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【日本の】武士道を教育するべき【心】

1 :実習生さん:03/11/02 11:46 ID:ZgaAtBmt
根拠はいうまでもない

2 :実習生さん:03/11/02 11:47 ID:ZgaAtBmt
スレタイ間違えたよ、
「教える」だったな

3 :実習生さん:03/11/02 11:56 ID:7xAJXN5r
駄スレといふは、死ぬ事と見つけたり。

4 :実習生さん:03/11/02 12:02 ID:vaXY5XzH
>>1
日本史で扱われたり、小説の形で国語の授業に取り入れられたりしているよ。
学校で教えなくても、歴史小説や時代劇を見ればわかる。

5 :実習生さん:03/11/02 15:58 ID:YtBXdcoq
>>1
新渡戸稲造の「武士道」を指して言ってるの?
俺も本屋で見つけて面白そうだと思って買ってみたけど、
今日性があるかというと微妙だと思うよ

6 :実習生さん:03/11/02 16:18 ID:fpcqM72n
今日の若者の乱れを見ると
まさにこれが求められてる時代といえる。

7 :実習生さん:03/11/02 16:22 ID:vNNtw7DI
edu/1067741196/1わたしも、それはいい案だと思います。最近は、ちょっと甘すぎますから・・・。命がけで訓練すれば、日本人の心もかわっていくと思います

8 :実習生さん:03/11/02 19:34 ID:iuKjponf
ttp://homepage1.nifty.com/shosi-senban/busido.html
ちなみに俺は50%

>>4
「武士道」は教えてるけど、生徒が自覚しないんなら意味がない。

9 :実習生さん:03/11/04 19:51 ID:52qy+9vv
あげっか

10 :実習生さん:03/11/04 23:46 ID:jD9TOHcg
>>1 さっさと氏ね。w

11 :実習生さん:03/11/04 23:48 ID:kJn8wYyd
また、糞スレか。

12 :実習生さん:03/11/04 23:58 ID:3nBi4YRA
まず、武士道のある教員がいないけど・・・。

13 :実習生さん:03/11/05 06:27 ID:vK7u+CgN
とりあえず小学校から柔剣道を取り入れるべし。

14 :実習生さん:03/11/05 06:35 ID:lPLXC9ou
>>1
騎士道は?


15 :実習生さん:03/11/05 07:11 ID:Qg7SWm+J
>>14
似非フェミ道になる予感。

16 :実習生さん:03/11/05 18:20 ID:TuMuqf4A
>>13
それはスポーツの「武道」だよ。スレのテーマ「武士道」は思想。

17 :実習生さん:03/11/05 23:37 ID:FeznE66M
日本人は武士道だろうが!

18 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

19 :実習生さん:03/11/06 00:18 ID:s2GY7/j2
>16 武道とスポーツを一緒にするな戯け者が。

20 :小泉や石破の子供が劣化ウラン奇形児を産むことは無い武士道。:03/11/06 01:16 ID:asBjLceS
http://www.tcxpress.com/intv_01.html
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/system.htm
国のために武器を持って戦うような人間は、それだけで卑怯な犯罪者なのです。
もう戦争ができない時代になったのです。 :03/09/14 10:22 ID:kUg/7mA
ミシシッピー在住の湾岸帰還兵251世帯中67%に奇形。目の奇形、目や耳の欠落。
イラク派遣自衛隊員たちはアルファ放射線によって受けた凄まじい遺伝子損傷を
何年も何世代も何百年にも渡って日本全土にこれから拡散し続ける。
受胎された子どもは、アルファ放射線によって凄まじい細胞損傷や遺伝子損傷を受け、
何もかもおかしくなります。精液中にウランが出て、遺伝メカニズムがめちゃくちゃになっている。
兵士たちは巨大な軍事産業利権のための消耗品にすぎない。
派遣された自衛隊員も凄まじい細胞損傷や遺伝子損傷を免れることは出来ない。
http://www.angelfire.com/journal2/esashi/ir12.htm
http://www.morizumi-pj.com/iraq/iraq.html
保健物理学博士ベテラン陸軍少佐Doug Rokke氏の証言。
私たちが最初に劣化ウランの除染命令を受け、サウジアラビア北部に到着すると、
72時間以内に病状が現われはじめました。呼吸器系障害、発疹、出血、皮膚潰瘍などが、
ほとんど到着と同時に発症したのです。環境中に大量の放射性粒子が存在し、それを吸入しはじめると、
粒子は咽頭の裏側に付着します。一人目のガン患者が出ると、あとはまたたくまに広がりました。
当時、一緒に仕事をした父子がいますが、父親はすでに肺ガンで亡くなり、病身の息子にはまだ医療補償が認められていません。
湾岸戦争がはじまったとき、劣化ウランのことなど何も知らされていませんでした。
http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/siryou_jimukyokutusin0101_koyama.htm
環境を汚染したら、子どもたちが消えてしまう。もう戦争ができない時代になった。


21 :実習生さん:03/11/06 06:59 ID:XBKq1j2u
真の日本の心は帝国軍でも武士道でもなく
平安中期にあると見た!

22 :実習生さん:03/11/06 13:21 ID:JiYpzeq3
なんで現行の五千円札が発行されたとき新渡戸とはこんな人物とかいう煽りというかキャンペーンがなかったのだろうか。
>>12 比較的まともなやつは実業界官界にいくから。

23 :実習生さん:03/11/06 15:07 ID:9iuq3zEx
中央線が止まらないように切腹もちゃんと教えろよ。


24 :実習生さん:03/11/06 15:10 ID:XBKq1j2u
武士道教育がロリコン増加に貢献するなら、
武士道普及運動に加わってやってもいいけどなぁ

25 :実習生さん:03/11/06 15:41 ID:eeqTYEmt
>>1
公家道は?

26 :実習生さん:03/11/07 00:14 ID:X0jzbHDW
>>16
武道の実践は武士道の実践につながるのですよ。まともにやればね。
試合の勝ち負けだけを教えたら他のスポーツと変わらんが。

27 :実習生さん:03/11/15 20:19 ID:uBIph5Kw
つか戦前にまで、教育レベル落としたほうがいいんじゃねーの?

28 :明南OB:03/11/15 20:23 ID:fgAxT6Mh
身をたとひ、播磨の野辺に朽ちぬとも
とどめおかまし、明南魂

http://akashied.hp.infoseek.co.jp/kokuhatu.html


29 :明南OB:03/11/15 20:24 ID:fgAxT6Mh
公教育から、サヨクを駆逐する。
http://akashied.hp.infoseek.co.jp/kokuhatu.html

30 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

31 :実習生さん:03/11/15 23:48 ID:E5u24pIi
>>28
しょういんせんせぇぇぇぇぇ
ここに、あなたの辞世の句を剽窃する不届きものがぁぁぁぁぁ!

32 :桜花:03/11/18 08:47 ID:o6cUUqGd
今の時代に武士道教育とまで行くと大層な感じもありますが、
子供に道徳観念を植え付ける意味では良いかと思います。

33 :教育総監:03/11/18 12:12 ID:Xny3v/85
>>32
道徳観念を植え付けるのであれば、「マザーグース」のほうがいいと思います

34 :桜花:03/11/18 13:06 ID:o6cUUqGd
>>33
幼児には「マザーグース」はいいと思いますが・・

35 :実習生さん:03/11/18 20:15 ID:wLmzvtGJ
今日「武士道」と言われているものは、既に官僚化した江戸時代の武士の規範。
言わば公務員の綱領です。
むしろ「武道」の方にこそ教育的、精神的な意義があるでしょう。
しかしもっとも精神的な価値があると思われるのは、合理的な「兵法」ではないでしょうか。



36 :実習生さん:03/11/18 20:28 ID:qg3PySfE
「武士道は日本の道徳である」と新渡戸稲造は言った。

37 :桜花:03/11/18 23:55 ID:o6cUUqGd
柔剣道を体育に積極的に取り入れるべきだと思います。

38 :教育部:03/11/19 11:14 ID:49NOJhno
イギリスの学校では騎士道って教えてるのかな?

39 :教育部:03/11/19 16:35 ID:49NOJhno
>>37
剣道着高いよ
不況だし・・・・・

40 :実習生さん:03/11/20 00:09 ID:hcEveeZB
「武士道」「騎士道」なんてのが言われてきたのは武士(騎士)が実際には
戦わなくなってきたころからなんだよね。
民衆から見ればどっちもただの荒くれものだったわけだし。

41 :実習生さん:03/11/20 06:06 ID:nZSvcYrw
>>40
ただの荒くれ者を
公人として行動させる規範がそれらかな。

まぁそういった「道」を教えられる・体現している人が
めっきり少なくなったな。
大言だけをする人はあちこちにいるけど。

42 :藤子不二夫:03/11/20 11:38 ID:nudnGiq+
「まんが道」も教育に取り入れてもらいたいものです

43 :実習生さん:03/11/20 18:30 ID:5IrUGehd
「蛮勇」をみせることのできる人がめっきり少なくなった。


44 :実習生さん:03/11/20 22:29 ID:K3jDZW3s
銃剣道を体育に積極的に取り入れるべきだと思います。

45 :実習生さん:03/11/20 23:08 ID:LxaoOHw6
>>38
イギリスはいまでも階級があるけど、上流階級用の学校では教えられてる。

46 :暴走族総長:03/11/21 15:43 ID:Ul9kWNB+
「東名高速道」も教育に取り入れてほしい

47 :実習生さん:03/11/21 17:26 ID:Ul9kWNB+
>>45
貴族に騎士道を教えるの?

48 :実習生さん:03/11/21 18:55 ID:Cl1aF3j6
どこかで武士道を教える私塾はないかな?

49 :実習生さん:03/11/21 22:44 ID:KQ++WuSF
>>48
誰かに習うより自分で研究すれば?
その上で同好の士と議論した方が良いのと違うか。

>>8
やってみたら80%でした。

50 :青木雄二:03/11/22 00:20 ID:Ba5rg/cd
「なにわ金融道」も教育に取り入れてもらいたいものです

51 :実習生さん:03/11/22 11:36 ID:FkI1QfMe


人 間 の 心 な ん て 当 て に な ん か な ら な い ん だ


52 :実習生さん:03/11/22 13:29 ID:FkI1QfMe
武士道よりも武道習うほうがいいと思うがねぇ。

53 :実習生さん:03/11/22 15:21 ID:wT7Hm+JD
人としての"道"が養われるならなんでもいいよ。

54 :青木雄二:03/11/22 15:34 ID:Ba5rg/cd
武士道精神って強迫性人格障害の心理と類似していると思うのだが、どう思う?

55 :実習生さん:03/11/22 20:28 ID:cU/2KJUn
んなこたぁない

56 :実習生さん:03/11/23 05:11 ID:5XOfGJEy
>>54
具体的にどうぞ

57 :大和ナデシコ:03/11/23 05:54 ID:0TV18WSK
武士道だけではなく、道教の古典(老子・荘子等)を読んで討論する、
茶道、書道、柔道などのカリキュラムを充実し、選べるようにするべき。

58 :大和ナデシコ:03/11/23 05:57 ID:0TV18WSK
もまえら! ちゃんと宮内庁HPを見ていますか! とても美しい日本のHPです!
http://www.kunaicho.go.jp/03/d03-01.html#DENTOU

59 :実習生さん:03/11/25 00:01 ID:6nWmFXOz
>>57
日本の武士道は神道、仏教、儒教その他の哲学が混ざり合って日本の中で昇華されたものだよ。
その中には道教も入っているかも知れないが、それにこだわるのは良くないよ。
例えば中国の武術は道教と深い関わりを持つものも少なくないが、彼らは”道”なんて
言葉は使わないだろ?

下手したら武士道の原型は古代支那から伝わったものだなんて勘違いされかねないぞ。

60 :実習生さん:03/11/26 16:32 ID:YmWxKvdN
武士道の様な道徳と言うものは大前提が必要で
タイトで包括的な共同体が無いと機能しません。
社会が成熟して価値観が流動化し
共同体の輪郭が曖昧になったり細分化した日本で
武士道を教育しても落ちこぼれた者はそこから降りてしまうので
何の意味もありません。
ガキの方が感性が鋭く現実に適応してしまうのです。
大人は年齢を重ねる程現実にシンクロ出来なくなる訳で
心の隙間を埋め合わせる為に観念的になってしまう。
実は弱者は大人、強者は子供だったりする。
なのに何の優位性もない大人が
「お前等ガキを保護してやる、育成してやる、武士道を教えてやる」
って脆弱な自尊心を守る為に偉そうに言い張る。
子供達からみて依存的尊厳を持っている人間は見苦しいです、端的に。
成熟社会ではこういうことが起こるわけ。
つまり、自立的尊厳を持っている人間とは違って、
依存型尊厳を持っている人間、
例えば、もし自分が武士であることを尊厳のリソースにしている
人間がいるとすれば、封建制度がどんなに不合理なものであっても、
その封建制度の存続に固執することになります。
なぜならば、それが彼の尊厳の糧であるからです。
しかし、成熟社会では、いろいろな組織、システムは流動的にならざるを得ません。
何がいいのかということを絶えず検証しながら新しいシステムに変えていく必要があります。

61 :実習生さん:03/11/26 18:55 ID:fsANcU9f
>>60

>自分が武士であることを尊厳のリソースにしている
この辺で武士道を誤解しているような気がする。

62 :実習生さん:03/11/27 03:29 ID:/AL3fvWp
>>61
自分が武士道精神を持っていることを尊厳のリソースにしている
と言った場合、武士道を誤解していると考えられるが
武士であることを尊厳のリソースにしていると言った場合は構わないんじゃ無いの?

63 :実習生さん:03/11/27 04:22 ID:tiLZyBpL
武士道より江戸時代の教育理念に基づいた教育をするべし。
江戸時代における手習塾(寺子屋)や学問塾や藩校は
どの師匠を選択するかはあくまでも学ぶ側にある 。
制度としてではなく一種の人格的関係としての教える者教えられる者の関係である。
それ故手習塾における学習法は、個別の学習と指導、そして自学自習である。
また師匠は手本を示すだけで、言葉で教えるのではなく学ぶ者がそれを模倣し習熟する。
個人の試行錯誤が 学力を高める最高の糧となるのである。
つまり、教師は教育してやると言う考えを捨て
学習する事をサポートしていくのだという考えです。
実はこれは84年から89年の臨時教育委員会で決まった事で
学習する側本位で考え自主性、自発性を尊重する発想に立とうと言った結論が
どう言う訳か「ゆとり教育」になってしまったのは不思議でならない。

64 :実習生さん:03/11/27 07:47 ID:8IUZGsmH
>>62
>依存型尊厳を持っている人間、
>例えば、もし自分が武士であることを尊厳のリソースにしている
>人間がいるとすれば、封建制度がどんなに不合理なものであっても、
>その封建制度の存続に固執することになります。

上記の文脈からじゃ「武士であることを尊厳のリソースにしている」と言った場合
悪徳政治家も、政治家だっていうだけで偉いと思っているのと変わらなくなると思うよ。
まあ、中身が無くても役職に固執して偉いと思っているって言い方かな。

武士道はあくまで武士の有るべき姿の行動規範、もしくは道徳だからね。
武士が如何に偉いかを論じてるようなものじゃないし、武士の中身の問題だと思うよ。

65 :実習生さん:03/11/27 08:50 ID:2Yox8pR/
>>63
欧米(と言っても実は各国で違うようだが)がそういった形式なのかな?
NHKでは北欧(フィンランド)を紹介していたね。

結局、そうした教育をしたくても、それなりの教師の量と質、カリキュラムや
メソッドのリソースの豊かさが無いとできないんだよね。
日本はそうした側面は受験と部活に偏重して発達しているからな・・・。

66 :実習生さん:03/11/27 16:06 ID:EyQWmjTB
>>64
>悪徳政治家も、政治家だっていうだけで偉いと思っているのと変わらなくなると思うよ。
そういう事。
既存の学校教育では武士道を教えようが教えている人間が
そうなってしまう可能性がかなり高いので効果は期待出来ない。
江戸時代の教育がそうであった様に子供が試行錯誤する環境が無ければ
武士道を教えてもしょうがない。
子供が試行錯誤する環境ができれば自然と倫理観が身に付くので道徳を教える必要も無くなる。
まず、満員電車に一緒にいる必要の無い人間を押し込んだような教室で
詰め込み教育なんてやったらストレスがたまるのは当り前だし心が荒れるのも当然。
教えるモノが武士道であってもそれは回避出来ない。

67 :実習生さん:03/11/27 16:46 ID:8IUZGsmH
>>66

>子供が試行錯誤する環境ができれば自然と倫理観が身に付くので道徳を教える必要も無くなる。
これはちょっと極端でしょう。
やっぱり倫理とか道徳とかは子供の頃から親とか大人に躾られる部分も多い筈だから。

武士道も現代では通用しない部分もあるかも知れないけど、一方やはり現代にだって
通用する部分もあると思う。
ただ、宗教をやっている人間にも多いが、自分がそれを信仰している、知っている
というだけで実践も出来てやしないのに自分自身が偉くなったと勘違いする人間が
出てくるが、そういうのが出てくるのが問題だということなんでしょう。

それでも、触れる機会がなかった人間に、そういう倫理体系もあったと紹介し
内容に多少触れる事は悪い事じゃ無いと思う。

68 :実習生さん:03/11/28 05:48 ID:Sq4DBVbu
江戸時代には倫理観は日本に無い唐から入ってきた感覚
「からごころ(唐心)」と言って嫌われていました。

武士道の内容に共感を覚える気持ちは解りますが
それが万人に共通するモノだとは思わないでください。
まずバックボーンを調べる事が大切です。
63と66で説明した様に当時の教育で倫理観を身につける事は容易に出来たのですけど
そのままでは当時の封建制度の武家社会を生き抜く事が出来ない為に
倫理を社会の価値観に合わせて加工しなおし武士道(道徳)にする必要があったのです。
そして素のままの倫理観は何処にも帰属しない説得力の無い感覚として嫌ったのです。
当時の教育と社会観があったからこそ武士道の教義が説得力をもった事を知らないで
内容だけ知っても伝統的な日本の心を理解した事にはなりません。
現代では社会が成熟した為に価値観は流動化、細分化してしてしまい
誰もが同じ感覚を共有する事なんて有り得ない上に
大切なモノが突然意味の無いモノとなってしまう事なんて容易に起こりうるようになりました。
子供達が武士の魂を宿したとしても野武士となってしまう可能性が高いのです。

武士道はサブカルチャーとしては素晴らしいのですが学校教育に採用する事は反対です。

69 :実習生さん:03/11/28 09:38 ID:rVXYUZIy
先ずは一例として「からごころ」参考URL
http://www008.upp.so-net.ne.jp/bungsono/Bunsenkaku/4.html

江戸時代、儒学をはじめとした様々な漢書が武士を統治するために研究されたのは事実。
しかしながら武士道の内容は時代により変遷しており、特別な教義が有るようなものではなく
ただ、後の時代に武士の倫理観の一般的であったであろう事柄に名付けられたものと言える。
(鎌倉時代、戦国、江戸期では、必ずしもその道徳観が一致するわけではない)
また、江戸末期には本来の儒学自体否定的に捉えられる事も多く、日本独特な形として
変化していったようです。

道徳以外の面でも安土桃山時代に入ってきた諸外国の文化物品を江戸封建時代に
独自に昇華して日本独自の文化を創りだしている。
というわけで武士道の倫理観が単純に「からごころ(唐心)」というものではない
ということが解ると思います。

もっとも、「からごころ(唐心)」と言って嫌っていたのは本居宣長や一部の人間で
必ずしも一般的にそうであったと言うわけでもないですけどね。
宣長自身、日本人は1000年のくびきの中でそれと知らず影響を受けていると
言っているんですから自覚のない方が普通だったようです。
その宣長も、「天に沿う」ということを第一に挙げた山岡鉄舟の『武士道』を見て
「からごころ」なんて言う事は無かったでしょう。

70 :実習生さん:03/11/28 09:39 ID:rVXYUZIy
また、代表的な武士道に関する書物には「仁」慈しみの心を持つとか「誠」他人には
誠実であろうとか言う事が大抵書いてあるわけですが、それらの事も現代には
全く通用せず、教える価値もないというような意見は、私には理解しかねます。
それらが価値が無いとすれば、道徳も倫理も必要無いと言っているのも同じでしょう。

昔の人間も、今の人間も人の親になれば責任と義務が生じます。
それ以外にも政治家や官僚、会社の役員になる人もいるでしょうし、その人達も
その立場に見合った責任と義務が生じます。
それらをどの様に果たすべきかと言う点に於いても、かつての武士の倫理観を
探る事は無駄ではないと思うし、将来そのような立場に立つであろう子供達に
教える事に価値がないとは言えないでしょう。

まあ、一方であんまり正直すぎると馬鹿を見るから止めておけ、というのも
現代の真実ですが、こんな事だけ教えていたら将来は暗いと思いますよ。

71 :実習生さん:03/11/28 23:02 ID:e4z8jMYn
新渡戸さんの武士道、葉隠、学問のすすめを読みたいんだけど、どの本がいいかな?
文庫本とかいくつかあるけど、訳者によって微妙に違いそうだからちょっと聞いてみたいっす。

72 :実習生さん:03/11/28 23:09 ID:GRpv6dVh
>>70
道徳、倫理、責任などを語るときの参考として、武士道の話を使うのは
テクニックとしては「あり」と思うけど、現代の社会や企業などの組織での
責任や倫理を規定するときは、現代の発想と言葉とで明確に表現すればいいだけのことなので、
わざわざ武士道を引用する必要はない。

73 :実習生さん:03/11/29 00:19 ID:r4WeMeEC
>>72
その通りだけど道徳の歴史の一環として教えてもおかしくないでしょう?
哲学(今でも学校で教えているのか?)の時間でもギリシャ哲学あたりから始めていたし。

>>71
新渡戸さんの「武士道」は岩波文庫の矢内原版が有名で名文と言われているけど
現代人には少し読み下すのに苦労する部分があるので三笠書房あたりのが読みやすい。
他にも良さそうなのがあったけど出版社を覚えていない。
原文英語付きの訳本も有るが、訳文が堅い調子で書かれていて、英語の勉強をするには
良いけれど読むぶんにはあまり良いとは思わなかった。

何にせよ自分で手に取って見てから判断すると良いと思うが、哲学、思想関係の所に
無かったら武術関係の書籍のコーナーに置かれている事も多いので立ち寄ってみるといいよ。

ただ、この本は人によってはキリスト教的道徳を、あたかも日本が古くから有ったように
書いているだけで本来の武士道とは違うという人間もいる。
(自分はそうは思っていないけど)

葉隠は面白い面もあるけれど、書かれた当時から奇書として扱われていて
内容が武士の一般的な姿であるとは必ずしも言えないので注意が必要。

学問のススメは読んでいないので判りません。

74 :実習生さん:03/11/29 06:29 ID:SJNEmoVp
>>70
> また、代表的な武士道に関する書物には「仁」慈しみの心を持つとか「誠」他人には
> 誠実であろうとか言う事が大抵書いてあるわけですが、それらの事も現代には
> 全く通用せず、教える価値もないというような意見は、
ひどい勘違いですね.
まず倫理と道徳の違いがわかっていないようです。

http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/freiheit/Freiheit12.html
倫理とは、自由である。そして道徳とは、強制である。
あるいは、倫理とは自律的なものだが、道徳とは他律的なものである。倫理的行為は、内的直観によって欲求されるが、道徳的行為は、外的規範を参照して課せられる。

>>69
武士道の倫理観とは結局のはなし道徳を示すモノで
唐心とは人としての倫理観です。

「倫理」とは異なる共同体に属する人たち、あるいはどの共同体にも属さない人たちが、
互いに侵害しあわないで共生するための、ルールや想像力の領域のことを言います。
「道徳」とは同じ共同体に属する人たちが、
互いに侵害しあわないで共存するための、ルールや想像力の領域のことを言います。

>>68をもう一度読みなおしてください。

75 :実習生さん:03/11/29 07:12 ID:FSsseBjf
>>70
結局、武士道の内容以外何も知らないから
道徳的概念は現代社会では脆く崩れやすいと言っただけで
現代には全く通用せず、教える価値もないと言っていると
思い込んでしまうのでは無いでしょうか?

