上このような記述が要求されるのは止むをえないの
かもしれない。しかしそれを割り引いても、国策として実務レベルに反映できるよう
な明確な目的をわが国の国語教育はもっているのだろうか。そのような敷衍した目的
をも要領に記載すべきではないだろうか。

109 :一般人:04/05/16 10:11 ID:eVP00Xgm
具体的には5W1Hのような社会的文章作成の仕方を教える、文章を読ませて批判さ
おせる、一定量の文章を書かせることを義務づける、小論文の書き方を教える等、実
務レベルでの指導方法に指針を与えるような目的というのがあってしかるべきだと思
う。

私は素人だから、こういう目的はすでに設定されていて私が知らないだけなのかもし
れない。しかし、現状の国語教育を体験的にみる限り、このような目的があるのかは
なはだ疑問である。

かりに文科が>>107で引用される程度の一般論的目的しか掲げておらず、かかる目的
達成のためのアプローチが現場教師の裁量にあるのだとすれば、そりゃ、現場の教師
も困るだろうなと思う。文科のいう大きな理念など現場においてな指導の指針として
とても耐えうるものではないだろうことは容易に推測できる。

適切で明確な目的が定められれば、現状のように批判される国語教育改善の鍵となる
のではと思ったわけです。


110 :No3:04/05/16 18:15 ID:SfKSp2qn
>108
>国家政策的な面で、国語教育に『明確な目的』があるのか?

なるほど。それならば、参照すべき条文は「教育基本法」の方が近いと言えましょう。

ちなみにおっしゃることはよく分かります。多少のニュアンスの違いはあるにせよ、私も同感です。
というか、基本的にはたいていの(良心的な)教員がそう考えているものだと信じます。

教育は国の大本であり、教師は、一見単に自分の趣味や研究に没頭しているかの
如くであるとしても、最終的にそれが国家百年の為の人材を育成することに繋がって
いるという確信なしにそういうことをすべきではないと思います。

「今、この教材でこういうことを教えること」が10年後20年後の生徒の人生にどのよう
に関わり、それがひいてはこの国の未来をどのように変えることになるのか…について
自覚的であれ、ということ。会社員ならば、自分の行動が最終的に自社にとってどのよう
なリスク&コストvsメリットになっているのか…を考えて行動するのが当然なように。

ちなみに、教育基本法について共通の資料として下のページを載せておきます。
とりあえず、非常に短いものなので、通読され、また他のページ(各国の『教育基本法』等)
を覗いていただけると、この後の話はスムーズなのではないかと期待します。
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/index.htm

111 :No3:04/05/16 20:40 ID:ZmiV9s8/
>98-106
「高校生」さんへ。良い先生に恵まれたことは幸いでした。

あなたが疑問に思ったことは、前スレの最後で私と某(自称)高校国語教師が
議論していたことに近いと思います。

前スレの最後で某氏は、上の一般人さんに近い立場から、極めて「システマティックな
国語教育」の正当性を訴えていました。

私はそれに対して、その必要性や有益性は認めつつも、それを「正統」としてしまう
ことへの危惧を述べ、その一例として、「感性的」「教養的」な国語教育の効果が無視されて
しまう…等の例を挙げて論じました(余り理解は得られなかったようですが)。

その意味で、あなたが「感性的・教養的」授業を素晴らしいと感じながら「理系でも
それが受け入れられるかどうか、疑問/自分が文系故の感想ではないかという不安」を
述べておられたのは全く正当であると思います。それは、まさに私が言いたかったことでも
あります。

ただ、二点ほどあなたのレスに対して異論を唱えておきたいと思う点があったので、述べておきます。

112 :No3:04/05/16 21:21 ID:lUyCmL1D
1)理系教育と「古典」について
もちろん、「古典」が理系の人々に取って有意義であることは論をまちません。
しかし、たとえば理系科目の中にも「古典」と同じ意義を持つ効果が全くないとも私は思いません。
なぜなら、理科という科目自体がまさに「先人の知恵の集積」だからであります。