>昔の人間も、今の人間も人の親になれば責任と義務が生じます。
>それ以外にも政治家や官僚、会社の役員になる人もいるでしょうし、その人達も
>その立場に見合った責任と義務が生じます。
そこまでが道徳の領域です。
現代では親として、子としてといった関係とか肩書きや所属なんて言うモノを
突如失うなんて事は日常的です。
それらを全て失ったとしても自分がその社会で生きるべきか
あるいは社会との関係を秩序を守り維持するべきなのか。
それでも自分の実存的存在価値を認める事ができるか?
ここからは倫理の領域です。

所属集団のなかだけでの戒律的な道徳だけでモノを考えても不毛なのです。
更に踏み込んで考えてあげなければ子供達は人生をリタイヤしてしまいます。
武士道の教義を読んだだけでは補いきれないのです。
自己責任を持って行われた試行錯誤によって
慈しみの心を持ったり誠実であろうと思える教育が必要なのです。
そして自ら武士道に興味を持てる様にならないと何の意味もないのです。
強制で武士道を教えても不毛なだけです。


76 :実習生さん:03/11/29 07:56 ID:eL3ySnDq
だいたい慈しみや責任なんてものは
他人との関係によって何かを達成出来るという
実感があって身につくものであって
教えられて身につく物ではないよ。

77 :実習生さん:03/11/29 08:49 ID:/ie5D+9Q
武士道!?
やめなさい。
↓こうなるから。
「大阪市住吉区の市立中学校で今年4月、2年生を担任する男性教諭(54)がホームルーム中に、模造の日本刀を持ち出して男子生徒の首に切りつけるしぐさをしていたことが23日、わかった。
この教諭は「生徒に礼儀作法を徹底するための小道具として使った」と釈明したが、学校側は「模造刀とはいえ、人を切るための武器を使った行為は、子供たちに悪影響を与える」として、この教諭に厳しく注意した。
学校側の説明によると、教諭は4月1日付で同校に赴任。生徒との初顔合わせとなる同月9日午前8時50分からのホームルームで、お辞儀の仕方を教えようと、男子生徒1人を前に呼び出した。
教諭は「お辞儀で頭を深々と下げるのは、首をゆだねるぐらいの気持ちを相手に見せるということだ」などと話し、模造の日本刀(全長約1メートル)を持ち出してさやから出し、頭を下げた男子生徒の首に刀を振り下ろす動作を約40人の前で見せた。
教諭は、模造刀であることは生徒たちに説明していたが、鉄製で真剣のように見えるものだったという。
2日後に、PTA役員が「担任教諭が教室で日本刀を振り回しているとの話がある」と、学校側に連絡したことから発覚した。
学校側が事情を聞いたところ、教諭は「日本の心を教えたかったが、行き過ぎがあった」とし、生徒には「礼儀作法を伝えたかっただけだった」などと改めて説明し、謝罪した。
教諭は武道に興味があり、趣味で模造刀を所持。赴任後、学校に持ち込み、この問題の発覚後は自宅に持ち帰ったという。
校長は「子供たちは、模造刀を見ただけでも動揺する。教育上の配慮に欠けた行為で、今後、決してこういったことがないようにしたい」と話している。
学校側から連絡を受けた市教委は「教育現場に持ち込むようなものではなく、指導方法も威圧的」として、校長に教諭を注意するよう指示したが、生徒たちにけがや不登校などの影響がなかったことから、懲戒処分は見送ったという。
(10月24日 yo身売り新聞)


78 :実習生さん:03/11/29 15:45 ID:6NJV7Hj0
武士道のなかでしょうがい者はどういうあつかいになっていますか?

79 :実習生さん:03/11/29 16:11 ID:FVitdzsK
武士道では、仁義礼智信を重んじる。
中でも仁義を重んじる。

仁とは慈しみの心、
義とは正しいことを勇気を持って行う心。

ま、今では仁義といえばやくざの挨拶だけどね・・・

80 :実習生さん:03/11/29 18:14 ID:r4WeMeEC
>>74-75
リンク先を読ませて貰いましたが、貴方もしくはキリスト教的道徳観と日本の
伝統的と思われる道徳観とは違うと思われる部分が有るようです。
>善を為すことを喜びと感じるよう努めよ
あるいは
>汝隣人を愛せよ
と言ったように感情を強制するようなことをキリスト教的道徳観は教える。

一方、普通日本では「相手の気持ちになって考えろ」ということを言われ
想像力を働かせる事を求め、道徳の根元を必ずしも過去の事例に求めない。
>道徳的想像力こそ、自由な精神にふさわしい行動の源泉である。
とリンク先に書かれている事を考えれば、貴方の言う道徳観との違いが
判るでしょう。

もっとも、個人の道徳観の始まりは幼少時期からの刷り込みによって
成される点では大した違いではありませんが、前者はそれを理性に
訴えかけ感情をコントロールすることを求め、後者は感情の同調を
求める事でそれをなそうとしているところが違いでしょうか。
まあ、どちらも個人に行動、行為といったものを求めている点では同じなので
もしかしたらこれをもって強制的とか他律的と言っているのかも知れませんね。

また、倫理という言葉も古典の「礼記」の一節が語源となっていますから
西洋のそれとは微妙に違うのかもしれませんが、道徳と倫理を分けるとする
ならば、先ほども言ったように道徳は個人に行動、行為といったものを求める
のに対し、倫理は社会通念上それが正しいとされている規範そのものと言っても
良いかも知れません。
規範は、ただそこに規範として示されているだけで、それを守るも守らないも自由という点で
倫理的行為は自発的欲求によってなされるもの、自由あるいは自立的と解釈出来るでしょう。
そしてこれは「道徳的想像力」があって初めて成されるものという解釈が出来ると思います。

「からごころ」に関しては、それは貴方だけの解釈ですと言っておきます。
もう一度調べて直して下さい。

81 :実習生さん:03/11/29 18:15 ID:r4WeMeEC
>所属集団のなかだけでの戒律的な道徳
「武家諸法度」のみが武士道であるというような解釈で、武士道に関する書物は
読まれていないように感じる発言ですね。

また、人間が真に個として生きる存在なら、倫理も道徳も必要ないでしょう。
他者との関わりにおいて初めてそれらが必要になります。
社会の最小単位は家族にありますが、その家族が集まり、ある種の共同体になり
その共同体が集まり、さらに大きな共同体になる。
限られた共同体の中で
>互いに侵害しあわないで共存するための、ルールや想像力の領域のことを言います。
が道徳ならば、ちょっとした意識の変化で自分の所属している共同体のサイズが
変化してしまうので、同じような事が道徳になったり、倫理になったりしてしまう。

例えば、共同体として国家と言うものを考えると、国内で
>互いに侵害しあわないで共存するための、ルールや想像力の領域のことを言います。
というものは全て道徳であり、倫理ではないと言う解釈が成り立ちます。
そんなわけは無いですよね?

私の感じでは、貴方が参考にあげたULRに書かれている道徳、倫理というものと
貴方自身が述べている道徳、倫理というものとは大分違うように思います。

>>76
何事も無自覚であることと、自覚されているのでは大きく違うと思います。
親が子供に何かを言い聞かせたりするのは無意味でしょうか?
「可哀想だから止めなさい」「もうお姉さんなんだから○○○」とか言って
自覚を促すのは必要ありませんか?

82 :実習生さん:03/11/29 19:50 ID:VzF/7PPf
>>1にフィンファンネルを射出する!!

83 :実習生さん:03/11/29 22:11 ID:/ies8/xc
ガノタウザいよ。

84 :実習生さん:03/11/29 22:34 ID:NBZtDQvt
>79
やくざの「仁義」とは、お辞儀の「辞儀」がなまったもの。
儒教(そしてそれを取り入れた武士道)で言うところの「仁」や「義」とは、実は全く関係ありません。


85 :実習生さん:03/11/29 22:57 ID:Sp8+enwm
武士って人口の5%ぐらいだったんでしょ?ここに書き込んでる奴のほとんどは農民の子孫じゃねえか。


86 :実習生さん:03/11/29 23:45 ID:Y2K1hAJf
>>85
下級でしたが、武士の子孫です。

87 :実習生さん:03/11/29 23:51 ID:I+vs2awS
公家でしたがなにか

88 :実習生さん:03/11/30 10:27 ID:xdz/Mr5J
誰か武士道ヲタに隣人愛の意味を教えてやって下さい

89 :実習生さん:03/12/01 06:49 ID:oeVet9O4
武士道の考え方では、障害者はどのように位置付けられていますか?

90 :実習生さん:03/12/01 09:56 ID:cr5rFe0S
>>80-81
>規範は、ただそこに規範として示されているだけで、それを守るも守らないも自由という点で
> 倫理的行為は自発的欲求によってなされるもの、自由あるいは自立的と解釈出来るでしょう。
>そしてこれは「道徳的想像力」があって初めて成されるものという解釈が出来ると思います。
これを「道徳的想像力」とするのはこじつけですね。
あまり自分の主観で物事を考えない方が良いですよ。

【倫理】とは広辞苑で引いてみますと
人倫の道。
実際道徳の規範となる原理 とあります。
道徳。
とあります。
【人倫】を広辞苑で調べると
人。人間。人々。人類。客観化された理性的意志。その実体は家族・市民社会で・国家で道徳性を超える存在と立場とされる。
【道徳】を広辞苑で引いてみますと
人のふみ行うべき道、ある社会でその社会に対する、
あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、 一般に承認されている規範の総体。
法律のような外面的強制力を伴うものではなく、個人の内的な原理。
今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度もこれに含まれる。
【道徳意識】
人間の行動に付いて正邪善悪をしり、また正善を思考し邪悪を退けようとする精神。
良心と同じ意味に解されるが、良心は自己の行為や心情に関係する者であり
道徳意識は自他を含めた社会全体にも関係する物で、良心とは同じでは無い。

規範は、ただそこに規範として示されているだけで、それを守るも守らないも自由という点で
倫理的行為は自発的欲求によってなされるもの、自由あるいは自立的と解釈出来るでしょう。
そしてこれは「人間の持つ感受性から来る想像力」があって初めて成されるものという解釈が出来ると思います。






91 :90:03/12/01 10:15 ID:XFdU4z0o
書き終わった後で大きな間違いに気がつきました。
「道徳的想像力」と「道徳に基づいた」想像力を混同していました。

規範は、ただそこに規範として示されているだけで、それを守るも守らないも自由という点で
倫理的行為は自発的欲求によってなされるもの、自由あるいは自立的と解釈出来るでしょう。
そしてこれは「人間の持つ感受性から来る想像力=道徳的想像力」があって
初めて成されるものという解釈が出来ると思います。

>>80の言っている事も「道徳的想像力」と「道徳に基づいた」想像力を混同していますね。

92 :90:03/12/01 11:04 ID:XFdU4z0o
>>81
>が道徳ならば、ちょっとした意識の変化で自分の所属している共同体のサイズが
>変化してしまうので、同じような事が道徳になったり、倫理になったりしてしまう。

まあここが日本の抱える大きな問題でしょうね。
日本の伝統的概念に近代的な「公」という感覚が無いんですよ。
近代的な「公」の概念とは共同体の事では無いのです。
「公」を共同体のことだと考える見方は近代社会では非常識そのもので
個人、叉は人々のもつ世界観と言った方が妥当だと思います。
からごころといった倫理観を嫌う伝統はあるのですが
公と言った伝統的概念が無い為に倫理観に基づいた伝統は日本には無いのです。

明治維新の後、国民の意識を統合する為にキリスト教の「隣人愛」をまねて
浅見絅斎の『靖献遺言』と栗山潜鋒の『保建大記』 なんかを基に伊藤博文が作った
「天皇の赤子」「一君万民」という教義があります。
キリスト教の「隣人愛」の教義は日本人が誤解しがちなのとは違って、これは「親を捨てよ、故郷を捨てよ」という内容を持ちます。
親密な人達を愛するとか家族を愛するのは、単なる自然感情でエゴイズムにすぎないというわけで
そうではなく、自分に石つぶてを投げる人間、自分をつき転ばす人間、
自分を殺そうとする人間をこそ、愛しなさい、というが「隣人愛」
つまり、自分が属する共同体の外側の人を愛しなさいと言うのが隣人愛です。
そして、「天皇の赤子」「一君万民」というのは万人が天皇の赤子だから
皆平等であると言った物で当時のムラ、やイエといった内輪意外に感心が無かった
ほとんどの日本人に「公」と「倫理」を意識させるといった動機付けに繋がり
社会の近代化に成功したのです。
今の日本にはそういった感覚は無く戦後は「豊かな生活」を目指すと言った国民的目標が
道徳意識に対する動機付けになっていたのですがそれも達成してしまったのが現代です。

93 :90:03/12/01 14:41 ID:wY0ba2KV
>>81
> >所属集団のなかだけでの戒律的な道徳
> 「武家諸法度」のみが武士道であるというような解釈で、武士道に関する書物は
> 読まれていないように感じる発言ですね。

この場合、所属集団のなかだけでの戒律的な道徳とは
学校で教え多場合の道徳(武士道)を指しているんだけど。
まあ、子供の視線に立って考えてみると問題が見えてくると思う。
何故武士道に従わなければならないのかと言う動機付けが無いといけない訳なんだけど。
個人個人が自分の良心をきっちり自覚し武士道に共感すればそれは立派な動機付けとなるでしょうが
良心をきっちり自覚出来ていない為に武士道に共感出来ない子供の方が多いかもしれません。
むしろ、学校で守らなければいけないというから武士道に従うという子供の方が多いでしょう。
その後がさらに問題で、例えば躾が厳しい学校や家庭で育った場合
現実社会はそこそこルーズであるのに「何故私達だけが割りを喰わなければならないんだ」
という自然感情からむしろ道徳から外れていくと言う事もおこっています。
つまり道徳的想像力が育つ必要となるんですけどこれは広辞苑で「道徳的」を調べると
「道徳にかなっている」とあることから、道徳的想像力は社会通念的に善とみなされる想像力であり

    道徳的想像力=倫理→(変換)道徳

と考えるのが妥当で私の言う道徳とは何の矛盾もありません。

94 :実習生さん:03/12/02 15:47 ID:qKuDBeCR
http://school.2ch.net/test/read.cgi/edu/1046019841/l50
戦前の教育について

95 :実習生さん:03/12/02 21:02 ID:qKuDBeCR
>戦後は「豊かな生活」を目指すと言った国民的目標が

経済的なものを求めることが道徳といえるのだろうか・・

96 :実習生さん:03/12/03 03:15 ID:ayftOC1L
経済的なものを求める事が道徳を守る動機付けになったって事でしょ。

97 :実習生さん:03/12/03 15:53 ID:q2jLsqO/
http://society.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1070434146/l50
まもなくイラクで自衛官が戦死する可能性が高いと思います。
私は派兵には反対ですが、派兵された場合、戦没者は国家的に慰霊されなくてはなりません。
ところが、最近、GHQ憲法を鵜呑みにしている連中のせいで訓練中に事故死した兵士も護国神社などに祭られなくなってきています。このままではイラク戦線で戦死した自衛官も同じ事になります。これは由々しき事態です。
今こそ戦没自衛官を靖国神社・護国神社に祭る国民運動を展開しましょう。


98 :実習生さん:03/12/04 02:37 ID:cnYRxUGO
>>90-93

>>80の言っている事も「道徳的想像力」と「道徳に基づいた」想像力を混同していますね。
違います。下記をもう一度読んで下さい。
>一方、普通日本では「相手の気持ちになって考えろ」ということを言われ
>想像力を働かせる事を求め、道徳の根元を必ずしも過去の事例に求めない。
もう一つ
>個人の道徳観の始まりは・・・後者は感情の同調を求める事でそれをなそうとしている
「道徳に基づいた」想像力は過去の知識から推理するもの。
「道徳的想像力」は共感という感情から導かれるもの。
という解釈です。

>>規範は、ただそこに規範として示されているだけで、それを守るも守らないも自由という点で
>> 倫理的行為は自発的欲求によってなされるもの、自由あるいは自立的と解釈出来るでしょう。
>>そしてこれは「道徳的想像力」があって初めて成されるものという解釈が出来ると思います。
>これを「道徳的想像力」とするのはこじつけですね。
貴方の言う”これ”とはどれですか?
上記の参照部分では「道徳的想像力」について私は何も説明していません。

あらためてリンク先を読み返してみると、道徳的想像力は過去に類例を求めない。
倫理行為は完全に自由である。
というのは、所属する社会集団において、自らの欲求に従い最適な社会行動が
できるということを表しています。
そして、その行動は自らの欲求に従う結果であるので、過去に規範を求めることもなく
それ故に完全に自由だと言っているようです。

ということは、私が過去の規範に従うかどうかが自由というのは、結局は過去の規範に
拘っていることになるので彼らのいう自由とは違うし、私の言っている倫理は道徳と
大した差がないのです。

99 :実習生さん:03/12/04 02:38 ID:cnYRxUGO
つまり
>規範は、ただそこに規範として示されているだけで、それを守るも守らないも自由という点で
> 倫理的行為は自発的欲求によってなされるもの、自由あるいは自立的と解釈出来るでしょう。
を肯定しているという事は、彼らのような分類を、道徳と倫理について行なっていないことになります。
このことから貴方の言う道徳や倫理の分類が彼らと違う事がわかります。
広辞苑では貴方が抜粋したように倫理と道徳を特に分けていませんから、貴方の論理の拠り所と
したところで、彼らの解釈と食い違うのは当然でしょう。

ただし、私はシュタイナーの考え方にさほど賛同出来ません。
なぜなら人は生まれ落ちた瞬間は人という名の獣に過ぎないと思うからです。

例えば「アヴェロンの野生児」や狼少女は社会的に人とは言えないが、これは人との接触が無く
動物のなかで生きてきた事によります。
では人との接触が有ればどうか?
チャウシェスク下のルーマニアで親の居ない子供を集めた施設があったが、共産政府の終焉の後
そこに見たものは、やはり社会的には人とは呼べないようなものでした。
サイレント・チルドレンというものが知られるようになった元です。
これは、他の人間(子供)と一緒であっても社会的に人とは成り得ないことを示しています。

では社会的に人となるためにはどのような経過が必要なのでしょうか?
それは親や、それに代わる存在との交流があって初めて成し遂げられると考えられます。
母親が、自分が産んだ子供を可愛がるのは本能のなせる技かも知れませんが、同時に子供も
親を真似るという行動を起こします。
この真似るという行為が社会的行動の基礎になると考えられますが、真似られる対象の親の行動は
過去の経験や知識によっても生み出されています。つまり

「共同体での最適な行動を直感のみで判断し自ら望んで行動する事。」
等というのは社会的行動の基礎の上にあって初めて可能となるものと考えられますが
その基礎さえも過去の事例と無関係ではいられないと考えられるからです。

100 :実習生さん:03/12/04 02:39 ID:cnYRxUGO
>「公」を共同体のことだと考える見方は近代社会では非常識そのもので
>個人、叉は人々のもつ世界観と言った方が妥当だと思います。
これは私には少し理解しづらいところがあります。
世界観とはどのような世界観でしょうか?

共同体のいうのは単なる形態で、公とは違うでしょう。
公は言ってみれば人の意識の総体とでも言うべきものでしょうか。
そこに人の意識があって初めて公になる。
しかし共同体が単に形態を表した言葉でも、共同体意識となれば話は違います。
そこに意識が伴う事によってそれは公的意識と類似のものとなる。
違うとすれば公的意識があらゆる共同体意識の上位概念となると言ったところでしょうか。

では、この上位概念となる共同体意識(公的意識)は日本に全くなかったのでしょうか?
封建社会のかつての日本では、身分制度が敷かれていましたが、そのなかでそれぞれの身分の
役割を説く事があった。
ということは、それ自体がそれぞれの身分を一纏めにした大きな共同体としての意識が
あったという事になります。
それ以前に仏教に至っては、生命が一つの集団であるということを説いてまで人の倫理観に
言及していますね。
つまり、日本にも公の意識は有ったし、倫理観に基づいた伝統も有ったと言う事です。
ただし、そのような事を知識として知っていたのは一部の人でしょう。

では、多くの人々はどうだったのでしょうか?
日本は「恥の文化」であるといったのはベネディクトですが、この恥という感覚は個人に
相対する世間があって初めて機能するものと言って良いかと思います。
そしてその文化は日本全体を覆っていた。
言い換えれば、日本人の多くは、無意識であっても世間というものを肌で感じていたと言える。
公というものが世間と同意義のものならば、当然日本に公の意識があったという事でしょう。

と言っても辞書を引けば「公」は「国家または社会。世間または衆人。」とありますが
近代的概念の「公」が国家意識というものを指すのであれば、それは無かったでしょうね。

101 :実習生さん:03/12/04 02:40 ID:cnYRxUGO
>キリスト教の「隣人愛」の教義は日本人が誤解しがちなのとは違って、これは「親を捨てよ
>故郷を捨てよ」という内容を持ちます。

>自分が属する共同体の外側の人を愛しなさいと言うのが隣人愛です。
私の解釈では、共同体の外側の人を愛せという事ではなく、人の意識を小さな共同体で
留まることなく、現代で言えば、生命全体という共同体にまで引き上げる事が
「隣人愛」の本質だと思っています。

”父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせる”
”あなた方の父が完全であるように、あなた方も完全に成りなさい”
これはマタイによる福音書からの抜粋ですが、親密な人達や家族を愛するように他の者も
愛せと言っているのであって、特定の者に重きを置くなと言っているだけでしょう。
まあ、人は誰でも誰かにとって特別な存在に成りたがっている部分が有りますから
その心情を考えれば平等に扱われる事自体が、近しい人に捨てられたと解釈出来るかも知れません。
(「皆が皆がなんて言うけど、私はどうでもいいの?」なんてね・・・)
天の元に平等であると言う解釈は洋の東西にかかわらず存在した考え方でしょう。

ようするに、地球船宇宙号とか人類皆兄弟というのはその現れではないでしょうか?
もっともキリスト教が人類皆兄弟などと言っているかは知りませんし、カトリックと
プロテスタントでも違って来そうですね。
”人は生まれながらにして救われる者と救われない者が決まっている”
なんて言うことも有るくらいですから。
それに、私が読んだ聖書は訳本なわけで、写本によっても違う解釈が出て来てもおかしくは
ありませんが。

102 :実習生さん:03/12/04 02:40 ID:cnYRxUGO
>「豊かな生活」を目指すと言った国民的目標が道徳意識に対する動機付けになっていたのですが・・
戦後の闇市の混乱や、共産政府崩壊後のロシアの状況を見れば判るように、豊かさを希求するから
といって、それが必ずしも道徳意識に繋がるわけではありません。
むしろ日本の経済の発展は高い倫理意識に支えられたと言っても良い。
それに過去の宣教師の記述に日本人の高い道徳意識について書かれたものがあるが、その当時に
「豊かな生活」を目指すと言った国民的目標が有ったはずもありません。

道徳的行為の始まりは親の躾だと思いますが、このなかで他者との共感を感じられるならば
それ以上の事は必要ないかも知れない。
しかし、そうでない人間もいるわけで、その場合どうするか?
その場合、論理を尽くし理性に訴える必要がある。
また、その論理を知る事で道徳的行為のしっかりとした裏付けが出来る。
そこに武士道に限らず様々な道徳教育が必要になってくる理由です。

道徳は過去からの知恵の蓄積の結果であり、多分に理想的な側面を持つ場合もあるが
現実と違うからと言って、理想がある事を教える必要はないという事はないでしょう。
出来る出来ないではなく、指標としてあることを教えるのは意義のある事だと思います。

>現実社会はそこそこルーズであるのに「何故私達だけが割りを喰わなければならないんだ」
それこそ道徳の意義を知らないからこそ起こる感情だと思います。
知れば、自己の不遇を嘆く前に、相手のいい加減さを追求することになるかもしれないし
他者と共感する能力が有れば、己の内に有る弱さやいい加減さも自覚し、許すという事も
知るかもしれません。

いずれにせよ、現実と理想のバランスは個人個人が実生活の中で身につけていくべきものであり
それまで人任せにしては人間としての成長は望めないでしょう。
無条件で躾られてきたことへの疑問というものは、一般的には10代で起こる通過儀礼的なものとして
起こるケースが多いですが、自分の感情を納得させるために多くの思索をするものです。
つまり、理性を働かせるわけですね。
この理性に訴えかけるテクストとして武士道などの思想哲学が有効だということです。

103 :実習生さん:03/12/04 04:23 ID:B85AVr0B
>>98
「相手の気持ちになって考えろ」ということを言われて考えるから
「道徳に基づいた」想像力と言った訳ですけど解りますか?
「道徳的想像力」の共感という感情から導かれるものではなく学校で教えられたから
相手の気持ちになって考えるという形になってしまう所が問題なんです。
現在のシステムでは学校に対して不信感を持った時と同時に
学校で教えた「武士道」に対しても不信感を持ってしまう動機付けとなってしまうのです。

>私の言っている倫理は道徳と大した差がないのです。
そこに大した差が無いのは解りますが学校で詰め込み教育されると言う過程を経ると
大きな差になってくると言っているのですけど解りますか?

>>100
>違うとすれば公的意識があらゆる共同体意識の上位概念となると言ったところでしょうか。
そこが大きな違いなんです。
武士としてとか農民としてとか共同体(身分)の一員といった前提を抜きにして
人としてと言った動機付けをなされるのが公的意識です。
で、日本は伝統的に共同体意識でやってきた。
仏教の様に倫理観に基づいた教義もあったし倫理観のある人もいた。
でも社会全般のシステムはそれぞれの共同体意識に基づいた規範に従い
それが明治維新まで伝統になっています。

104 :実習生さん:03/12/04 04:48 ID:/nTHTeGU
>>101
>人の意識を小さな共同体で 留まることなく、現代で言えば、生命全体という共同体
生命全体は共同体ではなく生態系です。
共同体内では個々が協調して生きていますが生命全体ではそれは行われていません。
人類全体でも協調する事は無理でしょう。
全てを共同体としてしまうのはエゴイスティックでは無いでしょうか?
でも共生する事はできるという考えが倫理観です。

人類皆兄弟という血縁幻想は日本のものなのでこれは右翼の思想です。
「人類皆兄弟」 これはあの笹川良一のスローガンです。
笹川良一は かってはムッソリーニを信奉し、巣鴨刑務所でお務めもし
「日本船舶振興会」のボスとして公営ギャンブルの
競艇の世界に君臨し、自らを「世界一リッチな国粋主義者」と呼んでいました。

105 :実習生さん:03/12/04 05:20 ID:fpHLR2jR
>>102
何かアホ臭くなってきたけど戦後復興の原動力となった
「豊かな生活」を目指すと言った国民的目標が道徳意識に繋がっただけで
江戸時代の道徳意識が「豊かな生活」を目指すと言った
国民的目標に基づいて成り立っていたなんて言って無い。

>しかし、そうでない人間もいるわけで、その場合どうするか?
>その場合、論理を尽くし理性に訴える必要がある。
そうで無い人間は理性的で無いからそうでないのだが解るかな?

今の日本は子どもから見れば社会は学校であり、
学校は社会全体の出店みたいなものになってしまい
家・地域・学校と言ったそれぞれ違う物差で子どもを計るといった
多様性を持った社会が無くなり教育システムが学校に『画一化』されている。
子どもとコミュニケーしョンがとれない教師の自己満足的にされた評価が
子どもを計る唯一無二の物差となってしまい
学校に対する敵意は社会全体の敵意につながり、
社会全体に対する敵意は学校に集約されてしまう構造になっている。
そこで武士道を説いても聞き流すだけです。
当時の教育システムと現代の教育システムは違うのです。
現実と理想のバランスどころか机上の空論となってしまう可能性の方が高い。

>>現実社会はそこそこルーズであるのに「何故私達だけが割りを喰わなければならないんだ」
>それこそ道徳の意義を知らないからこそ起こる感情だと思います。
日本の教育は生産性、社会有用性、利便性を重視した教育をしている。
平成に入って過労死、定年退職になったお父さんの孤独
バブル経済崩壊、年功序列と終身雇用制度の崩壊がおき。
その教育が決して個人の幸福と結びつかない
逆に相反する可能性がある物だという認識が一般化してきたんで
学校で武士道の意義を教えても全くリアリティーが無い。


106 :実習生さん:03/12/04 05:57 ID:imIuFcUw
「道徳」そして「倫理」とは
  この問題に社会学者宮台真司は次の見解を示す。「倫理というのは周囲が自分に
罵声を浴びせようが、後ろ指を指されようが、『われこれを信ず』といいつづけられ
るような『内的確かさ』である。西欧社会の多くが『近代市民社会』を立ち上げるこ
とができたのは『信仰の確かさ』により自らを接するキリスト教的な自己意識のあり
方を長い中世の時代を通じて育んできたため。日本社会ではどうだろうか。自己操縦
の伝統はない。自分が周囲と違わないことによる安心をコミュニケーションの支えに
することが日常である。」

107 :実習生さん:03/12/04 06:04 ID:xHiPFGU/
432 名前:実習生さん 投稿日:03/09/29 12:36 ID:BuFjNh3t
日本を除くG7の国々がすべてキリスト教圏と言う事を考えると
「公の概念」の獲得にキリスト教がおおいに貢献している事が解る。
キリスト教の教義の中でも聖パウロが抽出した「隣人愛(カリタス)」の教義は、
親族や親しい者を愛する自然感情ですらもエゴイズムとして退けることによって、
異民族・異教徒が集う社会においても別の宗教集団を付加するのではなく、
その異質な集団に対してキリスト教の教義の浸透度を高める結果となったのではなかっただろうか。
具体的には教会に、あるいは教会の特定の集団に所属する人間が、
その教会、あるいは教会の特定の集団に属さない人々に
どのような配慮をもって接するべきなのかを教義として明示することによって、
高度に複雑な社会との両立を可能にしたのである。
つまり「キリスト教圏=自分の属する社会」を
「その外=世界」に視点をおいて見ることによって
「公の概念」を獲得することによって近代化を成功させる事ができたって事。
日本の近代天皇制は日本神話をネタに使い、伝統的幻想である家幻想、
血縁幻想を採り入れ(「万世一系の天皇」、「陛下の赤子としての国民」)、
同時に、欧米諸国(主としてドイツ)の物語の中の都合のいい要素をコピーし、
慌ててつくった物でそれによって近代化を成功させた訳。
教育勅語の本質もその辺にある。

108 :実習生さん:03/12/04 16:44 ID:438PFFWR
確かに武士道より宮台の方が説得力がある(w

109 :実習生さん:03/12/04 22:27 ID:UPKb6mDE
戦後の闇市の混乱は豊かな生活を目指すと言うより
飢えをしのぐと言う動機で起きているので
混同するのはおかしい。

110 :実習生さん:03/12/04 22:39 ID:QmA4KM3s
>>108
宮台見ると、
理屈はいいから、困難校で通用するか試せよ
って思うね。

自分の子供も同様に躾けているのなら
たいしたもんだが…。


111 :寺嶋眞一:03/12/04 22:40 ID:K86mnusV
日本人は、序列観念により社会を作る。
それは、日本語に階称 (言葉遣い) があるからである。
You can read more at http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/

112 :実習生さん:03/12/04 23:42 ID:XVVpUlez
>>108
確かに今のガキどもは宮台の言う「倫理」を持っているな。
大人が何言おうが「自己決定」してしまえば無敵だからな。


113 :実習生さん:03/12/05 12:52 ID:v9k6tFte
現代の複雑な成熟社会では、これさえすればおまえは幸せとか、
他人と同じようにやれば自分が幸せになるということはあり得ません。
そのためには、多様な試行錯誤をする力が必要です。
多様な試行錯誤をするには、しかし、失敗を恐れない力、
あるいは失敗にくじけない力が必要です。失敗を恐れる人間は、
怖がりは試行錯誤できません。

日本の子供たちは自由だと言われましたが、とんでもありません。
学校では自由に試行錯誤させていません。
さらに、自由に試行錯誤をするために必要な基礎的な承認、
おまえがいるだけでうれしいんだという感覚、全面的な肯定感を与えられていません。
ですから、日本の子供たちは全く、自由に見えて自由ではありません。
したがって、責任はもちろんとれませんし、
自分が何がやりたいのかもわかりません。
これが日本の子供たちの状況です。

http://zirr.hp.infoseek.co.jp/020201.html

宮台の言う「倫理」は
自己責任を伴った自己決定により自己信頼(自信)に基づいた想像力が「倫理」

114 :実習生さん:03/12/05 15:39 ID:4KLWPxc1
最初は大人の躾によって倫理観を得ると言うがこれは刷り込みでは無く
大人とのコミュニケーション、つまり自分のエゴと大人の教育がせめぎあい
どうすれば大人に承認してもらえるかという試行錯誤をすることによって
人はコミュニケーションを通じて何かを達成出来ると言う可能性が想像出来る様になる。
こうやって人は倫理観を身につけます。

115 :陛下の臣民:03/12/05 16:51 ID:DP6+bAD2
>>113-114
激しく同意。

116 :実習生さん:03/12/05 17:24 ID:WIhvl4wB
>>113
>>学校では自由に試行錯誤させていません。
>>さらに、自由に試行錯誤をするために必要な基礎的な承認、
>>おまえがいるだけでうれしいんだという感覚、全面的な肯定感を与えられていません。

そういうエロス的なものを学校に求めるな。

>>114
小学校まではその通りだが、中学以降は仲間からの承認が大きな関心となる。

中学校か高校を卒業したら就職するものが多数だった頃は
大人からの承認もまだ影響力を維持できたろうが、
今では大人の用意した倫理観とせめぎあう機会はかなり減っている。

117 :実習生さん:03/12/06 04:51 ID:EUsibvrI
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花 (本居宣長)

118 :実習生さん:03/12/06 09:48 ID:vgYcRazl
>>116
いや、幼稚園より前じゃ無いか?


119 :脱学校OK ◆/r.T30yGps :03/12/06 12:51 ID:9C1p9uFO
>>113>>116
その学校が選択可能で、こじんまりとしたアットホ−ムなところであるなら、
学校に承認を求めることも可能だと思います。
ただし、今の状態ではちょっとムリでしょう。

それでもなお、学校教師の承認壊しをやめさせるだけでも効果はあるのではないでしょうか?
つまり、人を実際以上に無能者・幼児扱いする、バカ・ブス・市ね・基地外・オマエはゼロだ、
キサマは何も分かっていないなどといった人の自信やヤル気をそぐ言葉や態度や発想をもし
先生方がやめるなら、相当の数の子が自分を否定せずにすむのではないでしょうか?
「自分はダメだ」「何もできない」と客観的根拠のない自己過小評価や抑うつ、自罰感情に
さいなまれることもないでしょう。小児うつ病の患者の微小妄想を悪化させ自殺においやることも
少なくなるはずです。



120 :えれくち王 ◆Nk0j1Ogru. :03/12/06 13:20 ID:anOv6Ebl
懐古主義的なスレ、良いね。

121 :えれくち王 ◆Nk0j1Ogru. :03/12/06 13:21 ID:anOv6Ebl
いや、懐古ではなく、復古を目指すスレだつたか。

122 :実習生さん:03/12/06 15:59 ID:7W6JkzsO
>>119
何だかスレ違いの方に話を持って行くね。

123 :えれくち王 ◆Nk0j1Ogru. :03/12/06 18:29 ID:anOv6Ebl
>>122
精神的に弱い人たちには、
武士道だろうが何だろうが、
学校がある一定の枠の中で教育活動を行おうとすると、
その枠について人権侵害だの人間精神の抑圧だのと言って、
難色を示すものと思われ。

124 :実習生さん:03/12/08 01:32 ID:U22u+oQ4
>>119
それ依然に「教えてやる。」と言う態度に問題が有るとおもう。

125 :実習生さん:03/12/08 11:26 ID:XsjcDQXo
>>110
「困難校でやってみろ」
ってお決まりのパターンだが
そもそも困難校なんて必要か?
あんなもの誰にとっても只の徒労だろ。

126 :実習生さん:03/12/08 13:08 ID:Hbj8ku1f
>>125
だから、高校進学率を5割ぐらいに下げれば、
中等教育で、40人学級が30人学級になるよ。
この方が費用対効果が大きい。

高校に行かなかった5割が
世間でする事に目をつぶればの話だが…。

127 :実習生さん:03/12/09 02:15 ID:ClVasJqM
燃料投下 長くなるので読む人は御茶でも用意して読んで下さい。

>>103
>「相手の気持ちになって考えろ」ということを言われて考えるから
>「道徳に基づいた」想像力と言った訳ですけど解りますか?
「相手の気持ちを考える」とは相手の立場に立ったときに、どのような
感情を持ちうるかという観察によります。
過去の道徳律からの推理ではありません。

貴方が初めに挙げたリンク先に以下の言葉がある。
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/freiheit/Freiheit12.html
>道徳的に行動するためには、行動範囲の諸事情をよく知っていなければならないが
>特によく知っておく必要があるのは、自然の法則である。
>必要なのは自然科学の知識であって、倫理学の知識ではない。
この言葉の意味をもう一度よく考えて下さい。

>武士としてとか農民としてとか共同体(身分)の一員といった前提を抜きにして
>人としてと言った動機付けをなされるのが公的意識です。
>で、日本は伝統的に共同体意識でやってきた。
これには賛同出来ません。
例えば、日本人には「天に恥じる」という道徳意識があった。
つまり、誰が居なくとも天が見ている。
誰が知らなくとも自分が知っている。
このような意識は、職業に関する動機付けというようなものではなく、人間そのものとしての
動機付けでしょう。

それに、身近な共同体意識というものが無く、公的意識のみの社会も存在しません。
西洋にだってそんなものは無いでしょう。
海の波が相似形のフラクタル構造を持つように、共同体もまた似たような相似形を持つのが
自然な状態ではないでしょうか。

128 :実習生さん:03/12/09 02:16 ID:ClVasJqM
>>104
>共同体内では個々が協調して生きていますが生命全体ではそれは行われていません。
まあ、「隣人愛」というのがキリスト教から出ている言葉で、教義に従えば
あらゆる動植物は、人間のために造りだしているものであると言っているから
これに従えば共同体意識なんてとんでもないかも知れません。

しかし、実際には人間は動植物から菌類、バクテリアまで利用して生きているし
これらが無くなると非常に困る事になる。
生態系はそれ自体が微妙なバランスで協調して保たれています。
また、仏教では生命の輪廻を教え、人の後に他の生物に生まれ変わると言うような事まで
言いながらその関係を説いています。
そのことを考えれば、生命全体が共同体であるという考えは不自然とはいえない。
それに動物好きの人間にペットの存在を聞けば、彼らは決まってその動物を家族であると
言うでしょうね。

>>105
>今の日本にはそういった感覚は無く戦後は「豊かな生活」を目指すと言った国民的目標が
>道徳意識に対する動機付けになっていたのですがそれも達成してしまったのが現代です。

>戦後復興の原動力となった「豊かな生活」を目指すと言った国民的目標が
>道徳意識に繋がっただけで江戸時代の道徳意識が「豊かな生活」を目指すと言った
>国民的目標に基づいて成り立っていたなんて言って無い。
単に「豊かな生活」という目標がなぜ道徳意識に繋がったかという説明が成されていない事を
示しているだけです。
江戸時代の例はそのようなものがなかった時でも道徳意識を保っていた事を示し、ロシアの例は
豊かさを希求するからといって、それが必ずしも道徳意識に繋がるわけではないという事を示す。
また「国民的目標」というと国民が一致団結しているようなニュアンスを受けますが
それぞれが豊かさを希求するからと言って必ずしも一致団結するものではありません。
(多くの犯罪は個人的豊かさを利己的に追求している)

129 :実習生さん:03/12/09 02:17 ID:ClVasJqM
>>しかし、そうでない人間もいるわけで、その場合どうするか?
>>その場合、論理を尽くし理性に訴える必要がある。
>そうで無い人間は理性的で無いからそうでないのだが解るかな?
よく読んで下さい。
>他者との共感を感じられるならばそれ以上の事は必要ないかも知れない。
>しかし、そうでない人間もいるわけで、その場合どうするか?
他者との共感を感じられない≠理性的で無い
というのは解りますか?
共感は感情、理性は知性による制御です。

私は学問に於いて、学校の教師の役割は参考書の目次程度の事だと思っています。
それゆえ学校の教師に高度な学問的知識は必要ありません。
ただ世の中にある学問的な知識のアウトラインと基礎を紹介する、言わば案内役で有れば良い。
そして、どの様に上手く案内するかが教師の力量でしょう。
また、私は貴方ほど学校に関して悲観的な見解を持っていません。

>平成に入って過労死、定年退職になったお父さんの孤独
>バブル経済崩壊、年功序列と終身雇用制度の崩壊がおき。
>その教育が決して個人の幸福と結びつかない
それこそ戦後教育で自分さえ良ければよいという人間が、社会で責任有る立場に
就く事になった所為でしょう。
つまり、仲間で生き残ろうというような共同体意識の崩壊の所産ですね。
武士道について書かれた本には共同体の意義を述べている事が多いですよ。

130 :実習生さん:03/12/09 02:18 ID:ClVasJqM
>>106
倫理について
>「倫理というのは周囲が自分に罵声を浴びせようが、後ろ指を指されようが
>『われこれを信ず』といいつづけられるような『内的確かさ』である。
>>90
【倫理】人倫の道。
【人倫】客観化された理性的意志
貴方が辞書からわざわざ抜粋したものですが
>周囲が自分に罵声を浴びせようが、後ろ指を指されようが『われこれを信ず』
これのどこが客観化されているんでしょう?
宮台氏の言いたい事は解らないでもないですが、それぞれ違った解釈をしているものを
抜粋して自分の根拠にするのは止めて下さい。どれか一つにして欲しい。