たとえば、私の知り合いの某理系の人は、高校時代「元素周期表」を見て、その美しさに恍惚
とした…と言ってました。そのことが彼の人格形成の一翼を担っていたことは間違い有りません。
数学の素晴らしい証明問題は、たとえば徒然草がそうであるように、常人には思いもつかない
論理のひらめきと合理的な美しさに満ちています(たとえば、ゲーデルの完全性定理について
書いた本を読んでみると良いでしょう)。動物の行動や生態の研究から、源氏物語も
かくやと思われるような、豊かな感情の物語を学ぶこともあるでしょう(たとえばコンラート・
ローレンツの「攻撃」など読んでみてはどうでしょう)。

もちろん、そういうものに感じる心それ自体を養ったのは、子供の頃の文系教育や芸術教育
であるかもしれませんが、「高等学校における古典教育」を欠いた人が、人生における決定的
な何かを必ず失うとは限らないと思います。それは他の部分でも代替不可能ではないと思います。

2)漢文の価値について
古の日本人が漢文を「読んだ」こと。それ自体を後追いするのが漢文という授業の目的です。
その方法論が「返り点と書き下し文」なわけで、それらの行為を通して、「漢文」は「日本の古典」
として欠かせないものなったわけです。日本の古典文学を読む上で、漢文は欠かせない…という
より、それは一つのものというべきです。漢文が「浅い」というのはとんでもない話で、それは漢文の
奥深さが読み切れてないだけだと思います。試みに岩波新書の「新唐詩選」(吉川幸次郎)なんかを
読んでみては。漢字一文字に込められた意味を読むというのがどういうことか理解できると思います。

113 :前スレ585:04/05/20 15:32 ID:kYq798nG
>高校生さんへ
私も112と同感ですね。日本の古典を読む上でというより、日本語を論じる上で漢文は欠かせないものです。古事記の序文ですでに、漢語を使うと本意が伝わりきらず、万葉仮名だと文章が長たらしくなるという日本語/中国語混交文の悩みが露呈されています。
漢文が浅いというのは日本人の視点で中国語(外国語)を見ているからかもしれませんよ。 「外来語」という言葉がありますが、「外来語」のはずの中国語は「漢語」として他の外国語と区別されているのはなぜか考えてみてください。現代の日本語の40%近くが漢語です。


114 :前スレ585:04/05/20 15:33 ID:kYq798nG
>>3
遅いレスでたいへん申し訳ない。
1)教科書または資料集がDVDまたはその他の媒体にならないと断言できる?

そりゃなるでしょう。石版がノートになったように、全員が教室でパソコンにメモをとるなんて
ことにはすぐなるんじゃないでしょうか。大学ではそうなりつつあるし。黒板はプロジェクタになり、
教科書はDVDか何かで配布されることになるでしょう。ただ、国語の授業である限り、媒体は
何であれ内容の基本は文字資料だと思いますよ。
それと対をなす音声資料および会話集、討論例など、また副教材としての画像・映像資料
その他もあると思うけど、その映像を分析するようなことにはならんと思います。

「テクノロジーの進化がこの先国語をどう変えるか」という大前提があると言われても、それは
あなたの「大前提」であるわけで、初めに言ってくれなくちゃ誰にもわからない。
(自分の前提を他人に共有してもらう努力を)「すかーっっととばしてる」のは君の方だね。


115 :前スレ585:04/05/20 15:33 ID:kYq798nG
ところで、君の言っている「国語の抜本的改革」っていうのは、例えて言えば英語の授業が
なくなってその代わりにハリウッド映画の分析をするようになるってことなの?

よくわからないのは、君は変化変化と言うだけで、どうしてその変化が起こりそうなのか説明が
ないことだ。だから前スレでも、国語は変化するかもしれない/変化しないだろうの水掛け論に
なっていた(581)。また、変化するならどう変化しそうなのか。表象文化の変化と国語教育の
変化がどう結びつくかも一切明らかにせず、ただテクノロジーが進化してるから国語も変わる
だろうと言われても話に付いていけないよ。