>日本を除くG7の国々がすべてキリスト教圏と言う事を考えると
>「公の概念」の獲得にキリスト教がおおいに貢献している事が解る。
先進国首脳会議はあくまで資本主義の成功を収めた国の集まりであって
これをもって「公の概念」の獲得にキリスト教が貢献している確証とはなりません。
資本主義の発達にプロテスタンティズムの論理が大きな役割を果たしたという見解が有るだけ。
『近代市民社会』は『近代資本主義社会』と関係があっても同意語ではありません。

131 :実習生さん:03/12/09 02:19 ID:ClVasJqM
>>107
>親族や親しい者を愛する自然感情ですらもエゴイズムとして退けることによって、
>異民族・異教徒が集う社会においても別の宗教集団を付加するのではなく、
>その異質な集団に対してキリスト教の教義の浸透度を高める結果となったのではなかっただろうか。
>>113 [宮台氏](リンク先より)
>近代社会におけるパブリックとは、共同性ではなくて共生です。いろいろな共同体、家族
>地域社会に属する人間が、あるいは異なる感受性や作法を持った人間が、侵害し合わないように
>共生するために一定の想像力や一定のルールを必要としている
>そのような想像力やルールの領域をパブリックというふうに呼ぶ、そういう常識になっています。
この二つの論を見れば解る通り、>>107 の行為は共同性であって共生ではありません。

ちなみに私の取り敢えず考えるところでは
共同体:ある目的、理念、その他なんらかの関わりをもった一纏まりの集団。
共同性:同一であろうとする指向。≒同質性
共同体意識:一纏まりの集団に帰属しているという意識。
という認識です。 従って >>92

>近代的な「公」の概念とは共同体の事では無いのです。
>「公」を共同体のことだと考える見方は近代社会では非常識そのもので
>個人、叉は人々のもつ世界観と言った方が妥当だと思います。
というのは宮台氏の意見とは、似ていながらまるで違うものであると捉えます。

>具体的には教会に、あるいは教会の特定の集団に所属する人間が、
>その教会、あるいは教会の特定の集団に属さない人々に
>どのような配慮をもって接するべきなのかを教義として明示する
こんなことはイスラム教でもやっています。

132 :実習生さん:03/12/09 02:19 ID:ClVasJqM
>「キリスト教圏=自分の属する社会」を
>「その外=世界」に視点をおいて見ることによって
>「公の概念」を獲得することによって近代化を成功させる事ができたって事。
キリスト教の布教はあくまで「キリスト教圏=自分の属する社会」を広げる事を求めていて
「その外=世界」に視点をおいて見るなんてことはしていません。

キリスト教に於いて、天地を含めた全ては唯一絶対の神が造ったことになっています。
全ての世界は神の下にあるという考えなのに、その外を認めるわけがない。
もともと中世以前のまだ寛大だったころのキリスト教は、異端には厳しくあたりましたが
異教徒にはそうではなかった。
異端は神の存在を知りながらそれに背を向ける存在。
異教徒は単なる無知として教育すべき存在として扱われていました。
つまり本来、宣教は無知を正してやるための行為であり、それゆえ相手の視点に立とうと
するはずもないでしょう。

それに
>「その外=世界」に視点をおいて見ることによって「公の概念」を獲得する
「その外」に視点をおいて見た時代って言うのは何時の時代でしょうか?
大航海時代にキリスト文明圏を出て彼らがやった事は、植民地の獲得、奴隷の売買
といったものが主でした。
とても「自分の属する社会」の外から見つめ直すなんて言うことをして「公の概念」を
獲得したとは考えられない。
(それとも、外からの視点というのはキリスト教の視点から離れてという意味ではなく)
(単純に物理的にキリスト教文明圏の外という意味だったのでしょうか?)
(宗教はテンニースの分類上でも彼の定義の共同体(Gemein-schaft:ゲマインシャフト)
(になっています。)

133 :実習生さん:03/12/09 02:20 ID:ClVasJqM
ではキリスト教がどのような役割を果たしたのか?
それは『信仰の確かさ』にある。と宮台氏は言っている。
つまり、神の教えを理解しているという確信が有れば
>周囲が自分に罵声を浴びせようが、後ろ指を指されようが、『われこれを信ず』と
>いいつづけられるような『内的確かさ』
を持つ事が出来た。
でも、それは決して
>客観化された理性的意志。
なんてものとは関わりがなかったものです。
極端な話「神の主観」であったと言っていい。

だからこそ新渡戸「武士道」の冒頭に有るように、日本の学校で宗教教育がされていないことを
ベルギーの法学家ド・ラブレーが驚き「宗教無し!どうして道徳教育を授けるのか?」
という言葉を発する事になる。
その言葉を聞いて、新渡戸は日本人の道徳の根元が「武士道」にあると考え
それを書にすることになった。
これは、武士道を探る事によって宗教教育に代わる道徳教育の可能性を示唆している
ともいえますが、それは置いておいて、ではかつての日本人に『内的確かさ』は
無かったのでしょうか?

134 :実習生さん:03/12/09 02:20 ID:ClVasJqM
武士が武士たるカタチとして世に知られるようになるのは鎌倉時代あたりですが
この頃に語源を発すると言われる言葉に「一生懸命」というものがある。
この元となる言葉が「一所懸命」であるそうですが、その意味は自分達の土地
ひいては生活を守るため、そしてそれらを安堵してくれる存在のために命を掛けるという意味です。
主君に仕えるのは、ひたすら自分達の生活のためだったと思われます。

自分達の生活は守りたいが、自分達だけではそれが出来ない。
だから、仲間と集まったり、より大きい力に加わりその生活を守る。
しかし、戦闘においては、誰かがやってくれるという甘い気持ちではとうてい勝つ事は出来ない。
一人一人が十分に力を発揮しなければならない。
だからといって、意見がまとまらずに一人一人が自己を主張していても、これもまた勝てない。
だから、戦闘に於いてどのような策が良いのかというようなことは、可能な限り発言をする。
そして何故それが良いのか説明しなければならない。
(これは言ってみれば自己の主張ですね。)
一方で、混乱を避けるためにも一旦決まった事に対しては不満があってもそれに従う。
(自分を殺す事です。)

これは集団の中にあって自分を殺す事があるからと言っても、決してそれは集団に個が埋没することを
意味するわけではないということです。
例えば、戦国期の名だたる大名の下には多くの有名な武将がいることを考えれば解るでしょう。
それに、戦国時代には下克上があちらこちらで起こったり、傾奇者と呼ばれるような者も出て来る。
とても
>自分が周囲と違わないことによる安心をコミュニケーションの支えにする
ような存在達ではありません。

135 :実習生さん:03/12/09 02:24 ID:14Q8/GvL
国土が荒廃した戦国末期から江戸期の安定した世の中に移り変わる。
生き残った者は、世の安定の中で自己と家族の生存をはかる事が出来るようになる。
それは、世の安定、つまり秩序こそ自己の生存を守るのだ、ということを感じる事も
あったのではないでしょうか。

言い換えれば、世の安定を図る事こそ自己の生存がある。
そして、その世とは主君がこれを支える。
ゆえに主君への忠義忠誠が、自分もまた世を支え自己の生存を図る事に繋がる。

「朱子学の四書の一つ『孟子』風に解釈すれば」
表面上は主君への忠誠であっても、その真実の忠誠は秩序(理)にある。
理こそ、自分達を生かす道であるからである。
では、その理を生み出すのは何か、それぞれの役割を果たす事である。
分をわきまえるという事と言っても良い。
そしてその行為は、自分達のみならず、周りの人間も生かす事を知る。
つまり、その役割に殉じることが、ひいては周りを生かしているという誇りにつながり
自らのアイデンティティーの拠り所となる。
こんなところでしょうか。

すなわち、自己の役割を知る、言い換えれば天命を知る。
その確信が有れば
>周囲が自分に罵声を浴びせようが、後ろ指を指されようが『われこれを信ず』
ということができる。
このように考えれば、日本人にも『内的確かさ』が十分有り得たと解釈することも
出来ると思います。
http://www6.igosoft.co.jp/rl/infodat/column/china/moshi.htm
「自ら反みて編くんば、千万人といえども吾ゆかん」(孟子)

136 :実習生さん:03/12/09 02:25 ID:14Q8/GvL
このような考え方は、役割に殉じるという点でピューリタンの禁欲主義的労働に
極めて近いものがあります。
それが明治初期、日本の近代化の原動力になった可能性もあります。
(儒教国家である朝鮮や清が自力で近代化が成されなかったのは、儒学が儒教となり)
(目上や上位者に対する盲目的な隷従を要求する様になってしまったためと考えられる)


>>113
>宮台の言う「倫理」は
>自己責任を伴った自己決定により自己信頼(自信)に基づいた想像力が「倫理」
違うと思います。
彼が言っているのは倫理というものを獲得するために必要な要素としてそれをあげているだけ。
上記の説明では、自己責任を伴った自己決定により、どうなる可能性が有るのか判った上で
犯罪を犯す確信犯も「倫理」的であることになる。

(宮台氏)[三沢委員の質問に対して(責任と協調性)]からの抜粋
>個人がかけがえのない個人であること、自分で自分のことを決めることができること
>それがまずあって、その後に、相互扶助、社会を媒介にしないと君は君であることは
>本当はできないのだよということを教える
という段取りを踏まえる事で協調性を促す事が出来ると言っている。
これがパブリックマインドに繋がると言っているわけですね。
つまり、貴方の言う想像力が周りの人間に社会の中で適切であると認証されうる事柄において
それは「倫理」となると彼は言っているのです。
(シュタイナー風解釈では、そんなことを教えられる前に、すでに自らの欲求によって適切な)
(事が出来ていなければ、それは(池田晶子のいう自由である)「倫理」とは言えない)

137 :実習生さん:03/12/09 02:25 ID:14Q8/GvL
私は、仮に道徳を限定された集団内でのみ通用するものとするなら
道徳と倫理との関係は良心と道徳の関係に等しいと思います。
個人の良心が周りの人間にとって適切である場合初めて道徳となる。
道徳が周りの集団にとっても適切である場合倫理となる。

しかしながら、周りとの違いを認識し、尊重するという態度は
相似形をもつ道徳と倫理とは何も変わらない。
つまり、道徳というものを正しく理解していれば、それはそのまま倫理となるということです。
道徳は単なる地域の掟や慣習といったものとは違います。

そして、シュタイナーが言っているのは、何ものにもよらない純粋な良心が
社会と正しく距離が取れるものであった時、初めて「道徳的想像心」が存在するというわけです。
つまり池田晶子さんの言う「倫理とは、自由である」とはそういうことでしょう。
もっとも、私はシュタイナーにはそれほど興味はないし、むしろ「孟子」やD・ヒュームの道徳の
考察の方が面白そうだと思います。

参考までに:ヒュームの生涯と著作活動 (中央大学HPより 池田貞夫 元教授)
http://www2.chuo-u.ac.jp/library/hume/about/life.htm 

138 :実習生さん:03/12/09 02:26 ID:14Q8/GvL
>>114
>最初は大人の躾によって倫理観を得ると言うが
よかったら誰が何処で言っているのか教えて下さい。

参考として私の発言は以下
・個人の道徳観の始まりは幼少時期からの刷り込みによって成される
・真似るという行為が社会的行動の基礎になる
・道徳的行為の始まりは親の躾

ここで言う「道徳的行為」は以下の文からの引用
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/freiheit/Freiheit12.html
「道徳的行為は、外的規範を参照して課せられる」(池田晶子『残酷人生論』)

「私が(とりあえず)考える初期成長段階の刷り込みの過程」
第一段階:乳児
・親の表情を読む、接触等により「快、不快」を感じる。(自律行動の原初的動機付け)
・親の行動を真似る(社会的行動の基礎造り)
(以上、主な第一段階の刷り込み)

139 :実習生さん:03/12/09 02:26 ID:14Q8/GvL
第二段階:幼児
上記に加え
・親による行動の抑制、または推奨が始まる。(躾、教育の始まり)
例:挨拶の奨励、トイレの使い方を教える等。
これらを何度も繰り返すことにより覚えさせる。(道徳的行為の始まり)
初期段階で挨拶などの呼びかけを続けることにより、ごく初歩的な礼儀的行為を
覚えさせる事が出来る。

・この前後で第一次反抗期を迎え、自己主張と親の躾や行動とのせめぎ合いから適度な距離を
経験的に掴み出し感覚として覚える。
〈これが、以降の対人関係の基礎的な条件となるものと思われる。〉
(以上、主な第二段階の刷り込み)(他に言語を覚えるのも刷り込みによる)

※これらの時期に、保護者の強い抑制や、反対に無関心があると子供の精神に重大な問題を
与える事が知られている。
つまり、躾と言っても頭ごなしにやるもんじゃないってことですな。

>人はコミュニケーションを通じて何かを達成出来ると言う可能性が想像出来る様になる。
これも感覚的に実感し、心の奥に刻み込まれるのなら刷り込み以外の何ものでも有りません。

「刷り込み」(ローレンツ)について色々考察が有るようですが少し拾ってみました。

相互性の観念と幼児期の感情交流 「鳥取環境大学学長 加藤 尚武 氏の講演より」
http://www.chisan.or.jp/chisan/center/report/19.html

〈他者〉と〈私〉「室井 尚 氏のHPより」
http://www.bekkoame.ne.jp/~hmuroi/h3.html

140 :実習生さん:03/12/09 18:09 ID:vwK6aq5s
>>127
> 過去の道徳律からの推理ではありません。
それ以前に先生に対する信用が既に無い事を言っているんですけど・・・

> 例えば、日本人には「天に恥じる」という道徳意識があった。
恥じであって罪では無い所が問題だと思いますけど。

> それに、身近な共同体意識というものが無く、公的意識のみの社会も存在しません。
> 西洋にだってそんなものは無いでしょう。
共同体意識の流動化が問題だと言う話しをしていたと思いますが。
>共同体もまた似たような相似形を持つのが自然な状態ではないでしょうか。
それについては全く否定していません。
共同体意識と公的意識は似て非なるものであるというはなしをしています。

141 :実習生さん:03/12/09 22:27 ID:s55Yh5Eg
日本の共産主義化を賛美する立命館大学国際平和ミュージアム

「日本では、戦前から、天皇を中心とした国のあり方を批判したり、共産主義をとな
えたりする思想や運動は、きびしく弾圧されていました。戦争に反対することは、
この天皇中心の国にそむくことだとして、きびしく取りしまられましたから、国民の
なかに戦争反対の運動はひろがりにくかったのです。それでも、日本共産党の人びと
が戦争中も反対の行動をおこしたり、ファシズムや戦争に反対する動きが、数少ない
宗教者や自由主義者のなかにもありました。 」
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/a06/3/t1/t1_9.html

共産主義黒書(ソ連編)のアマゾンレビュー

日本が共産主義化しなくて、本当によかった, 2002/04/17
レビュアー: 若村さき (プロフィールを見る)
スターリンは間違っていたが、あるいはソ連は間違っていたが、共産主義自体は
正しい、などと今でも言う人がいる。そんな人は歴史上、共産党が政権を担当し
て成功した例を言ってもらいたい。実行したら必ず虐殺や抑圧がある「主義」が
、どうして正しいといえるのだろうか。日本が共産主義化しなくて、本当によか
った。この本を読んでつくづくそう思った。坂本多加雄『象徴天皇制度と日本の
来歴』が指摘していることだが、ソ連のコミンテルンの指示を受けた日本共産党
結党以来、日本はソ連との冷戦に突入した。悪名高き治安維持法も特高も、少な
くとも日本の共産主義化を防いだことにおいて再評価されなくてはならない。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/487430026X/qid%3D1070968228/250-5158777-2372253


142 :実習生さん:03/12/09 23:19 ID:5WHp+I1e
>>128

> しかし、実際には人間は動植物から菌類、バクテリアまで利用して生きているし
> これらが無くなると非常に困る事になる。
> 生態系はそれ自体が微妙なバランスで協調して保たれています。
それは比喩として「協調」という言葉が使われているだけ。

> また、仏教では生命の輪廻を教え、人の後に他の生物に生まれ変わると言うような事まで
> 言いながらその関係を説いています。
> そのことを考えれば、生命全体が共同体であるという考えは不自然とはいえない。
運命共同体と言うならそうでしょうが。
共同体というのは人間の共同生活の形態を指す言葉なので不自然です。

> それに動物好きの人間にペットの存在を聞けば、彼らは決まってその動物を家族であると
> 言うでしょうね。
この場合なら共同体と言っても差しつかえが無いかも知れませんが厳密には共生ですね。

> 単に「豊かな生活」という目標がなぜ道徳意識に繋がったかという説明が成されていない事を
> 示しているだけです。
道徳を守る事がより良い豊かな生活を目指す為の確実な手段だったからです。
例として愛社精神があります。
子供にしてみれば何故勉強するか将来自分はどう生活していくかという動機付け
が道徳を身につける動機付けとなったでしょう。

> 江戸時代の例はそのようなものがなかった時でも道徳意識を保っていた事を示し、
たとえ戦乱の世が終わっても江戸時代は道徳を守り身を寄せあわなければ生きていけないです。

> 豊かさを希求するからといって、それが必ずしも道徳意識に繋がるわけではないという事を示す。
希求と目指すではかなりニュアンスが違うとおもいます。



143 :実習生さん:03/12/09 23:20 ID:sxRAmniC
>>129
>武士道について書かれた本には共同体の意義を述べている事が多いですよ。
その意義が根底から崩れると言う事を書いたんですけど。

>>130
周囲が自分に罵声を浴びせようが、後ろ指を指されようが『われこれを信ず』
というのはあくまで周囲の事であり周りが悪であろうが野獣であろうがそれに従わないということ。

>>131
>というのは宮台氏の意見とは、似ていながらまるで違うものであると捉えます。
それ宮台の本に書いてある(w



144 :実習生さん:03/12/10 06:17 ID:OqAwhTcv
>>142-143

>それ以前に先生に対する信用が既に無い事を言っているんですけど・・・
>>103
>学校で教えられたから相手の気持ちになって考えるという形になってしまう所が問題なんです。

他人から言われて初めて気が付く事もありますが、それがそんなに問題ですか?
もちろん、言ってる内容が正しくとも、言う相手自身に不信感を持っていれば何も聞く気に
ならないという事は有ると思いますが、初めから不信感しかないはずだと決めつけているような
意見はおかしいし、そもそもそれなら今の学校では何を教えても無駄だから止めてしまえという
話にもなります。

だったら、学校の制度を変えれば良いという意見もあるかもしれませんが、それでは制度が
変わらない間は何もしなくて良いのでしょうか?

>> 例えば、日本人には「天に恥じる」という道徳意識があった。
>恥じであって罪では無い所が問題だと思いますけど。
まあ、天に恥じる等というのは余程の人物でなくては無かったでしょうから、それなら
神罰が下る、仏罰が当る、因果が廻って自分に災いが来る、畜生道、餓鬼道、地獄へ落ちる
何でも良いですが、悪い事をすればそうなるという意識はあった。
キリスト教では、最後の審判の時、天国の門をくぐれないと言ったところですか。
もっとも、カトリックでは告戒すれば罪は清められるし、免罪符を買えば罪が消えるとされた時もある。
(天とは言わないが)恥を雪ぐために腹を切った武士は数多くいるが、それが簡単に消えてしまう
(キリスト教の)罪の意識よりも軽いものだったとも思えません。

145 :実習生さん:03/12/10 06:18 ID:OqAwhTcv
>共同体意識の流動化が問題だと言う話しをしていたと思いますが。
共同体の意識ではダメで、公の意識でなければダメだという主張を貴方はしていたと思いますが?

>共同体意識と公的意識は似て非なるものであるというはなしをしています。
そうですね、そこで私はそうではなく、同じものだと言っているわけです。
ここで、もう一度宮台氏の言葉を持ってきます。
>近代社会におけるパブリックとは、共同性ではなくて共生です。いろいろな共同体、家族
>地域社会に属する人間が、あるいは異なる感受性や作法を持った人間が、侵害し合わないように
>共生するために一定の想像力や一定のルールを必要としている
>そのような想像力やルールの領域をパブリックというふうに呼ぶ、そういう常識になっています。
つまり、パブリックというものは共生というものが大事なんだと言っているわけです。

では、共同体の中では共生というものが存在しないのでしょうか?
ここは教育板ですから学校を考えてみると、学校というのは一つの共同体です。
ですが、そのなかで様々なクラブ活動が行なわれている。
教育の目的としては同じかもしれませんが、活動自体は全く違うものです。
つまり、学校内で色々なクラブが共生しているといえます。

例えば、学校内で仲良しグループが居るとします。
一つのグループは、それぞれ違った趣味を持ち、違った考え方を持ちます。
もう一つのグループは、同じ趣味を持ち、同じような考え方しか認めようとしない。
どちらも、一つの共同体の様相を持ちますが、前者は共生的であると言えます。
ところが、後者は、同一であろうとする、共同性傾向をもつと解釈出来るわけです。

このように共同体であるからと言って、全てが共同性を持とうとするわけではないのです。
言い換えればパブリックとは
>互いを侵害し合わないように共生するために一定の想像力や一定のルールを持つ
という一つの理念を持つ理念共同体と言えるのです。
(宗教は精神共同体とされている)

146 :実習生さん:03/12/10 06:18 ID:OqAwhTcv
>> また、仏教では生命の輪廻を教え、人の後に他の生物に生まれ変わると言うような事まで
>>言いながらその関係を説いています。
>> そのことを考えれば、生命全体が共同体であるという考えは不自然とはいえない。
>運命共同体と言うならそうでしょうが。
>共同体というのは人間の共同生活の形態を指す言葉なので不自然です。
運命「共同体」と認めているじゃないですかw
キリスト教では人間と動物は違うものとして捉えていますが、仏教的には同じものとして捉えています。
つまり、東洋哲学的には他の生き物を共同体の一員と捉えてもおかしくないのです。

>道徳を守る事がより良い豊かな生活を目指す為の確実な手段だったからです。
それは他の国だってそうですよ。ロシアは流通事情が大変悪かった。
それは物品が流通する段階で賄賂を求めたり、仕事をさぼったりする人が多かったためですが
そのような人達が道徳を守れば確実に国はそれよりも豊かになれた。
ところが現実にはブラック・マネーが幅をきかせるようになってしまった。
これはどうやって説明しますか?

>> 江戸時代の例はそのようなものがなかった時でも道徳意識を保っていた事を示し、
>たとえ戦乱の世が終わっても江戸時代は道徳を守り身を寄せあわなければ生きていけないです。
それなら、諸外国も同じ様な事が言えるわけですが、何故宣教師は他の国に比べ日本には高い
道徳心が存在するといったのですか?
他の国との違いは何ですか?


147 :実習生さん:03/12/10 06:19 ID:OqAwhTcv
>>129
>>武士道について書かれた本には共同体の意義を述べている事が多いですよ。
>その意義が根底から崩れると言う事を書いたんですけど。
共同体の意義が根底から崩れているというのは、共同体自体が必要ないという事ですか?
現在問題になっているのは、様々な形での共同体が崩壊している事実です。

共同体の崩壊による連帯感の消失がアノミー(無規範状態あるいは無秩序状態のこと)を
引き起こしていると考えられています。
だからこそ、もう一度共同体、人との繋がりというものを考え直してみようということで
武士道というものを考えてみようじゃないかということです。

(『アノミー』については以下のHPが大変参考になると思います)

福岡県「青少年アンビシャス運動HP」現代社会とアノミー(住田 正樹)
http://www.ambitious.pref.fukuoka.jp/chousa/kenkyuu/ken-21-3-6.htm

アノミー論
ttp://www.puripuri.org/socst/strain/merton.shtml

>>130
>周囲が自分に罵声を浴びせようが、後ろ指を指されようが『われこれを信ず』
>というのはあくまで周囲の事であり周りが悪であろうが野獣であろうがそれに従わないということ。
いったい、周りが悪であり、野獣であると判断出来るのは何故ですか?
周りの全てが貴方を悪だといった場合、何故自分自身が善である事を信じられるのでしょうか?
結局それは主観でしかないんですよ。
その支えになるのが(宮台氏は)「信仰」だって言ってたんでしょう。
それがなければ「確信」に至らないだろうと言っているんです。

>>131
>>というのは宮台氏の意見とは、似ていながらまるで違うものであると捉えます。
>それ宮台の本に書いてある(w
つまり、少し考えれば解る事がわからなかったというわけですね。

148 :実習生さん:03/12/10 06:57 ID:dlGLcx2n
LDなこの俺だけど、武士道を習得することはできるかい?

149 :実習生さん:03/12/10 17:54 ID:BiG2vOTG
>>145
>一つのグループは、それぞれ違った趣味を持ち、違った考え方を持ちます。
>もう一つのグループは、同じ趣味を持ち、同じような考え方しか認めようとしない。
10年前位までの学校では前者はありえなかったですね。
満員電車の様なクラス内でストレス一杯になった子供達の中では
常に少数派は「変」という烙印を押される。
学校自体も子どもとコミュニケーしョンがとれない
教師の自己満足的にされた評価が子どもを計る唯一無二の物差となってしまって
いる為に学校的な価値の物差しの外側で自尊心を抱くチャンスが推奨されるどころか、
むしろ徹底的に抑圧され、尊厳を貶められる上に。
更に学びの共同体といって教育システムが学校に集約されてしまっていて
家・地域・学校と言ったそれぞれ違う物差で子どもを計るといった
多様性を持った社会が無くなってしまっている。
そこでの教育が決して個人の幸福と結びつかない逆に相反する可能性がある物だという認識が
最近ではクラブやコミケといった学校の外での空間でのコミュニケーションが
確立されているのでその傾向も昔程では無い。
私はクラブで企画をやった事も有るので皆が協力して何かを達成するという実感のある
こっちで武士道を説いた方が影響力もかなり大きい事を肌で感じています。
学校にはこの達成感が無い所が大きな問題だと思います。


150 :実習生さん:03/12/11 00:18 ID:3qtPs9dd
>>146
>それは物品が流通する段階で賄賂を求めたり、仕事をさぼったりする人が多かったためですが
>そのような人達が道徳を守れば確実に国はそれよりも豊かになれた。
>ところが現実にはブラック・マネーが幅をきかせるようになってしまった。
>これはどうやって説明しますか?
国家を信頼していたから将来に対して希望が持てたって事でしょう。
希望が持てなければ自暴自棄になります。

>何故宣教師は他の国に比べ日本には高道徳心が存在するといったのですか?
現実には日本では無くて全体の5%の武士を指している訳で
国民全体を指している訳では無い。
あなたが>>134-135で述べた様にこれは戦乱の世で築かれた君主との信頼関係が
タイトで包括的な共同体を作り継続する事によって武家社会が出来き
その中で武士道精神は機能したのでしょう。



151 :実習生さん:03/12/11 00:31 ID:7Lw8XFyp
>>138
> >>114
> >最初は大人の躾によって倫理観を得ると言うが
> よかったら誰が何処で言っているのか教えて下さい。
>
> 参考として私の発言は以下
> ・個人の道徳観の始まりは幼少時期からの刷り込みによって成される
> ・真似るという行為が社会的行動の基礎になる
> ・道徳的行為の始まりは親の躾

> 「私が(とりあえず)考える初期成長段階の刷り込みの過程」
> 第一段階:乳児
> ・親の表情を読む、接触等により「快、不快」を感じる。(自律行動の原初的動機付け)
> ・親の行動を真似る(社会的行動の基礎造り)
> (以上、主な第一段階の刷り込み)

それ以前に親に抱かれる事による達成感からコミュニケーションの
可能性を体感として身につける訳で倫理観は躾では無く愛情から身荷つける物ですよ。
道徳意識についてはあなたの言う通りだと思います。


152 :実習生さん:03/12/11 00:52 ID:+3DZ1S8I
>>107
>キリスト教の教義の中でも聖パウロが抽出した「隣人愛(カリタス)」の教義は、
>親族や親しい者を愛する自然感情ですらもエゴイズムとして退けることによって、
とある。
確かカリタスの親を捨てよ故郷を捨てよというのは
親離れ共同体離れした自立した個人として判断せよと言う意味で
個人主義の原形となった物だったような・・・資料が無い。
時間が無いんで適当にソースを貼っときます。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4959/semisiryoindex.html

http://www.google.com/search?q=%97%D7%90l%88%A4+%83J%83%8A%83%5E%83X+%8C%C2%90l%8E%E5%8B%60&ie=Shift_JIS&hl=ja&lr=

あとシュタイナーの言う自由がリベラルかフリーかで全然意味が違ってくると思います。

153 :実習生さん:03/12/11 18:10 ID:wnJHBYhO
>>144
>もっとも、カトリックでは告戒すれば罪は清められるし
罪じゃ無くて心が清められるんじゃなかったかな?
まあ、罪の意識よりも軽い重いの問題じゃ無くて
恥と言う概念自体が周囲の視線を意識するものだと言う事。

>>145
>東洋哲学的には他の生き物を共同体の一員と捉えてもおかしくないのです。
そんな非科学的な呪術的な概念が?
近代哲学でもそうですか?
論理で議論しないで言霊操作で議論していませんか?

>>134
> 一方で、混乱を避けるためにも一旦決まった事に対しては不満があってもそれに従う。
>(自分を殺す事です。)
それが自分が周囲と違わないことによる安心をコミュニケーションの支えにする事になる
ルーツなんじゃないの?
武士は科挙ではなく、武力で支配権を手にしたにすぎません。
そういう支配を、朱子学では覇道といい、儒教の正統な統治形態(王道)ではないとします。
「武力を用いて国を治めようとする覇道は仁義を以って国を治める王道と対立するものです。」
という孟子の言葉を思い出します。

154 :実習生さん:03/12/11 18:26 ID:uzJ1RDO/
>>134
「危機管理」とは元々戦争概念で不完全な情報下で
国家の運営を左右する戦争の拡大か終息かの決断を要求する構えを意味する言葉で
これが転じてマニュアルが無い状況で、いかに責任ある決断をなしうるか
と言う事を指す言葉ですが、日本では「危機的状況に備えてマニュアルをちゃんと作っておけ」
という話しに縮小してしまうのも「一所懸命」が由来かも知れません。

155 :実習生さん:03/12/11 18:45 ID:HKQm4nZN
罪を定める神、それを赦す神 我々が生きる日本の社会には、元来一神教的な神は存在しなかった。
だから神によって定められた「罪」への意識も希薄である。
また、誰に指摘されようが「私はこれを信じるのだ」と言い続けられるような内的な堅信も従来では存在し難かった。
日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
この日本の社会が倫理の代わりに持っていたのは、自分の所属する集団のメンバーによって良きことこそ良きことである、
という内部への視線によって規定されてきた、善悪の判断のものさしである。
いわばそれは、所属集団の視線によって自らを持する「外的な確かさ」、即ち道徳であった。
所属社会の中にあっての「良心」といった抽象的な概念は、
神のまなざしといったような固定的なものさしに基づく「倫理」と、
集団に所属するメンバーの視線によって判断される「道徳」という排他的な二つに分類できる。
しかし、かつての日本のように、その所属する集団にほとんど流動性が見られないような場合には、
この所属集団のメンバーの視線によるものさしもある程度固定されたものであったが、
近代に至って各地の流動性が高まり、また、都市化した社会に見られる各所属集団のディスコミュニケーションは、
従来存在したはずの集団のメンバーによる視線を脆弱なものとした。
かくして神無き=倫理無き社会において、道徳の母体である村落社会が消失した時に残ったのは、
何が良心のものさしとなるのかという、大きな問題である。

156 :実習生さん:03/12/11 19:09 ID:HKQm4nZN
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/siso/saifa.html
近代市民社会における「責任」(リスポンシビリティ)とは、
同じ共同体や組織に属さない他者たちとの共生に必要なルールや想像力からやってくる要求。
あるいはそうした他者たち自身から直接なされる要求に、
いかに応える(レスポンスする)か、ということです。これが分かっていない日本人は、
マニュアルに想定された事態であるうちはまだいいけど、マニュアル外の事態が起こると、
とたんに内輪ばかりに目がいって、外の視線に鈍感な「民度の低さ」がバレバレになるわけ。

[サイレントベイビー」
赤ん坊が泣いても母親が適切な反応を示さないために、
赤ん坊に「コミュニケーションを通じた達成」がありえないことが刷り込まれてしまう。

参考に
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/journalist/report/baby.html

157 :江田島平八:03/12/11 19:37 ID:MewxIGDT
新渡戸の武士道など糞の読み物じゃ。
本物の武士道とは五輪の書と葉隠れじゃ。


158 :実習生さん:03/12/12 00:45 ID:Xgd2J546
>>157
本物の武士道を知る一言居士・・・。

159 :実習生さん:03/12/12 07:14 ID:EeuF37nL
>>149
>10年前位までの学校では前者はありえなかったですね。

>最近ではクラブやコミケといった学校の外での空間でのコミュニケーションが
>確立されているのでその傾向も昔程では無い。
そうですか、それにしては昔より犯罪も増えているようだし倫理観を持たないような
人間が増えているような気がしますが。
まあ、私も学校で何か達成感を感じさせられるような活動は有った方が良いと思うし
学外での活動も有った方が良いと思いますよ。

160 :実習生さん:03/12/12 07:15 ID:EeuF37nL
>>150-151
>現実には日本では無くて全体の5%の武士を指している訳で国民全体を指している訳では無い。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/chuuou/gijiroku/007/980402.htm
からの抜粋
>フランシスコ・ザビエル、あるいはフロイスの手紙にもありますし、近くで言えばペリーの
>日本に来たときの『日本遠征記』には、かの有名な「喜望峰以東では最も優れた民族である」と
>いわば日本のことを非常に褒めたわけです。
>その褒めた理由は、庶民の生活が、ここがポイントですけれども、清潔で、礼儀正しくて、誠実に
>働いて、嘘をつかない。両親、子どもを大事にする。
国民全体じゃなくても庶民について言っていたようですね。

>それ以前に親に抱かれる事による達成感からコミュニケーションの
>可能性を体感として身につける訳で倫理観は躾では無く愛情から身荷つける物ですよ。
>道徳意識についてはあなたの言う通りだと思います。
それ以前というのはどれですか
>・親の表情を読む、接触等により「快、不快」を感じる。(自律行動の原初的動機付け)
これ↑の意味解って言ってますか?
それにあなた倫理観はよりパブリックなものだと言っていなかったですか?
そしてパブリックは情愛を否定する事から生まれるとも言ってましたよ。(隣人愛(カリタス))
それとも親が幼子に懸ける愛は情愛では無いと?
それにこうも言っていた。

>「倫理」とは異なる共同体に属する人たち、あるいはどの共同体にも属さない人たちが、
>互いに侵害しあわないで共生するための、ルールや想像力の領域のことを言います。
>「道徳」とは同じ共同体に属する人たちが、
>互いに侵害しあわないで共存するための、ルールや想像力の領域のことを言います。
家族は一つの共同体ではないと?
貴方の「倫理」の分類は、私には全く理解出来ません。
だいたい教義に基づいて情愛を否定する事のどこが自由なんでしょうか。
しっかり、「外的規範を参照して課せられる。」ってことじゃないですか。

161 :実習生さん:03/12/12 07:15 ID:EeuF37nL
>>152
下のリンク先

>元来日本人は、この「パブリック・マインド」=公の概念に関して不毛の民族である。
>これは日本が自分の所属する集団とは無関係に、他人と知り合えるようなコミュニケーションの
>伝統が無いことによる。
この人、御伊勢参りとか善光寺参りって知っているんですかね?
他に江戸時代の銭湯は様々な職業、階級の人達のコミュニティーの様相も持っていました。
それに、祭りになれば余所からも人が来たしね。レジャーとしての湯治も有ったし。
結局無知ですね。

>「隣人愛(カリタス)」の教義は、親族や親しい者を愛する自然感情ですらもエゴイズムとして
>退けることによって、異民族・異教徒が集う社会においても別の宗教集団を付加するのではなく
>その異質な集団に対してキリスト教の教義の浸透度を高める結果となったのではなかっただろうか。
改めて「隣人愛(カリタス)」のことを調べ直しましたが、確かに私の認識は間違っていた。
(あくまでキリスト教でいう「隣人愛(カリタス)」でアウグスティヌスの「カリタスcaritas 」)
(とは少し違うでしょうが)

ようするに、「この世の全ては神がそのように与えたのだから神がそれらを愛するように愛せ」
という事ですね。
ということは「自分が属する共同体の外側の人を愛しなさいと言うのが隣人愛です。」も誤り。
なぜなら神の前に全ての人は等しく存在するから。
つまり、神の前に共同体等というものは存在し得ない。
だから、そこに個という存在が先ずあり、それを出発点として神のように他を愛せというわけだ。
で、実際にキリスト教徒が他の文明圏に出てやった事は>>132 の通り。
現実を無視した解釈ですね。

162 :実習生さん:03/12/12 07:16 ID:EeuF37nL
キリスト教の存在自体を否定する気はないが、個人に於いても実現困難な徳をもって
全てのキリスト教徒がそれらと同じように行動出来たはずもなく、一般的に認識されているような
「公」意識となった等と言われても困る。
だいたい、これじゃ「カリタス」を理解しているキリスト教徒以外にパブリック精神が存在する事が
不可能になる。

>過去の日本の社会において形成された村落的集団の内輪の視線とは無関係な「正」とか
>「義」の概念が元々希薄であるのは、このキリスト教的な隣人愛の教義への認識、理解が
>希薄であったからに他ならない。
・・・・・。
特定の宗教に偏った偏見は意味無し。

>西洋近代科学の伝統はこれと全く逆で、「真理の探究」を重視する。
>これは科学的探求の動機が、完全なる神の御業を知ることと結びついていた
>ギリシア哲学以来の伝統によるものである。
散々科学者を異端で吊し上げていたのはどこの宗教でしたかね。

>あとシュタイナーの言う自由がリベラルかフリーかで全然意味が違ってくると思います。
「フリー」に決まっているでしょう。
「自由の哲学」(Die Philosophie der ”Freiheit”)

163 :実習生さん:03/12/12 07:16 ID:EeuF37nL
>>153

>>もっとも、カトリックでは告戒すれば罪は清められるし
>罪じゃ無くて心が清められるんじゃなかったかな?
>まあ、罪の意識よりも軽い重いの問題じゃ無くて
>恥と言う概念自体が周囲の視線を意識するものだと言う事。
罪は魂の汚れ、魂が清められる事によって天国の門に続く道を維持する事を指す。

それに >>144
>神罰が下る、仏罰が当る、因果が廻って自分に災いが来る、畜生道、餓鬼道、地獄へ落ちる
>何でも良いですが、悪い事をすればそうなるという意識はあった。
>キリスト教では、最後の審判の時、天国の門をくぐれないと言ったところですか。
も見落としているようですね。

>恥と言う概念自体が周囲の視線を意識するものだと言う事。
キリスト教徒に恥という概念が無いなら、どうぞそれを証明するために水着ひとつで新宿なり
銀座なりへ行ってショッピングでも楽しんできて証明して下さい。
罪ではないのだから出来るでしょう?
キリスト教徒や西洋人にだって恥の感覚は有りますよ。

164 :実習生さん:03/12/12 07:17 ID:EeuF37nL
>>東洋哲学的には他の生き物を共同体の一員と捉えてもおかしくないのです。
>そんな非科学的な呪術的な概念が?
>近代哲学でもそうですか?
>論理で議論しないで言霊操作で議論していませんか?
私は>>131 で
・共同体:ある目的、理念、その他なんらかの関わりをもった一纏まりの集団。
・共同性:同一であろうとする指向。≒同質性
・共同体意識:一纏まりの集団に帰属しているという意識。
という認識だと書いていますね。
共同体を分解すると共(ともに)同(おなじ)体(からだ:集団を表す)というかたちになります。
つまり、同じ集団であるという意識があれば他の生き物を共同体の一員と捉えてもおかしくないのです。

哲学では個人によって定義が異なる場合がありますから、狭義で言えば、一般的に社会学で共同体は
ゲマインシャフト(gemein-schaft)、一方、利益社会をゲゼルシャフト(gesell-schaft)と
区別しています。
極端に言えば、隣で苛められている人間を見て「同じクラスの仲間じゃないか」と言って
制止しようとするのがゲマインシャフト。
「相互に契約を結んでいるわけじゃなし、俺には関係ないしその事について非難される言われもない」
というのがゲゼルシャフト。


165 :実習生さん:03/12/12 07:17 ID:EeuF37nL
>> 一方で、混乱を避けるためにも一旦決まった事に対しては不満があってもそれに従う。
>>(自分を殺す事です。)
>それが自分が周囲と違わないことによる安心をコミュニケーションの支えにする事になる
>ルーツなんじゃないの?
十字軍の修道騎士団には「清貧、貞潔、服従、兵役」の四誓願が有ったそうですが、このうち
服従というのは異なった意見、不満があってもそれに従うという意味ではないのですか?
機能集団にあってはこのような事は常識の範疇ですね。
それとも西洋の企業では従業員に異なった意見や不満は存在しないとでも言うつもりですか?

>武士は科挙ではなく、武力で支配権を手にしたにすぎません。
>そういう支配を、朱子学では覇道といい、儒教の正統な統治形態(王道)ではないとします。
せっかく孟子の言葉まで出したんですから、孟子の革命理論まで出したらどうです?
「君主が道を外れたとき、それは既に天下の盗人と同じだからこれを追う事が悪いはずがない」
って言う意味のやつですけどね。

>>154
意味不明。
>日本では「危機的状況に備えてマニュアルをちゃんと作っておけ」
>という話しに縮小してしまうのも「一所懸命」が由来かも知れません。
この理由は?