なぜなら、(君は否定するけど)国語は「技能教科」だと思うから。個人的には聞く、話す、読む、
書くの順で難しいと思う(日本の英語教育ではなぜか難しい読み書きばかりやらされる)。
新聞が読め、ある程度の論文が書けるようになったのはやはり中学・高校の国語教育のおかげ
ではないの?精選された文章を通じて新しい概念や思想に触れ、専門語彙を獲得し、学術的
文章や評論の文体を知っていくことが義務教育以降の国語教育の大きな目的のひとつである
ことは否定しないでしょ?
確かに今の国語教育では論理的な叙述・思考の訓練や分析という点がかなりものたりないね。
しかし、それを例えば映画の構造分析や映像技法研究で補おうというのであれば話が違うと
言いたい。問題の焦点は「言語」にあるんじゃないの?ジャンルのない「表現」というメタレベルで
話をしてもしょうがない(倫理で哲学を扱って簡単に教えてほしいとは思う)。


116 :No3:04/05/20 18:09 ID:A2Jq88Rq
えーとね。
>「テクノロジーの進化がこの先国語をどう変えるか」という大前提があると言われても、それは
>あなたの「大前提」であるわけで、初めに言ってくれなくちゃ誰にもわからない。
>(自分の前提を他人に共有してもらう努力を)「すかーっっととばしてる」のは君の方だね。

本当に「大前提を書いてなかったか」と思って、読み返したじゃないか。
まあ、前スレ読んでない人へのレス、つー意味も含めてもいちどおさらいしよう。

この話は前スレ571のNo3のレスを「大前提」として続いている話。そして、571の話はどこから続
いているかというと、569の話なのね。で、あなたの前スレ発言(570)をみると、
どうも569の比喩がサッパリ理解されなかったのを流してきたのが原因かと思った。

そんなに難しい比喩か?しかし。569でNo3が書いたのは、要するに以下のような話。

人間の脳というコンピューターにとって「言葉」は非常に重要な基底OSだし、それ無しに
人間の諸活動はできないと思われてきた。しかし、「本来は言葉に基づいていながら、
言葉がなくても扱えるように見えるOS(ダンス・音楽・ファッション等)」が、技術の進歩に
よって、手軽に誰でも扱えるものになった。(それを、DOSに基づきながらもGUIによって
「誰でも視覚的・直感的にPCを扱えるかに見せかけたWindows」とたとえたわけだが。)

だから、昔ほど「『言葉』は唯一絶対のOSである」と考える人は減っている。
人を「言語の学習」に向かわせるインセンティヴが低下しているのは、ごく自然なことであり、
言語表現力が低下しているという流れもその延長で理解されるべきことであって、
言語表現力が低下しているから、強制で基礎から練習させよ、あるいは習得の方法を変化
させることで、別種の言語表現力をつけさせよ、というのは非常に対症療法的で短絡的な解決案に過ぎない。

そういう話。569が「謎解き」とかいうレベルの内容かどうかは、これとあれを読み比べた人の判断に任せるけどね。

117 :No3:04/05/20 18:39 ID:A2Jq88Rq
以上を踏まえて >115 にレス。

まず
>「英語の授業がハリウッド映画の分析に…
「OS」という言葉の意味がわかってないから、こういうレスになるんだろうけど。
「OS」が仮に分からないとしても、せめて「思考の基底」という言葉の意味は理解して欲しい。
そうでないと、話にならん。英語は我々にとって母語ではない。つまり「思考の基底となるOS」ではない。
従って、テクノロジーの進歩から、ここまで直接に教科内容に影響を受ける必然性がない。

次に、
>今の国語教育では論理的な叙述・思考の訓練や分析という点がかなりものたりないね。
>しかし、それを例えば映画の構造分析や映像技法研究で補おうというのであれば話が違う
…悪いけど、全然違う。それも二つの点において。

一つめ。
「今の」国語教育に「論理的な叙述・思考の訓練や分析」が足りないというなら、「昔だって足りなかった」。
従って、「今の」生徒に「論理的な叙述・思考の能力」が足りないというなら、それは
「教育課程」の問題ではない。
もちろん、原因はわからないが能力が低下しているから「教育課程」でそれを補おうというなら、
それは一つの行き方ではあると思うが、根本的な原因は全く解決されてないままだ。
「昔と同じ」にやっていてはなぜ駄目なのか、それについてあなたはどう考えているのか?