>>155
コピペご苦労様。
日本に対する無知ぶりを披露している人のものは意味ありません。

166 :実習生さん:03/12/12 07:18 ID:EeuF37nL
>>156
読ませて貰いましたけど、彼の理屈だと共同体内部に於いては共生的関係が存在しないような
発言しかしてませんね。

道徳に必要なのは他者との共感というようなことを書いたと思いますが、実はそれだけでは不十分です。
人間には自分がやって嬉しい事でも、他人にとっては嫌な事がある。
つまり自分の良心に沿った行動でも、それが善とはならない。
自分の良心の領域と、他人の良心の領域は違います。
だからその違いを自覚し、自分が嬉しい事でも他の人は違うのかも知れないという想像力
あるいは、認識が必要になってくる。
道徳とは自己の良心と他人の良心を同一にして、その領域を広げる事では有りません。
それが理解出来ていれば倫理と道徳の違いなど、ほぼ無いと言っていいでしょう。
そのような認識があるところに「公」というものが存在すると思います。

私は現代の日本でそのような事が解らないのは、原因として日本の共同体のあり方が農村部に於ける
共同体からの発展形だからではないかと考えています。
宮台氏は
http://zirr.hp.infoseek.co.jp/020201.html
>昔の伝統社会であれば、雨が降ったりあらしになったりすれば、働くか働かないかは個人の自由
>その人次第でありますが
こんな事を言ってますがとんでもありません。昔の農村部の作業は村を挙げての作業です。
個人の自由で働くかどうかを決められるわけがない。

また、年貢も村単位で納める事が多く、身分がほぼ同じなら誰もが横並びです。
全体作業ですから誰かが周りに比べて多く収入を得ようとは出来ない。
誰もが同じ、自分の田んぼに植え付けをするとか、刈り入れをするとかいうことも周りの人間の同意が
必要になります。
つまり、このタイプの共同体では共同性傾向が強く出る。それが問題なのでしょう。
共同体自体が問題だというような態度は私には納得出来ません。

167 :実習生さん:03/12/12 07:18 ID:EeuF37nL
>[サイレントベイビー」
>赤ん坊が泣いても母親が適切な反応を示さないために、
>赤ん坊に「コミュニケーションを通じた達成」がありえないことが刷り込まれてしまう。
>>99>>138-139
で十分に書いてありますが、まだ説明が必要ですか?
まあ、少し用語が間違っていたかもしれませんがね。

168 :実習生さん:03/12/12 22:35 ID:agyjGXv/
>>160
>清潔で、礼儀正しくて、誠実に
>働いて、嘘をつかない。両親、子どもを大事にする。
やっぱり貞操観念には触れて無いですね(w
http://lian.webup.co.jp/yuu/okiniiri/coram/2002/07.htm
庶民と言ってもどの当たりまででしょうね
一般の農民や、えた、ひにん、水飲み百姓には触れたのでしょうか?
当然の事ですけど貞操階級になるに従って道徳意識は低くなります。
まあそれでも他の未開の国よりは優れた教育をしていましたし
鎖国した上に島国なので他国に蹂躙される事も無く
大量に多民族が流れ込んでくる事も無いので所属集団が流動化する事も無いので
社会に対する庶民の信用がある程度確立され帰属意識が強まったのでしょうけど
ひにんと百姓を対立させて上流階級に踏まんの鉾先が向かないようにしていたという一面もある。

倫理と母子の愛情についてはどこからはなして良い物か・・・・
これは私の主観なんですけど倫理はベクトルが常に共同体の外側に向いている
道徳はベクトルが常に共同体の内側を向いていると言った所ですか。
倫理観とは親離れ子離れと言う様に個人の世界観が大きくなるにつれて段階をおって
外へ外へ、つまり公へと感心のの対象が大きくなり所属していた共同体から心が離れる。
共同体の束縛から離れ個人が自由に物事を判断する様になる事=情愛の否定と言った所ですか。
情愛の禁止とは言ってないですしね。
道徳の場合は自分の所属している共同体とその所属集団をリスペクトする。
その気持ちは内輪へ内輪えと向かう程大きくなる。
外へ向かうベクトルと内へ向かうベクトルがうまく循環している事が社会にとって
健全な状態では無いでしょうか?

169 :実習生さん:03/12/12 22:36 ID:AoT0LD7A
>>161
>御伊勢参りとか善光寺参りって知っているんですかね?
間違い無く知っているでしょうね。
この人民欲学にもかなり詳しいみたいですから。
これには一般の農民や、えた、ひにん、水飲み百姓も交わるのでしょうか?
加わっていたとしても共同体の「外=パブリック」の顔を持った
同じ文化圏の「内=プライベート叉はコミュニティー」でしかないですけれど。

>つまり、神の前に共同体等というものは存在し得ない。
人の前には存在しますよ。
つまり「共同体内の人ばかり愛していないで神の様に外側の人を愛しなさい」
と言う事でしょ。

>で、実際にキリスト教徒が他の文明圏に出てやった事は>>132 の通り。
キリスト教徒を画一化して捕らえるのが間違っている。

170 :実習生さん:03/12/12 22:37 ID:P0mG3WZW
>>162
>だいたい、これじゃ「カリタス」を理解しているキリスト教徒以外にパブリック精神が存在する事が
>不可能になる。
なんでそうなる?
パブリックマインドをカリタスの教義に従って社会的に承認する事によって
それを獲得する事を阻まないようにすればおのずと民度は高くなるって事でしょ。

>特定の宗教に偏った偏見は意味無し。
あくまでもキリスト教『的』ですけどね。
それでも戒律が無いと言う点では片寄っても良いかも知れんが。

>罪は魂の汚れ、魂が清められる事によって天国の門に続く道を維持する事を指す。
原罪と言って全ての人が生まれながらにして背負っている罪がありますけど。
神道の神罰は人の道に背くと言うより自然の理に背いた時に下るものでしょ。
まあどちらにしろ近代化が進むに従って呪術的なイメージから脱せないために
廃れてしまいましたが。

> キリスト教徒や西洋人にだって恥の感覚は有りますよ。
誰もそんな事は否定していない。

>164
共同体とは広辞苑によれば、一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団。
地域社会。アメリカの社会学者マキヴァー(Robert M.MacIver 1882 1970)の設定した社会集団の類型。
個人を全面的に吸収する社会集団。家族・村落など。となっています。
動物は入らないですね。
社会学は人間の社会的共同生活の構造や機能について研究する学問なので当然入らないでしょう。

>>165
十字軍の修道騎士団が政権を握った事があるんですか?

171 :実習生さん:03/12/12 22:37 ID:zes0cH09
>>166
> 読ませて貰いましたけど、彼の理屈だと共同体内部に於いては共生的関係が存在しないような
>発言しかしてませんね。
そんな内容の本じゃ無いですよ。

>それが理解出来ていれば倫理と道徳の違いなど、ほぼ無いと言っていいでしょう。
「ほぼ」ないですね。
問題は帰属するものが違うと言う事ですけど>>155を完全否定してしまっては議論は成り立ちませんね。

>>159
>そうですか、それにしては昔より犯罪も増えているようだし倫理観を持たないような
>人間が増えているような気がしますが。
サブカルチャーが社会的に認知される様になって以前よりは救われる人が増えたでしょうが
全国的にそれが普及する程一般化されていないので仕方ないですね。

172 :実習生さん:03/12/12 22:38 ID:VwXB/SNU
良く見たら>>147ヘのレスがされていませんでした。
現代の日本の凶悪犯罪が増えたのは一つは社会が豊かになってしまったためにアノミーを引き起こしたからです。

■デュルケームは、自殺の原因は一般的にアノミーすなわち「どうしていいか分からない
状態」に由来すると見なしたが、「金持ちが急に貧乏人になるケース」と「貧乏人が急に
金持ちになるケース」とでは、直面するアノミーの種類が違うと考えた。
■五十年後、社会学者ロバート・K・マートンが、前者を「機会のアノミー」、後者を「目
標のアノミー」と名づけた。機会のアノミーは「手段のアノミー」とも言うが、金持ちが
急に貧乏人になると、今まであった機会(手段)が失われ、追い込まれることに相当する。
■目標のアノミーは「目的のアノミー」とも言うが、こういうことだ。貧乏人はいつも金
持ちになりたいと思い、何か問題があると自分が貧乏だからだと考える癖がある。それが
急に金持ちになると、目標が失われ、問題の帰属先も失われて、追い込まれてしまう──。
■一般に、「物の豊かさ」が達成され、何が幸いなのかが各人で分岐する「近代成熟期」
が到来すると、自分の不幸は貧乏のせいだといった「機会のアノミー」よりも、何をして
いいのか分からない、生きる意味が分からないといった「目標のアノミー」が重大になる。
■「機会のアノミー」が優越する場合には、自分から機会を剥奪しているものを攻撃する
という具合に「外への志向」が際立ち、「目標のアノミー」が優越する場合には、生きる
意味や実感が沸かない自分を責めるという具合に「内への志向」が際立つことになる。

その上に>>149で説明した様な社会の学校化。
さらにあなたが>>139で説明した様な厳しい躾(ドメスティックバイオレンス)が原因です。
http://onko.ncf.or.jp/mori/ryoyuki/situke/situke.html
スーパーフリーの和田さんもかなり厳しい躾をそれて育ったみたいですね。
http://www.geocities.com/waseda32154/18.html
こんな感じで倫理観は育たないし道徳意識も根付か無い状況が現代です。


173 :実習生さん:03/12/13 00:08 ID:W/YZIfGD
親は建設会社の社長と聞いた。
会社でもいろいろある。架空名義の口座、何人もの架空の従業員を登録し脱税。
ヤクザとつながり、明らかに不正の書類でも何週間かすれば税務署に通ってしまう。
こういった会社もある。

174 :実習生さん:03/12/13 10:05 ID:vrUcQHmo
突攻は当時の道徳的にはありだが
倫理的には無し。

175 :実習生さん:03/12/13 12:15 ID:vrUcQHmo

倫理は真理

道徳は共同幻想

176 :実習生さん:03/12/13 21:58 ID:8UJMXhQr
『人生は短いので自分の好きなことをやって生きるできである
 この事、若者には悪影響を与えるので言わぬが良策である
 私は寝るのが好きだ』(葉隠より)

俺も寝るのは好きだ


177 :実習生さん:03/12/14 02:21 ID:d2g6hC8q
士農工商えたひにん全て同じ文化から分岐発展した共同体だ。
違う集団に所属している様で実は同じ集団。
只階級が違うだけ。

178 :実習生さん:03/12/14 04:14 ID:4b6N6dWT
ヤマト、蝦夷人、出雲、土蜘蛛、渡来人、アイヌ全部同じ文化だったのか。
違うと思っていた俺は無知だったよ。

179 :実習生さん:03/12/14 23:48 ID:7dH6uJUV
どこにもそんな事かいてないよっっ!!
> 士農工商えたひにん全て同じ文化から分岐発展した共同体だ。

180 :実習生さん:03/12/15 02:56 ID:KZyAzMA4
”士農工商えたひにん”の中に”ヤマト、蝦夷人、出雲、土蜘蛛、渡来人、アイヌ”
はいなかったとでも?

181 :実習生さん:03/12/15 12:35 ID:7ygtAFy+
デュルケームは共産主義を信仰していたと本で読んだ。
大学は左翼の思想家を支持しているようだ。


182 :実習生さん:03/12/15 15:04 ID:KZyAzMA4
マルクスに影響を受けた部分もあるみたいだが共産主義を信仰していたというのは
言い過ぎでは?

183 :実習生さん:03/12/15 16:02 ID:Kh32e/UP
デュルケームは全体主義を狂信していたとある。 

184 :実習生さん:03/12/15 18:39 ID:awWhG3oc
武士道、西洋で言うシヴァリー(騎士道)だよな。
でも、こういう思想は、封建制度のもとの支配階級固有のものであるはずだよな。
つまり「地位にともなう義務」ってやつだ。
だとしたらさ、一般市民にそういう教育をほどこすより、現代の支配階級たる政治家や官僚に、武士道教育をほどこすべきじゃない?
日本の政財界ほど、武士道をないがしろにしている連中はいないと思うけどね。

185 :実習生さん:03/12/15 19:25 ID:eaH7t202
ルソーの「自然人」よりも武士道の方が良いが、誤解を生みやすい。
その前に、伝統、家庭、道徳を教えるべきだ。
皇室の歴史、神棚・仏壇・法事の意味、正月などの行事、伝統的な料理、
離乳食などの育児の方法、を教えるべきだ。


186 :実習生さん:03/12/16 05:00 ID:67YfoCyT
>>184
学生、生徒の中には未来の政治家や官僚、社長が居るわけだからな。
鉄は熱いうちに打てってやつだ。

第一、今の政治家や官僚が他人の言うことを聞くわけないわな。

187 :実習生さん:03/12/16 06:04 ID:SHYWrpyX
自然と言って、子供に価値観や規則を教えない事が教育であるというのが左翼の学
者であるが、これならば縄文時代弥生時代も親子で生き延びる事ができない。季節
や暦に従い、春先に冷たい小川に入り川を堰き止め田に水を引く、台風が来る前に稲
刈りをする、衣類を作る、材木を切り出す、土器を作る。こういったことも出来ない
であろう。季節の移り変わりが激しい国では、餓死か凍死である。子孫を残し世代
が継続することもない。

188 :実習生さん:03/12/16 07:03 ID:GAPb2mMZ
それは 必然で偶然の出会いでした
初めて触れたその手も言葉も 氷みたいに冷たかった
見送るしかできなかった背中が切ない
お願い 振り向いて この手に触れて

私はあなたを溶かす 温もりになりたい……

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189 :実習生さん:03/12/16 16:15 ID:I4sFZcFt
武士道はアスペルガーをいじめませんよね?

190 :実習生さん:03/12/16 17:39 ID:HZFt6z7m
江戸時代における手習塾(寺子屋)や学問塾や藩校は
どの師匠を選択するかはあくまでも学ぶ側にある 。
制度としてではなく一種の人格的関係としての教える者教えられる者の関係である。
それ故手習塾における学習法は、個別の学習と指導、そして自学自習である。
また師匠は手本を示すだけで、言葉で教えるのではなく学ぶ者がそれを模倣し習熟する。
個人の試行錯誤が 学力を高める最高の糧となるのである。

ところが現代は子供には試行錯誤をさせない上に
教師を選択するどころか評価をする事も無い為に学校は
腐敗と停滞の温床となっている。

こんな状態で武士道を教えても無意味。
基盤となるシステム自体を変えないと武士道は張り子の虎と変わらない。

191 :実習生さん:03/12/16 17:43 ID:OsMznd0b
腐れ教師は基本的に右から左まで共同体主義で
左であれば子供達が悩みを相談してきてくれるのが嬉しくてたまらない、
愛に包まれた共同体を念願する自立出来ない教員。
悩みを自力で解決出来る子供こそ健全なのにその事がわかっていない。
右も同じで、何かと言うと
「社会の乱れは共同体の乱れである」と考えて崇高な共同体を復権しようとする。

192 :実習生さん:03/12/16 18:54 ID:4OgElm/U
もちろんその崇高は只の幻想

193 :実習生さん:03/12/16 20:35 ID:2fpEYYAq
191は早い時間から、一体何が言いたい?
能力別?どの段階からするの?晩成型の子への対応は?

194 :実習生さん:03/12/17 01:08 ID:1Etyy+YK
>>192
その幻想に逸早く気付くのが子供(w

195 :実習生さん:03/12/17 05:34 ID:kyaM80QC
まず武士階級をつくらんと始まらない。

196 :実習生さん:03/12/17 10:19 ID:iDQNfCba
>>193
晩成型って言うのは幼少時の画一教育が
知的好奇心と試行錯誤を抑圧するために
才能を発揮するのが遅れる事でしょ。

197 :実習生さん:03/12/17 13:20 ID:P+/0fqio
一般大衆に必要なのは、同じ教材の反復による学習。
10回20回と反復し、記憶を定着させ、法則を
理解させる。

198 :実習生さん:03/12/17 13:47 ID:SkBEdJAD
>>190
言葉でも教えていたと思うが。
正確には言葉を使わない事もある。
藩校では、討論、ディベートも行っていたとある。
まさに言葉と言葉の戦い。

199 :実習生さん:03/12/17 17:54 ID:9tiL6rpM
>>197
それじゃ法則は理解出来ない。
ハイティーンの優秀な生徒達が試験戦争を繰り広げるというのは
先進国では当たり前の事で日本はむしろ甘い方。
だが試験戦争の外の世界、つまり「社会関係」の中で
それがどういう意味付けを持つかと言う事を明晰に意識出来る様な
生育環境が学校化という画一化された日本の社会には無い。
エリートの場合ドイツやフランスなんかが典型的だが一人の子どもが
小学校、教会、ボーイスカウト、スポーツチームと幼少期から
三つから四つの地域集団に所属し、所属集団ごとに別々の物差で
自分を多元的にポジショニングしている。
だから日本の様に情報を頭に詰め込んで受験戦争に勝ち抜く事が
実存的な自尊心まで決定するという共同幻想に溺れてしまう事が無い。
それぞれ違う次元の競争に専念し、複数の共同幻想に浸かりながらも
それが幻想である事に気付き試行錯誤する事ができる環境が出来上がっている

200 :実習生さん:03/12/17 18:46 ID:bV5ztnCp
>>199
受験戦争など公立の小中にはない。
それどろか道徳教育が欲しいくらいだ。
中学で酒を飲んで校舎に登り授業を妨害する奴、木刀を振り回し
30万円集めて来いと騒ぐ奴など、平成になってからも居る。



201 :実習生さん:03/12/17 18:56 ID:Tox2Rw1C
そんな奴はすぐ逮捕。
学校は不祥事を隠さず公に曝せ。
責任はガキにある。

202 :実習生さん:03/12/17 19:02 ID:vSmJuVqh
http://www.mainichi.co.jp/entertainments/tv/2003/05/16-02.html
経済協力開発機構(OECD)が00年に行った、
15歳を対象にした世界32カ国参加の共通学力テストが波紋を広げた。
「知識を応用する技能」を問うもので、総合成績第1位はフィンランド。
いわゆる大国はベスト5にはなく、6位韓国、7位英国、8位日本。
米国は15位、ドイツ21位など(中国は不参加)。

番組は佐藤学・東大教授、リクルート社から転じて東京都杉並区立中学の校長になった
藤原和博さん、栃木県の小学校教諭、永山彦三郎さんによる討論と、
各国の取材で構成する。
ドイツでは、不本意な結果に国中が大騒ぎになった。
10歳の進路分けテストで、「エリートと技量豊かな職人」を振り分けてきた教育システムの、
社会の変化の中での行き詰まりが指摘される。

フィンランドのリポートは佐藤教授が担当。
この国では経済が破たんした90年代、36歳の首相が登場して社会全体の大構造改革が始まった。
教育改革のコンセプトは明快で、「変化に柔軟に対応出来る中小企業のリーダーが必要」というものだ。
現場の裁量を認めた結果、「自分で調べて発見する授業」が重視され、
第1位につながった。
「愛国心問題」など、観念的な部分が多い日本の教育改革を考える上でも参考になる。

203 :実習生さん:03/12/17 19:08 ID:jRYvOGga
この番組をみたがフィンランドでは文部省の指導要領は従来の1/3以下
本の厚さにすると17ミリから5ミリ程度になっていた。
教師への権限移譲は進んでいると同時に教師への的確な評価制度も導入された。
父兄は教育の場に参加する事を義務ずけられ
教師は提案にその言を認め「次回からは変えていきたい」といった素直な対応をしていた。
日本の様な生徒を画一的に捉えた詰め込み教育とは違う物だった。

これからは庶民を切り捨てては国際競争に勝てない。

204 :実習生さん:03/12/17 20:12 ID:9jKzSgwO
>>199
何処に住んでいるんだ。
古くからある公立小なら、同じ学区に5〜10の子供会があり、それぞれの子供会に
民営の公民館がある。子供会では、神社の祭りの山車を引き、太鼓を叩き、おかめひ
ょっとこの踊りまで練習させられ、夏に地区対抗ソフトボールの大会まである、廃品
回収、夏の盆踊りなどもある。さらに、子供会とは関係ない少年野球に入り、日曜の
ソフトの練習と重なり、ソフトの大会だけ出場。学校で普段は、バスケ部かサッカー
部に所属する。こんなことは誰でもやっているのでは。



205 :実習生さん:03/12/17 22:44 ID:Su0SaBZQ
祭りにはヤクザが絡んでいるし
部活は学校にシステム内。
少年野球も学校のシステムに吸収されてしまう。
子供会も子供の自尊心を確立する程のものでは無い。

せめて祭りは学校意外に子供が大人になるまで自尊心を抱く場であるから
DQNが馬鹿騒ぎをするような事はやめてほしい。
しきたりを利用してヤクザが暴行事件を犯すなんて持っての他。

206 :実習生さん:03/12/17 22:55 ID:7WGF7VsB
>>190
寺子屋で教えていたのは読み書きそろばん程度が主だよ。
丁稚に入るためには必要なものだったんで今の学校と大して変わらん。
変わるとすれば寺子屋は自由競争だったという事くらい。
藩校あたり(これを選ぶのは自由ではない)になれば厳しいところは一定の成績を
修めなければ身分に即した 役職を得られなかったしアンタの言っているほど
生やさしいものじゃない。

>>191
そんなに共同体が嫌なら自分で自分の食べる作物を作り、糸を紡いで服を作れよ。
国という共同体の法律に守られながら偉そうに否定しているやつの気が知れない。

207 :実習生さん:03/12/17 22:59 ID:NkrZIRHm
>>199
世間知らずがいるようだな。
>>205
祭りにどうヤクザが絡むんだ?わからん。
うちの地元ではヤクザはいないし、祭りにも来ない。屋台も出ない。
少年野球は学校とは全く関係ないと思うが。


208 :実習生さん:03/12/17 23:58 ID:fNnCp1Ge
>>191
共同体とよく聞くけど、ルソーのいう共同体からきているのかな。
だったら怖いな。ユートピア思想だし。共産主義もユートピア思想。
ルソーのいう集団主義を人為的に作り出そうとしているのか。
共同体とは自然発生的なもので、現代には無理である。



209 :実習生さん:03/12/18 01:04 ID:8I1b8cQN
少し話を戻してしまうようで申し訳ないですが・・・
>>167
>やっぱり貞操観念には触れて無いですね(w
何が言いたいんですか?
少なくとも今の日本は欧州の一部の国のように売春を合法化していません。
それに、欧州で梅毒を(元はアメリカの風土病)スペイン病だのフランス病だのと罵り合っていた事も
しらないんですか?
また、遠征する騎士団の背後には売春婦が付き従っていた事も知られていますよ。
他に、神父や司祭の”甥”の意味を貴方は知っていますか?
アジアで日本人の買春は知られていますが、キリスト教圏のドイツ人も同じように悪名を馳せている。
おまけに、ロリは日本人に多いが、ペドフィリアは欧米人に多い。

>まあそれでも他の未開の国よりは優れた教育をしていましたし
江戸末期には寺子屋は数万有って当時の欧州の識字率を軽く凌駕していました。
(ところで”未開の国”って、もろ差別主義的な発言ですね。あなたの立場が判るような気がします。)
他にもキリスト教徒によるスラブ人の迫害とか色々な差別が欧州で有った事は全て無視ですか?

>倫理と母子の愛情についてはどこからはなして良い物か・・・
随分歯切れが悪いですね。
それに説明にもなっていない。
私に言わせれば、”倫理は道徳を母とする”でおしまいですよ。

>>161
>>御伊勢参りとか善光寺参りって知っているんですかね?
>間違い無く知っているでしょうね。
>この人民欲学にもかなり詳しいみたいですから。
>これには一般の農民や、えた、ひにん、水飲み百姓も交わるのでしょうか?
>加わっていたとしても共同体の「外=パブリック」の顔を持った
>同じ文化圏の「内=プライベート叉はコミュニティー」でしかないですけれど。
それじゃ聞きたいのですが、
自分達の所属する”キリスト教集団”とは無関係に、他人と知り合い、かつ共生、共存を図るような
コミュニケーションの伝統が有ったとでも言うんですか?

210 :実習生さん:03/12/18 01:05 ID:8I1b8cQN
>>つまり、神の前に共同体等というものは存在し得ない。
>人の前には存在しますよ。
>つまり「共同体内の人ばかり愛していないで神の様に外側の人を愛しなさい」と言う事でしょ。
それなら隣人愛(カリタス)というのは共同体内での個人間では無視しても構わない教えだとでも
言うのでしょうか?
そのようなものが個人主義の原形(>>152)と成ったなどと言うのはおかしな話ですね。
共同体から自立して無いじゃないですか。

>>で、実際にキリスト教徒が他の文明圏に出てやった事は>>132 の通り。
>キリスト教徒を画一化して捕らえるのが間違っている。
その後の数世紀にわたる人種差別も考慮しないんですね。
まあ、それなら日本人を画一化して捉えるのが間違っているとでも言っておきますか。

>>162
>>だいたい、これじゃ「カリタス」を理解しているキリスト教徒以外にパブリック精神が
>>存在する事が不可能になる。
>なんでそうなる?
>パブリックマインドをカリタスの教義に従って社会的に承認する事によって
>それを獲得する事を阻まないようにすればおのずと民度は高くなるって事でしょ。
つまり、パブリックマインドの獲得にキリスト教でいう隣人愛は必ずしも必要ではない
という事ですね。ところで

>>152
>>確かカリタスの親を捨てよ故郷を捨てよというのは
>親離れ共同体離れした自立した個人として判断せよと言う意味で
>個人主義の原形となった物だったような・・・
ということはパブリックマインドの獲得には個人主義というものは関係ないという事にもなりますね。
では、どのようにパブリックマインドを獲得するのでしょうか?
今までの貴方の説明では個としての存在を自覚したところからパブリックマインドの自覚へ
繋がると言っていたと思いますが。

211 :実習生さん:03/12/18 01:06 ID:8I1b8cQN
>>罪は魂の汚れ、魂が清められる事によって天国の門に続く道を維持する事を指す。
>原罪と言って全ての人が生まれながらにして背負っている罪がありますけど。
原罪にまで突っ込んで話をしたらピューリタンの方まで話が飛んでいってしまいます。
必要ないでしょうし、廃れてきたのは現代のキリスト教も似たようなもんでしょう。
ところで仏罰は無視ですか?

>> キリスト教徒や西洋人にだって恥の感覚は有りますよ。
>誰もそんな事は否定していない。
ならば >>153
>恥と言う概念自体が周囲の視線を意識するものだと言う事。
つまり
>自分が周囲と違わないことによる安心をコミュニケーションの支えにする
行動基準が、キリスト教徒にも明確に存在しているということになります。

でも、それでいいんです。
絶対の信仰心と言ったところで、聖書自体が色々な写本から様々な解釈を選び出し適当かどうか
議論した上で編纂されている。
まして、昔は文字の読めない人が大勢いて、神父や牧師の説教から神の教えを聞いている。
つまり、その神の教えは間に多くの人間が存在しており、それぞれの解釈のうち適当であるという
いわば、知識人の大勢をまとめたものに過ぎない。
言い換えれば、一般に読める聖書すら、”自分の意見が他人と違わないことによる安心を基盤として”
成立しているとも言えます。
真に神の言葉の解釈が一つなら、多くの修道会派は存在する理由が無いでしょう。

212 :実習生さん:03/12/18 01:06 ID:8I1b8cQN
ようするに
>自分が周囲と違わないことによる安心をコミュニケーションの支えにする
というのは言葉が適当でないけれど、常に自分が正しいのかという問いかけを世の中に続けていくのは
必要なことなのでしょう。
悪いとすれば、その”周囲”のサンプルが一部の狭いものであったときに問題が起こるだけです。
視野を広く持ちサンプルを広げれば全く問題ない。
だから、ものが分からない人のことを、視野が狭いと言ったりするんですね。

だいたい、人は必ず間違いを犯す存在です。
だから、常に自分のやっていることの意義を照らしてみなければならない。
それが試行錯誤と言うことです。
数多くの試行錯誤の結果、経験というものを得、自分の行為の意義を予測出来るようになる。
そして、試行錯誤の際、自身の存在に自信を持ちつつ行なうためには、まず子供の内に親や周囲の
人間から、自分がそこにいて良いのだという安心とか確信といったものを得られるように
しなければいけないということなのでしょう。

むしろ周囲を見ようとしない人間の方が問題は深刻です。
周りの人間を見ようとしなければ、自分の得た答えが真理であるとした場合、他人の忠告は
全く耳に入らなくなる。
そして、このタイプの人間は一神教の信者に多く、カルトにはまったとき抜け出すことが出来ない。
他にも独善的な人間に成る場合も多く、不必要に周囲との緊張関係を作り出すことにも成りやすい。

213 :実習生さん:03/12/18 01:08 ID:8I1b8cQN
>共同体とは広辞苑によれば、一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団。
>地域社会。アメリカの社会学者マキヴァー(Robert M.MacIver 1882 1970)の設定した社会集団の類型。
>個人を全面的に吸収する社会集団。家族・村落など。となっています。
>動物は入らないですね。
>社会学は人間の社会的共同生活の構造や機能について研究する学問なので当然入らないでしょう。
わかっていないですね。
共同体という言葉は日本語なんです。
共同体という言葉があてられるのは(community, gemein-schaft, edah)他にも探せばあると思いますが
それぞれ微妙に定義が違っているんです。
広辞苑も版によって異なった説明がされている事を知っていますか?

>>165
>十字軍の修道騎士団が政権を握った事があるんですか?
つまり、政権に関わる集団でなければ服従、あるいは不満を抑え従うという事があったとしても
>自分が周囲と違わないことによる安心をコミュニケーションの支えにする事になる
とはならないわけですね。 随分都合の良い解釈ですね。
なら、学校も政権を得ているわけではありませんよ。

修道騎士団の名前があるように団員の騎士は修道士、日本で言う坊さんです。
彼らのモラルが一般のキリスト教徒に与える影響が大きいことは判りそうなものですが
まあ、政権のあるなしでどのように違うのか出来れば説明して欲しいものです。

参考までに、十字軍の騎士団は国の政権を執る事はありませんでしたが、そのトップの絶大な権力は
小国の国王を凌ぐものでした。(荘園は持っていた)
後に、その影響力の強さに対する恐れ、そして財力に目を付けた法皇と仏国王によって
テンプル騎士団は異端の汚名を着せられる事になり、中世に吹き荒れる魔女狩りの発端になったとも
言われています。
つまり、一国の政権は執らずとも権力は握っていたという事ですね。

214 :実習生さん:03/12/18 01:09 ID:8I1b8cQN
>>166
>> 読ませて貰いましたけど、彼の理屈だと共同体内部に於いては共生的関係が存在しないような
>>発言しかしてませんね。
>そんな内容の本じゃ無いですよ。
失礼。
あなたが挙げたURLの「パブリック・マインドの欠如 」のところを読めばいいのかと思いまして。

215 :実習生さん:03/12/18 01:10 ID:8I1b8cQN
>>それが理解出来ていれば倫理と道徳の違いなど、ほぼ無いと言っていいでしょう。
>「ほぼ」ないですね。
>問題は帰属するものが違うと言う事ですけど>>155を完全否定してしまっては議論は成り立ちませんね。

まず、宗教的倫理観が倫理観全体を示すものとしているのが間違いです。
それに、宗教的倫理観は一神教であってもそれぞれで違います。
もう一度言いますが、キリスト教の細かい解釈も、公会議などで変更されたりもしています。
では、その解釈は誰がしているのかと言えば神ではなく人間です。
つまり、聖書の言葉でさえ、それが正しい解釈なのかどうかを判断するためには、他人がどのように
見ているかという事を無視するわけにはいかないという事が解ると思います。

それから倫理と道徳の範囲の違いは、簡単に言ってしまえば倫理とは道徳のうち最大公約数で
まとめられるもの。といった程度ですね。

また、行為という事で限定してしまえば、シュタイナーが言っているような倫理的行為とは
自分の良心の欲求に従って成された行為が他にとって善と認められるような行為であったとき
初めて倫理的な行為と言えるでしょう。
良心に従った行為が本当に善かどうかは、自分の姿を鏡や映像でしか見ることが出来ないように
他人の目や、その他の基準となるようなものがなければ確認は出来ません。
一方、道徳的行為は、定められたことを義務としてする事とでも言えるでしょう。
言い換えれば、やりたいからやるのが倫理的行為、やらなければいけないからやるというのが
道徳的行為と言えるかも知れません。


216 :実習生さん:03/12/18 01:11 ID:8I1b8cQN
それから”倫理は真理”とか言っている人がいるようですがとんでもありません。
中世の倫理観と今の倫理観はまるで違います。
また今の倫理観が、未来でもそのまま通用するとは限りません。
現在の日本では買春やマリファナの服用は倫理に反しますが、これらを合法化している国もあります。
また、ジェネレーションギャップというのは世代間の微妙な倫理観の違いによって引き起こされている
ことも多い。

倫理にしろ道徳にしろ、常にそれは本当に正しいのかという問いかけを社会に続けていく必要が
有るものです。
例えば医療倫理として、死亡をどのように判定するとか臓器提供をどのように行なうかなど
国によって、時代によって対応が違うことを考えても解るでしょう。


217 :実習生さん:03/12/19 07:52 ID:b0wuEjn+
>>169
徳川農本主義の時代に、伊勢参り、善光寺参りに農民は参加しなかったと
いうのか。土地をもっている農民の方が、町人より豊かな場合もある。
神社の歴史にも庶民がまとまって富士などに行ったとある。
農民でも商売や建築の仕事をしていたと聞く。

218 :実習生さん:03/12/19 18:51 ID:qoPv6exh
武士道と禅の関係は?

219 :実習生さん:03/12/19 19:07 ID:qoPv6exh
デカルトをはじめとする人為的に社会をコントロールしようという設計主義的な思想
には反対です。

220 :実習生さん:03/12/20 17:39 ID:30jMgwck
>>209
> 私に言わせれば、”倫理は道徳を母とする”でおしまいですよ。
ソースは?
道徳は倫理を母とするの間違いでは?
広辞苑を見る限り倫理とは道徳の規範となる原理です。
人間がその倫理を認識するには道徳の最大公倍数という形でしか出来ないというなら解ります。

>>216
>それから”倫理は真理”とか言っている人がいるようですがとんでもありません。
倫理は真理で問題ないと思います。
その本質は不偏です。
時代によって倫理観が違うのはその時代によって道徳意識が違うからです。
倫理観は決して真理ではありません。
>>211であなたが言う様に真理は人間が認知出来ないもので
キリスト教圏ではそれを「神のみぞ知ると知る」として
信仰心を動機付けに信じさせ従わせてきただけです。
現代では科学的な考察から倫理とは何かがだいたいはっきりしてきています。
よくよく考えたら普遍思想自体外来の概念で日本には無いのでは?

倫理とは何か道徳が本当に正しいのかと問いただしていく必要はあるとおもいます。

221 :実習生さん:03/12/20 17:40 ID:A7F3n1rb
>>216
>現在の日本では買春やマリファナの服用は倫理に反しますが、これらを合法化している国もあります。
>また、ジェネレーションギャップというのは世代間の微妙な倫理観の違いによって引き起こされている
>ことも多い。
売春やマリファナの服用は道徳に反しているので日本では禁止されているだけ。
マリファナにはタバコみたいに毒性、依存性のあるニコチンは入ってないし
(タバコはレッキとしたドラッグです)
酒飲んだときみたいに暴力的になることもない
(当然アルコールもレッキとしたドラッグです)。
個人の尊厳を犯すもので無い限り倫理に反するという事は無いと思います。
尊厳とは人が人としていられる為の本質的な条件で
試行錯誤で獲得した個人的な自尊心です。
ちなみに自己責任でなされる試行錯誤によって培った自信が自己信頼です。
売春もお互いの合意で行われるのなら倫理に反しません。

> つまり、聖書の言葉でさえ、それが正しい解釈なのかどうかを判断するためには、他人がどのように
>見ているかという事を無視するわけにはいかないという事が解ると思います。
他人がどのように見ているかという事を無視はしません。
しかし、そこにはコミュニケーション不可能な感覚がある訳で
他人がどう思っているのか判断するには自分の価値観を相手に投影して判断するしか無く
それをする為には個人が経験を結果を参考にするか聖書の様な物の規範を参考にする以外無いのは確かです。
前者の場合個人が社会の中でそれなりの試行錯誤をする必要がありますがそれだけでは足り無いです
学術的な裏付けのある倫理的な考えが無いとやはり頼り無いです。
後者の場合は聖書を絶対的な物と信じる信仰心が必要です。
つまり、昔の経験の少ない無知で閉鎖的な人間には宗教の様なものを使って
倫理を理解させる事が効果的だっただけの話しです。
速い話しが周囲だけでは無く公の視線で物事を捕らえる必要がある訳です。

222 :実習生さん:03/12/20 17:40 ID:DmlMj0tT
>>210
>個としての存在を自覚したところからパブリックマインドの自覚へ繋がると言っていたと思いますが。
共同体同調的な感覚、つまりみんなが奴が嫌いだと言うから俺も嫌いだなんて言うやつが
異なる共同体に属する人たち、あるいはどの共同体にも属さない人たちと
互いに侵害しあわないで共生する事なんて無理ですからね。

教皇ヨハネ・パウロU世は、2000年1月の聖地巡礼、そして大聖年を祝うその年の3月のミサで、
歴史上画期的な二つのことに言及した。
その一つはキリスト教だけが「真理」を独占しているのではなく、
他の宗教であっても同様に「真理」を共有しているのだということ。
さらにもう一つは、過去2000年の間にキリスト教徒が
犯してきた間違いが存在したことを認めたことであった。
但し、この間違いはキリスト教の教義が間違っているのではなく、
正に教義の不完全な理解が故に間違ったのだという認識の元に発せられたのであった。
言い換えれば、キリスト教の教義を完全に理解し、実践することによって、
この間違いは完全に克服できるという認識があってこその発言でしょう。
できるかどうかは解らないけどね(w

>>210
> まあ、それなら日本人を画一化して捉えるのが間違っているとでも言っておきますか。
捉えて無いです。
むしろバラバラだと言っています。
ただ倫理と言う概念が無いと言っているだけです。
倫理観がある人間はいるだろうけどそれが普遍的で確かなものだと
認識はできる人は少なかったでしょう。

223 :実習生さん:03/12/20 18:31 ID:FKBJgXN8
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html
教育改革国民会議の提言

224 :実習生さん:03/12/20 19:51 ID:aNMQimsG
>>220-222
初めに倫理を会得してから道徳を覚える人間が何処にいる。
蒸留酒を造る前には醸造酒とか醪(もろみ)が必要なことも判らないのかな?
水曜か木曜日くらいに本格的に反論を書き上げてあげるけど、いい加減に広辞苑から離れたら?

>倫理は真理で問題ないと思います。
ついでにこれのソースもね。
それと聖書に書かれているのが倫理観ではなく倫理であるとする根拠と説明も
して下さいな。
その際、倫理観と倫理の違いも、出来ればソースも挙げてハッキリさせて下さいよ。

もう一つ、>>210
>ということはパブリックマインドの獲得には個人主義というものは関係ないという事にもなりますね。
>では、どのようにパブリックマインドを獲得するのでしょうか?
これの説明もね。

225 :実習生さん:03/12/20 20:16 ID:VD6b+fYp
親、師匠、目上の人物が、ことわざ、四書五経の一節を説き、言葉によって倫理道徳
を教えてきた。これが日本の伝統である。道徳を教える事は、歴史の積み重ねの中で
形成された「自然発生的秩序」である。

226 :実習生さん:03/12/20 20:37 ID:VD6b+fYp
左翼は価値観を言葉で教えてはいけないという。
親や伝統から切り離し、同じ年齢だけの集団を作り、一箇所に閉じ込め、あえて倫理
道徳を教えない。暴力事件があっても、年長者が止めに入る事が出来なし、教師も止
めない。子供の試行錯誤により、倫理道徳を「自然」に学ぶことができているはずだ
と妄想しているからである。
加害者は「自然」に悟って反省する事はなく、人格をより獣性化させ、リンチ殺人まで
おこす。
歴史上になかった方法、思弁上の理論で教育してきたが、完全に失敗に終わっているのである。

227 :実習生さん:03/12/20 21:09 ID:6XjEPpED
われわれはテレビから日常的に言葉を通して学んでいる。
言葉で教えないことが良いというが実は錯覚である。

228 :実習生さん:03/12/21 10:59 ID:fmwUWSVG
>>224
>初めに倫理を会得してから道徳を覚える人間が何処にいる。
倫理観があるから道徳に従うんじゃないの?
まあそれは鶏が先か卵が先かの話しであんまり意味はないですね。
本質的には社会性の母が倫理、父が道徳と捕らえるのが自然だとおもいます。
両輪がなければ社会は正常に機能しません。

>それと聖書に書かれているのが倫理観ではなく倫理であるとする
こんな事書いたかな?
人間が認識できるのは倫理観のみでしょう。

最近読んでいるサイト
http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/05/engethics02.htm

229 :実習生さん:03/12/21 11:21 ID:SolFU/fB
倫理、道徳の違いは欧米人がよくいう話。
日本語ではほぼ同じでは。

230 :実習生さん:03/12/21 11:44 ID:R0/0w0ka
つまり日本人の概念は未成熟って・・・

231 :実習生さん:03/12/21 11:57 ID:rLvexD7b
共同体と公がはっきり区別されないのも
国と国家の区別がはっきり区別されないのも・・・

232 :実習生さん:03/12/21 16:44 ID:mrSWxsat
欧米の一神教では、「道徳」といった場合、その中に必ず神、宗教は入る。



233 :実習生さん:03/12/21 17:03 ID:N7MYRfDy
日本では、「道徳」の中に「宗教」は入らない。

234 :実習生さん:03/12/21 17:12 ID:N7MYRfDy
しかし、宗教の中に「道徳」は入る。
道徳は神を拝まない。ゆえに宗教ではない。

235 :実習生さん:03/12/21 18:39 ID:RP7vaYr3
>>228
>倫理観があるから道徳に従うんじゃないの?
全然理解出来ていないようだね。

236 :実習生さん:03/12/21 19:13 ID:UOhRErlo
>>212
>そして、このタイプの人間は一神教の信者に多く、カルトにはまったとき抜け出すことが出来ない。
> 他にも独善的な人間に成る場合も多く、不必要に周囲との緊張関係を作り出すことにも成りやすい。

良いサンプルがあるぞ(w

<建国義勇軍事件>刀剣友の会会長ら6人逮捕 広島県教組銃撃で
http://www.excite.co.jp/zaurus/bangumi_fr/news/story/dn/20031219095800_20031219E40.011.html


237 :実習生さん:03/12/21 20:19 ID:RP7vaYr3
>>229
倫理、道徳の違いは欧米人がよくいう話。
よく言わない。
>>228
で参考に挙げられているサイトを読んでみな。
倫理と道徳を区別しないのが一般的だって書いてあるから。
以下は参考サイトからの抜粋

もっとも「道徳」と「倫理」とはそれほど明確に区別されているわけではない。
ツーゲントハットはこの2つを区別しようとすること自体がおかしいと言っているし
事実、名付け親のアリストテレスの「倫理学(Ethiken)」では倫理は道徳理論の研究であり
性格特徴を調べるとしている。またギリシャ語のethikos(性格的)をラテン語の
moralis(習慣的)と翻訳しているのだから字義的には区別は確かに意味がない。
また道徳の神様のようなカントはSitten(習俗)という用語を道徳という意味に用い
ヘーゲルは人倫性(Sittelichkeit)としている。
漢語では倫という時は複数の人の集まりを意味している。

238 :実習生さん:03/12/22 00:51 ID:qEMxkhOE
>倫理と道徳を区別しないのが一般的だって書いてあるから。
あくまでも「一般的」にはね。
倫理、道徳の違いをよく言うのは学者でしょう。
それにどこまでが本能的なものでどこまでが幻想なのかという区別もつかない。
でも教育の事を考えるならある程度の区別は付けなければならないと思うよ。

だいたい江戸時代の武士は当然「武士道」読まないで武士道を体現してたんだから
武士道を理解するのに出典を読む必要はない訳で現代もそれに近いものを目指すベき。

>>206

> 藩校あたり(これを選ぶのは自由ではない)になれば厳しいところは一定の成績を
> 修めなければ身分に即した 役職を得られなかったしアンタの言っているほど
> 生やさしいものじゃない。

私の言っている事と矛盾を感じないんですけど・・・
生やさしく無くて結構。
それで無くては生きている実感がつかめない。
アノミーなんか吹き飛ばす戦いが必要だ。

239 :実習生さん:03/12/22 00:54 ID:Zg/LUQp8
はぁ

240 :実習生さん:03/12/22 08:54 ID:vcaq5eKV
江戸時代、武士に儒学は必須だったのだが・・・
それに各藩には武家諸法度も有ったわな。

241 :実習生さん:03/12/22 12:18 ID:W6Vy3fkL
武家緒法度って武士道なの?
武士道と言えば葉隠と新渡辺の書いた…何だっけ?