二つめ。
「映画の構造分析や映像技法を研究すること」が何かにとって変わるという話ではない。
あなたが書いた言葉を使えば、国語がまさに「表現そのもの」を論じる授業になる必要がある
のではないかという話をしている。もちろんそのための最も簡易なOSとして「ことば」を教材
にするという前提の話だ。国語が「OSとしてのことば」を扱う教科であるということは何も変わらない。
しかし、そういう今言ったような視野の広さを国語教師がもてるかどうか、という話なんだ。
その視点から、授業で映像やファッションや音楽など、人間の表現活動全般を扱っても
いいだろう、というのがオレの話なんだよ。

118 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/20 19:26 ID:3ijWyXIJ
>>111-112
貴重なご意見ありがとうございます。
理系の人は理系科目によっても人格形成が可能であるということですね。
僕にとっては斬新な意見でしたが、納得しました。
僕自身生物は好きだし、この世界を支配する種々の法則を発見する喜びなどは、十分理解できます。
現在、京大の総合人間学部を志望していますが、
そこでは理系の分かる文系、文系の分かる理系が求められているので、
僕もそういう人になりたいと思ってます。

漢文については、↓に。

119 :高校生 ◆NH1LDDRw7Q :04/05/20 19:27 ID:3ijWyXIJ
>>113
貴重なご意見ありがとうございます。
やはり漢文というものは日本語の中に深く結びついているんですね。
漢文の内容に直接共感するのでなく、その漢文に触れてきた日本人の
感情を共有する、ということが大事なのでしょうか。
これからは違う視点で読んでいくことで漢文が好きなっていけそうです。
今も嫌いではないですが。


120 :114:04/05/21 21:18 ID:mBYNvAKc
>>116-117

外国語であるとはいえ言語である英語について、「我々にとって母語ではない。
つまり『思考の基底となるOS』ではない。」と力強く主張する一方で、「ダンス・音楽・
ファッション等」を擬似OSとして扱うことが可能という論理がやっぱりわからんなあ。
また、ダンスの扱いと技術の進歩がどう関係するのかもなんだかよくわからない。

英語とハリウッドの話は「例えば」と断っています。国語の話を国語で例えてもわかり
にくいと思ったので。

>「昔と同じ」にやっていてはなぜ駄目なのか、
>それについてあなたはどう考えているのか?

昔と今では生徒の「質」(いい意味でも悪い意味でも)が違うと思います。
読み書きにふれる機会が各段に減っている。君の言う音楽やダンスにふれる
機会は増えているのだと思うけど。ただ、だからと言って国語教育が古くなって
いるとは思わないし、ダンスや音楽を表現として取り入れるべきだとも思わない。
生徒の関心が向いている(と思われる)「ダンス・音楽・ファッション等」を扱わ
なくてはならないという方が「非常に対症療法的で短絡的な解決案」だと思う
けどなあ。それを「視野の広さ」と言えるのか疑問。

君の言う「表現そのもの」を論じる授業としての国語のありかたは、例えばどのような
ものになりそうなのか具体的に示してもらいたいと思う。


121 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/05/22 01:28 ID:CTM7zte1
>120 悪いけど、ホントに悪いけど、116-117をもう百回ほど読み直してくれ、としか言いようがない。
…と、それで終わったら煽ってるだけにしか見えないから、一部だけ解説するけど、あなたのレスはあんまりだ。

>昔と今では生徒の「質」(いい意味でも悪い意味でも)が違うと思います。
>読み書きにふれる機会が各段に減っている。君の言う音楽やダンスにふれる機会は増えているのだと思うけど。
あなたの書いたコレは、私が117で書いた
>>原因はわからないが能力が低下しているから「教育課程」でそれを補おう
という話と同じだ。「音楽やダンスに触れる機会が増えた」のは何故だ?音楽やダンスが、かつて無かったが今
はある、という話じゃないだろう?テレビが原因か?じゃあ、なぜこれほどテレビが普及したんだ?結局「原因」
には触れてないレスだ。それに、「テレビが原因だぁ!」と言ったら、現代社会からテレビが消えるのか?
消えないとすれば「テレビが原因だぁ!」と言うことにどういう意味がある?仮に百歩譲ってテレビが諸悪の根
源だとしても、その指摘にはそもそも意味がない。そういう一切合財をひっくるめて、
>>それは一つの行き方ではあると思うが、根本的な原因は全く解決されてないままだ。
と書いたわけだ。

>ダンスや音楽を表現として取り入れるべきだとも思わない。
これに至っては卒倒ものだ。「国語の授業で表現としてダンスを取り入れる!」!!なんのためにするんだ、そんなことw
>>「映画の構造分析や映像技法を研究すること」が何かにとって変わるという話ではない。
>>あなたが書いた言葉を使えば、国語がまさに「表現そのもの」を論じる授業になる必要がある
>>のではないかという話をしている。

ダンスや音楽を分析できないような「国語」には、生徒は魅力を感じないだろうな、という話をしてる。そもそも
>>(「表現を論じる国語」においても)最も簡易なOSとして「ことば」を教材にするという前提
という下りをきちんと読んでいるのか?と言いたい。とにかく

 読 み 直 し て く れ 。 最 初 か ら 。

122 :実習生さん:04/05/22 06:31 ID:B41/JW0P
No3氏の言いたいことを私なりにまとめてみますね。外れてたらごめんなさいよ。

 かつては言語のみが、人間の知性を表現し得た。だからこそ、昔の高校生は読書をして、
自分の日本語を鍛えるべく努力したのだ。今日においては事情が異なる。若者が自分の情
念や思想を語るときに用いる手段としては、音楽、ダンス、ファッション、漫画などさま
ざまなものがある。テクノロジーの進歩は映像をも個人的表現行為の手段とすることを可
能にした。言語は、こうしたさまざまな表現手段の一つでしかない。このような状況のも
とで、現在の高校生が国語にさほどの関心を払わなくなったとしても、それは避けようの
ない事態である。
 ここで、昔の高校生の水準にまで、現在の高校生を引き上げるべく技能の訓練に勤しん
でも無意味である。なぜならば、国語の習得に対する情熱が昔とは比較にならないほど薄
れているからだ。
 このような状況下で、なお国語教師が高校生を「国語の世界」に誘おうとするなら、高
校生が関心を抱く音楽・ダンス・ファッションなどについて、自ら語る言葉を持つべきで
はないか。言語によって、映像の意味なり音楽の位置なりがクリアに理解できる瞬間その
ものを高校生に体験させるべきではないのか。そして、それこそが読解力を養うという国
語の本来の目的なのではあるまいか。

と、まあ、こんな具合に解釈したんですがね。どんなもんでしょうか。
私としては、ここにスポーツとプログラミングも入れて欲しいところなんですがね。


123 :実習生さん:04/05/22 08:34 ID:4J3in623
なんか読みにくいスレだな

みんな改行をもっとまめにしろよ
論点を絞れよ

124 :No3 ◆4X2rb0GY3M :04/05/23 12:17 ID:pO72Db1N
>122 あなたは私の五倍は頭が良い。  まとめ乙。

スポーツとプログラミングを入れるのは賛成です。

たとえば、個人的には以前ゲーム「ドラゴンクエスト」に関して(シナリオではなくそのゲーム内で
「死」がどうルール化されているか、について)それを「ゲームプログラムとして」文学研究の立場
から扱った話を聞いたことがあります。

また、最近問題になったWinnyについて、それを、
「(P2Pがもたらす世界に関する)思想を創作的に表現した物」である、とする
主張もあります。(http://ishbash.blogtribe.org/day-20040510.html
これなどは、「プログラム言語」もまた「思想を叙述する」ことが可能だと考えた例ですね。

スポーツにせよプログラミングにせよ、それ自体は保健体育や情報で習得するにしても
そのことが持つ意味(というよりそれが意味を持つという事実自体)に言及することができる
のは、やはり国語をおいてないと思うのです。その意味で、両者もまた国語という地平の中に
含まれると考えられましょう。

125 :実習生さん:04/05/23 21:33 ID:WQCFiAp5
一度全部チャラにして実験的に高校から国語をなくせばいい。
理系科目についてはもうやってることだし。(必修が数Tだか基礎数学のみだっけ?)
数学については「これではヤバイ。」ということになるだろう。きっと。
国語はおそらくなくなっても何も変わらない。
そこから新しく始めるべきだろう。


126 :No3:04/05/23 22:17 ID:f9/MHSh8
>125
頼むから

一度チャラに「しなければいけない理由」
国語がなくなっても「何も変わらないと言える理由」
そこから新しく始める「べきである理由」

をそれぞれ考えてから書き込んでくれないか?
あるいは、せめて説明してから断言してくれないか?
じゃないと、レスする気自体が起こらないから。

127 :実習生さん:04/05/25 11:13 ID:IAAxcUCB
この反応の無さが語る。

128 :114:04/05/25 19:48 ID:fHXzE9cO
>>121
失礼失礼、たしかにあんまりな話だと思ったよ。
ただ、『国語がまさに「表現そのもの」を論じる』というレスはなんだか何通りにも
読めてしまうよ。

それにOSの比喩はやっぱりわかりにくい。「本来は言葉に基づいていながら、
言葉がなくても扱えるように見えるOS(ダンス・音楽・ファッション等)が、技術の
進歩によって、手軽に誰でも扱えるものになった」なんて箇所は誤解のもとだ。
言語のOSの位置が揺らがないのなら、ダンスその他をわざわざOSの比喩を
使って表現する必要はないでしょう。OS同士は両立しないんだから。

>>122
ありがとう。あなたの要約はわかりやすいね。「言語によって、映像の意味なり
音楽の位置なりがクリアに理解できる瞬間そのもの」の体験というのは確かに
すばらしい。

この意味では、教科書にトトロが載るというのは、トトロに関する評論が載ると
いうことなのかな?それともまな板の上の鯉としてトトロそのものを扱うということ
なのかしら?


129 :No3:04/05/29 22:33 ID:2Y6+VSPX
>128
たとえば、Windows3.1は、DOS上で動いていたのだよ…
……ということを、いちいち説明しなくてはいけない時代なのだなぁ……と感慨に耽ったり。

ちなみに、昔はじめてWindows95使ったときに、DOS窓開いて「command(DOSのバージ
ョンを確認するコマンド)」を実行したら、「Windows DOS 7.0」と表示された記憶があるな。
「あぁ、Win95も、(表に出さないだけで)結局DOS上で動いておるのだなぁ…」と感慨深かった。

それにしても、
>OS同士は両立しないんだから。
たとえばエミュレーターをイメージして貰えれば、「(基本)OS上で、(見かけの)OSが動く」
というのはごく普通のことなわけで。

ま、ここは教育板だし、「PCの基本知識くらい知っとけや」とは言わないけども、
とりあえず漏れの言いたかったことは理解していただけたですかね?
ちょっとageたり。

130 :実習生さん:04/05/30 04:20 ID:iAXK3AvU
煽るか、黙るか

131 :実習生さん:04/05/30 09:47 ID:F8EYinmq
国語教師目指してる大学一年生です。今のうちからやっておくべき勉強や取るべき資格や心掛けなど教えていただけないでしょうか? 文章を書くのが苦手です…

132 :No3:04/05/30 18:01 ID:7xiU+rub
>131
現在の所属学部(教育学部系なのか、文学部系なのか)や、目指す校種(小中高他?)
によって違ってくると思いますが、とりあえず文学系学部から高校の国語教師を目指して
るとすれば(高校スレなので)、しっかりと自分の専門フィールドを究めておきましょう、
という位ですかね。

あと、色々な種類のバイトを経験するとか、ボランティアに関わるとか、視野を広げて
おくことが、のちのちの授業のネタになると思います。とりあえず、好きなこと・打ち込める
ことを一所懸命やっておくのがいいでしょう。

話したり、書いたり、読んだり…といった「トレーニング」でなんとかなることは、ハッキリ言って
採用されてからの修練次第で対応可能だと思います。しかし、幅広い職業観や世界観を持ったり、
あるいは一つのジャンルを徹底的に勉強したりすることは、社会人になってからでは難しい。

あと、蛇足ですがそういう質問ならば、
国語教師が集うスレ
http://school3.2ch.net/test/read.cgi/edu/1057902501/

日本の国語教育
http://school3.2ch.net/test/read.cgi/edu/1017432781/
の方が適切かもしれません。一応。

133 :実習生さん:04/05/30 18:22 ID:F8EYinmq
レスありがとうございます。私は文学部日本文学科で中学、高校教師希望です。他スレへの書き込みも考えましたが伸びが悪いのでこちらのスレで質問してしまいました。 授業のネタになるようなことを意識するのは将来のために確かに大事ですね。

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