242 :実習生さん:03/12/22 16:12 ID:vcaq5eKV
新渡戸稲造の著作名はそのまま”武士道”だよ。

武士道は武士の倫理観、もしくは有るべき姿、理想像を模索したもの。
諸法度も武士の行動規範を説いたものだから当然関係あるよ。

他にも仏教、神道、儒学、それぞれをどのように解釈し受け入れたのか
考察することが出来る。

243 :実習生さん:03/12/22 16:15 ID:13lDWF2O
>>237
英語の松本道弘氏は欧米人と倫理道徳について
語るとき、コミュニケーションがうまくいかないことがあると言い、
西欧の場合は、道徳というのは宗教だとはっきり言うそうです。

244 :実習生さん:03/12/22 16:54 ID:vcaq5eKV
>>243
それはそうでしょうね。
彼らの精神文化のなかにはキリスト教が深く根ざしているから。

アンネマリー・ピーパーという人の「倫理学入門」という本の中では
確か、倫理も道徳も語源からしても本来区別出来るものではないが、倫理の場合は
哲学的考察を加えるとき言葉を区別した方が便利だからだというようなことが
書いてあったはず。

一方、道徳という言葉は、より実生活に密着したものとして捉えるので、その基盤となる
精神文化が強く作用しているように見えるのは当然でしょう。

245 :実習生さん:03/12/22 17:32 ID:AVbWgDY0
>>243
知っていた、あるいは、推測できたというのか。

西欧が道徳は宗教だと考える事は驚きである。


246 :実習生さん:03/12/22 18:44 ID:xWPwun9X
武士がリストラされたくらいで挫けない内面的確かさを持っていたら
西南戦争はおきなかっただろうか?

247 :実習生さん:03/12/22 22:20 ID:M5WeVUcQ



    刀 剣 友 の 会 の タ イ ー ホ で 終 了

248 :実習生さん:03/12/22 22:48 ID:qK9S7rTk
    何    故    尖    閣    ?

249 :実習生さん:03/12/23 17:12 ID:EyEdba7u
奴隷根性の方が素晴らしいと?

250 :実習生さん:03/12/23 18:28 ID:XCBHxWUM
>>242
>>新渡戸稲造の著作名はそのまま”武士道”だよ。

"Bushido, the Soul of Japan" が正しい。

251 :実習生さん:03/12/23 19:14 ID:PO4VVCHL
武士道が正しい

252 :実習生さん:03/12/23 20:10 ID:KOuQhiXs
>>250
確かに。”武士道”は訳本のタイトルだな。

253 :実習生さん:03/12/24 00:18 ID:OhmeWUIa
>>252
そんなことは誰でも知っている。

254 :ひめだるま ◆2kGkudiwr6 :03/12/24 03:41 ID:t+EjYk56
けっこう、充実した論議が展開されていますね。わたしももっと武士道について
知りたいと思っています。時間ができたら「葉隠」をじっくり読みたいな。

ここは、良スレだと思いますよ。

255 :実習生さん:03/12/24 06:32 ID:Rgy39cws
【犯罪道】教職員5人を懲戒免職=自校生徒と性行為など−東京都教育庁

 東京都教育庁は22日、自校生徒との性行為などわいせつ行為や万引き、
公金の横領が明らかになったとして、教員や事務職員5人を懲戒免職処分と
したと発表した。
 このうち、都立高校勤務の37歳男性教員は、2001年から02年の間、
授業で教えていた自校の女子生徒とホテルや自宅で性行為を行った。女子生徒
は当時18歳未満で、母親からの抗議で分かったという。同じく都立高校勤務
の45歳男性教員は03年3月から7月までの間、インターネット上で知り
合った女子高校生と車やホテル、自宅でわいせつな行為を行った。
 都内の小学校に勤務する48歳の職員は03年10月、100円のどら焼き
1個を盗んで見つかった際、店主から住所や名前を記入した用紙を奪って
逃走し、書類送検された。また、2000年度から02年度の間、勤務して
いた小学校で虚偽の超過勤務時間を報告し、約46万円を不正に受け取っていた。
 このほか、再任用で都立高校に勤務していた61歳の職員は、事務長を務
めていた前任校で生徒の教材費など約192万円を横領。都立高勤務の29歳
の職員はクラブ指導員報償費など約65万円を横領した。
(2003年12月23日時事)
http://book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20031223-3

256 :実習生さん:03/12/24 12:21 ID:t98qqm3W
現代、社会問題になっている若者の無規範は
思想では無く環境が問題であり武士道を教えても
効果は期待出来ないと言う事で終了。

257 :実習生さん:03/12/24 13:41 ID:QMP7krxS
ハイエクは、物理科学の方法を社会科学へと誤用することを「科学主義」と名づけ、
社会のコントロールを正当化するためにそれを使うことを「設計主義」と呼んだ。

この誤用は理性の濫用であって、彼はその源流を、デカルトと、特にコントにまで
遡った。

258 :実習生さん:03/12/24 17:49 ID:gcSnpOux
その「設計主義」批判ってイリイチの「脱学校」に繋がりそうだね。
武士道とは遠い話しだなあ・・・

259 :実習生さん:03/12/24 19:58 ID:OEjNcvh8
ハイエクはマルクス主義を殺した哲人です。

260 :実習生さん:03/12/25 01:35 ID:UIk43/bG
イリイチはルソーの「人間不平等起源論」を方法論においても内容においても、
盗作的に模倣している。


261 :実習生さん:03/12/26 21:34 ID:HWOUwYLc
結局宮台グループひめだるまの自作自演か。

262 :実習生さん:03/12/27 08:41 ID:P5HBFiv7
爺様婆様から、ちゃんと歴史を教わっていない人多すぎです。中国人、朝鮮人の歴史の捏造に騙されてはいけません。
日本人も、きちんと先祖の行いに感謝し子供や孫たちに、正しい歴史を伝えないといけないよね。

20世紀初頭の孤児救出劇 http://www.h7.dion.ne.jp/~speed/poland_new.htm

エルトゥールル号事件 http://www4.ocn.ne.jp/~yoshirin/kigai/ertug/ertururu.html

日の丸を元にしたパラオの国旗 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/20010503.html

ほんとはこの国のこと、よく知らなかった http://www.jiyuu-shikan.org/faq/top.html

日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03.html

愛すべきニッポンの隣人達 http://www.ii-park.net/~imzapanese/index.html

大日本史番外編朝鮮の巻 http://freesite.kakiko.com/temporary/index.html

お勧めの本 今書店にならんでいる。
・前野徹『新 歴史の真実―祖国ニッポンに、誇りと愛情を』経済界 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766782593
・『もう黙ってはいられない−韓国人・朝鮮人の犯罪』http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1664/Mou_Damatehairarenai/
・金完燮(キム・ワンソプ)『親日派のための弁明』草思社 http://www.soshisha.com/books/1152.htm
・黄文雄(コウ・ブンユウ)『韓国は日本人がつくった』徳間書店 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198615063
・杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』―謝罪するいわれは何もない― 展転社 http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/index-jkorea.html
・呉 善花、崔吉城『これでは困る韓国』三交社 http://www.sanko-sha.com/sankosha/editorial/books/items/570-7.html
・前野徹『新 歴史の真実―祖国ニッポンに、誇りと愛情を』経済界 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766782593
・渡部昇一『渡部昇一の昭和史』http://bookweb.kinokuniya.co.jp/html/9976938691.html

この日本を残してくれた先祖に感謝し、日本人として誇りを持ちましょう。
日本人よ誇りをもて http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/


263 :実習生さん:03/12/27 11:55 ID:nand2+Mv
この板的にラストサムライってどうです?
大学の日本思想史の教授がやけに気に入ってるっぽいんですけど。

264 :実習生さん:03/12/27 14:24 ID:Jg9x353I
左翼の人が、保守のまねして書いているが情報量が少ない。
90年半ば以降、放送された渡部昇一氏の「新世紀歓談」くらいは見ていて欲しい。


265 :実習生さん:03/12/27 22:44 ID:2AmSmlam
>>262
おお、NAVERで使えそうなものばっかだ、サンクス

266 :実習生さん:03/12/28 00:04 ID:WiceeGnj
武士道についての解説もあります。
『名著の解読学』 谷沢永一/中川八洋 


267 :実習生さん:03/12/28 04:48 ID:mAJbrHkM
>>69
>>73
山岡鉄舟の武士道まで知っていたり
新渡戸の武士道がキリスト教的道徳を模倣して書いたもので本物でない
との見解も、気になります。
禅と武士道に関係がある著作はどのようなものがありますか。

268 :実習生さん:03/12/28 06:55 ID:Bw96O34l
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       ( ´Д`)//< 先生! なぜ先生はサヨクなのに
      /     /   \   日本の教師が勤まるのですか?
     / /|    /     \_____________
  __| | .|     | __
  \   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   \
  ||\            \
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
  ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
     .||              ||

269 :実習生さん:03/12/28 07:59 ID:IFfPYqz3
ドン百姓に武士道を教える?

おまえらは寺子屋でもいってろ

270 :ひめだるま:03/12/28 14:17 ID:j0Vkdu6V
>>267
そうでつね。例えば。
岡倉天心「茶の本」はいかがでしょうか? 茶から始まり華道や武士道の
切腹の美学まで、日本と東洋の日常生活の美を論じていますよ。


271 :実習生さん:03/12/28 15:07 ID:4euavWi/
>>267
ヘリゲルの『弓と禅』の方が面白いと思います。


272 :ひめだるま ◆2kGkudiwr6 :03/12/28 15:37 ID:j0Vkdu6V
>>271
いい紹介をありがとう。忘れちゃいけない名著ですよね。

273 :実習生さん:03/12/28 20:03 ID:0rIRy9o+
今さらながら思うが「天に恥じる」の恥の基準は結局
自分の所属する集団のメンバーによって悪しきことこそ悪しきことである訳だよな。

274 :実習生さん:03/12/28 20:57 ID:GSYX0heX
>>273
感性がにぶすぎるのではないか。
個人の品格感性の問題である。

275 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

276 :実習生さん:03/12/29 01:04 ID:gEnbhsgP
罪を定める神、それを赦す神 我々が生きる日本の社会には、元来一神教的な神は存在しなかった。
だから神によって定められた「罪」への意識も希薄である。
また、誰に指摘されようが「私はこれを信じるのだ」と言い続けられるような内的な堅信も従来では存在し難かった。
日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
この日本の社会が倫理の代わりに持っていたのは、自分の所属する集団のメンバーによって良きことこそ良きことである、
という内部への視線によって規定されてきた、善悪の判断のものさしである。
いわばそれは、所属集団の視線によって自らを持する「外的な確かさ」、即ち道徳であった。
所属社会の中にあっての「良心」といった抽象的な概念は、
神のまなざしといったような固定的なものさしに基づく「倫理」と、
集団に所属するメンバーの視線によって判断される「道徳」という排他的な二つに分類できる。
しかし、かつての日本のように、その所属する集団にほとんど流動性が見られないような場合には、
この所属集団のメンバーの視線によるものさしもある程度固定されたものであったが、
近代に至って各地の流動性が高まり、また、都市化した社会に見られる各所属集団のディスコミュニケーションは、
従来存在したはずの集団のメンバーによる視線を脆弱なものとした。
かくして神無き=倫理無き社会において、道徳の母体である村落社会が消失した時に残ったのは、
何が良心のものさしとなるのかという、大きな問題である。

277 :実習生さん:03/12/29 02:14 ID:jarqqrF6
>>276
>集団のメンバーによる視線
ということは、全体主義と同じではないのか。

宮台や社会学はもうやめて。
社会学自体が擬似科学、擬似学問です。

278 :実習生さん:03/12/29 06:39 ID:5hXkyz4C
>>267
>新渡戸の武士道がキリスト教的道徳を模倣して書いたもので本物でないとの見解
これは以前掲示板で話をしていたときにそんな話が出て来ていたんですね。

「大和魂 と 武士道」
http://sports.2ch.net/budou/kako/1053/10539/1053924076.html
「武士道精神とスポーツマンシップの違い」(過去ログ倉庫に格納 html に未だ成っていない)
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1059596609/l50

(掲示板での話の中で参考資料として出て来たもの)
「明治期日本における武士道の創出」(鈴木康史:筑波大学)
http://www.taiiku.tsukuba.ac.jp/inst-hss/bulletin24pdf/47-56.pdf

>禅と武士道に関係がある著作はどのようなものがありますか。
禅が取り入れられ発展したのは武士社会の時代ですから、禅の歴史を研究する本を探せば
結構あるのではないかと思いますが、比較的簡単で代表的なものに
「禅と日本文化」(鈴木大拙 著:岩波新書)というものがあります。

直接に武士という事でなく、当時の武士の嗜みである武術に関係があるものとしては
「不動智神妙録」(沢庵禅師)「兵法家伝書」(柳生宗矩)「弓と禅」(中西政次[著])
「剣と禅」(大森曹玄)それに他の方が挙げている『弓と禅』(オイゲン・ヘリゲル[著])
などがあるようです。

また、禅と言うことではなくて武士という存在に興味があるなら岩波書店で以下のようなものが
あるようです。
(キーワードNOW) 「サムライ」と「武士道」
http://www.iwanami.co.jp/keyword/bushidou.html

279 :実習生さん:03/12/29 06:40 ID:5hXkyz4C
>>273
その通り。
罪の意識は権威からの恐怖心が出発点と言えるし、恥(恥辱)の意識は周囲から自己を否定される事への
恐怖心が出発点と言える。
天に恥じるとは天という超越意識から自己を否定されることを意味する。
では天という超越意識はどのように生まれたのかと言えば、結局過去から続く人間の意識の集大成
でしかない。
でも、一神教の神の言葉も同じようなものでしょう。

>>277
>社会学自体が擬似科学、擬似学問です。
そうかな?
>>257 で書かれているように「科学主義」の源流をなぜデカルト辺りで
止めてアリストテレスまで遡らないのか考える必要がある。
もっとも>>276 はコピペだよ。
でも何度もコピペしているので反論を少し

http://www.puripuri.org/socst/disorg/transit.shtml   「流動的な地域」

上記を読めば判るように”一神教的な神が存在した伝統ある社会”でも、やはり流動性の高い場合は
犯罪が増えているという”現実”を表している。

ちなみに上記のHPは良くできているので一度TOPから見てみると良いかも知れない。
http://www.puripuri.org/

280 :実習生さん:03/12/29 06:41 ID:5hXkyz4C
大分遅くなりましたが

>>220-222
広辞苑では倫理と道徳を明確には区別していません。
倫理学の項では”道徳の起源・発達・本質・規範について研究する学問”とある。
つまり、”道徳の規範となる原理”とは道徳そのものの本質を指しているに過ぎない。

本質的には、語源的にも倫理と道徳の違いはないが、一般に日常に根ざした道徳というものには
地域的な偏差、ローカル色が強い場合がある。
そこで、より一般的に認証が得られるような”徳”の在り方を倫理として私は区別しているに過ぎない。
この”より一般的に認証を得られる”というのがパブリックということですね。
例えてみれば、道徳が方言、倫理が標準語と言ったところでしょうか。
方言に含まれる微妙なニュアンスはないが、より多くの人に機能的に通用するのが標準語でしょう。
どちらにせよ言葉には違い有りません。

ところで、人は何故、どのようにして、倫理観だとか道徳観というものを覚えるのでしょうか?
人の社会的行動は、幼少時、親や周囲の人間の行動を真似るところから始まると書きましたが
それでだけで物事の善悪を知るわけではない。

人は生まれ落ちた時には物事の善悪を知る存在ではありません。
親や周囲との関係から覚えていくものですが、善悪という概念を理解するためには何らかの
心理的性状が必要になります。
その一つとして罪悪感というものの感覚が必要になると思われますが、この罪悪感とは
どのように会得するのでしょうか?

その事について”ジークハルト・ネッケル”という人が、恥についての本の中で”権威に対しての
恐怖心”という事を挙げていたと思います。
つまり、しては成らないことをした時にペナルティ、あるいは罰というものを受ける可能性への
恐怖が罪悪感の根元となるということです。
この権威者とは宗教の中では主に神もしくはそれに準ずるものになりますが、幼少時、家庭に於いては
親といったものになるでしょう。

281 :実習生さん:03/12/29 06:42 ID:5hXkyz4C
倫理学の古典、「ニコマコス倫理学」(アリストテレス)から少し抜粋します。

  倫理的卓越性は習慣づけに基づいて生ずる。
  「習慣」「習慣づけ」(エトス)という言葉から少しく転化した
  ”倫理的”(エーティケ=エートス的)という名称を得ている所以である。

 ※アリストテレスは卓越性(アレテー)を「知性的卓越性」「知性的徳」と「倫理的卓越性」
 「倫理的徳」とに区別して論じていたが、現在では一般的に”徳”と言った場合後者を指す。
 この辺のことは>>244 で紹介している「倫理学入門」に詳しく書かれていると思います。

日常からの習慣づけのなかで善悪というものを覚えていく。
そしてその繰り返しの中で”悪いことをしてはいけない”というような心理的なメカニズムが
組み込まれていくことになる。
これが良心の出発点のひとつになるといえます。
これらは、初め家庭という小さな共同体の中で体験的に覚えていくものですが、より日常に
密着した中で覚えていくものなので、家庭や地域独自のローカル色を帯びることもあるでしょう。

そのように考えると、初めに覚えるのが一般的認証の高い倫理というものではなく
ローカル色の強い道徳であるのだということが判ると思います。
もっとも、倫理と道徳をあえて区別したらの話ですけど。

ところで>>238
一般的に区別しないといったのは”一般の倫理学”ではという意味で専門に研究していない
一般の人を指していたわけではないですね。
>>237 で挙げられているツーゲンハット、アリストテレス、カント、ヘーゲルは皆、哲学者とか
社会学者です。

282 :実習生さん:03/12/29 06:43 ID:5hXkyz4C
>>220
>倫理は真理で問題ないと思います。
>その本質は不偏です。
ではその本質とは何でしょうか?
道徳のイデアとして倫理を規定するなら判りますが、その場合現実に存在するのは全て道徳という
事になります。
もっとも、表に現れる諸要素を取り払った本質と言うことであれば倫理も道徳も変わらず真理と
言えるかもしれません。

>時代によって倫理観が違うのはその時代によって道徳意識が違うからです。
>倫理観は決して真理ではありません。
倫理と道徳が異なるとすれば、道徳意識に左右されるのは道徳観だと思いますが、貴方の言う倫理観と
道徳観はどのように異なるのでしょうか?

>>211であなたが言う様に真理は人間が認知出来ないもので
>キリスト教圏ではそれを「神のみぞ知ると知る」として
>信仰心を動機付けに信じさせ従わせてきただけです。
>現代では科学的な考察から倫理とは何かがだいたいはっきりしてきています。
>>228 でも書かれていますが、真理は人間が認識出来ないと言っているのに、何故現在の考察で
真理である倫理の真の姿がハッキリしてきているということが判るのでしょう?

283 :実習生さん:03/12/29 06:44 ID:5hXkyz4C
>>221
>個人の尊厳を犯すもので無い限り倫理に反するという事は無いと思います。
>売春もお互いの合意で行われるのなら倫理に反しません。
>>168
>やっぱり貞操観念には触れて無いですね(w
ずいぶん以前とニュアンスが違いますね。
個人の合意の上なら構わないなら不倫も浮気も倫理に反しないですか?
もっとも配偶者の尊厳は侵していますね。
では独身なら構いませんか?
それなら乱交もフリーセックスも倫理上なにも問題がないのでしょう。

キリスト教ではそのようなことは認めていないし、性行為での快楽も否定しています。
ということは聖書に書かれているのは貴方の言う倫理ではなく、あくまで道徳の範疇となりますね。

>他人がどう思っているのか判断するには自分の価値観を相手に投影して判断するしか無く
>それをする為には個人が経験を結果を参考にするか聖書の様な物の規範を参考にする以外無いのは
>確かです。
>前者の場合個人が社会の中でそれなりの試行錯誤をする必要がありますがそれだけでは足り無いです
>学術的な裏付けのある倫理的な考えが無いとやはり頼り無いです
>後者の場合は聖書を絶対的な物と信じる信仰心が必要です。

しかし、前述のように聖書に書かれているのは道徳の範疇だということが判ったと思いますが
同時に、”真理は人間が認識出来ない”ということも述べられていました。
聖書から倫理という真理を取り出すには、道徳の中から本来人間が認識出来ないものを取り出す
ということが必要になりますが、それが可能なのでしょうか?
取り出したものが真理だと判断するべき物差しはどのようなものなのでしょうか?

284 :実習生さん:03/12/29 06:45 ID:5hXkyz4C
倫理が真理かどうかは置いておいて、個人が成した行為がどのような意味を持つのかという
判断基準は、”個人が社会の中でそれなりの試行錯誤”した結果得られるものや、宗教などの
他にもあります。
それが、歴史とか伝統というものでしょう。
一個人の経験の積み重ねだけではなく、数世代にわたる試行錯誤と経験の産物の上にそれらがある。
もちろん現代に於いて不都合なものや適合しない、いわゆる因習と言えるようなものもあるでしょうが
数千年にわたって積み重ねられたものが全く無価値になるとは考えられません。
道徳とか倫理とか言うものは、歴史や伝統という縦の糸と現代社会という横の糸によって
織り込まれたものではないでしょうか。

現在の日本では、過去の敗戦や文明の急激な変化の中にあって、それらの伝統との断絶が
起こっているように感じられますが、だからこそもう一度、過去の人の在り方を模索する
必要が有るのだと思います。

>つまり、昔の経験の少ない無知で閉鎖的な人間には宗教の様なものを使って
>倫理を理解させる事が効果的だっただけの話しです。
>速い話しが周囲だけでは無く公の視線で物事を捕らえる必要がある訳です。
認識出来ないもの(真理)をどうやって理解させ現実生活に役立てようと言うのでしょう?


285 :実習生さん:03/12/29 06:46 ID:5hXkyz4C
>>210
>>個としての存在を自覚したところからパブリックマインドの自覚へ繋がると
>>言っていたと思いますが。
>共同体同調的な感覚、つまりみんなが奴が嫌いだと言うから俺も嫌いだなんて言うやつが
>異なる共同体に属する人たち、あるいはどの共同体にも属さない人たちと
>互いに侵害しあわないで共生する事なんて無理ですからね。

肝心なことをぼやかしていますね。
パブリックマインドの獲得のためには個としての存在を自覚しなければならない。
しかしながら、それは”個人主義”とは関係ないところにも存在することを貴方は示唆しています。
では、それはどのような理由で存在し、何故日本人には無かったのかを説明する必要があります。

>ただ倫理と言う概念が無いと言っているだけです。
>倫理観がある人間はいるだろうけどそれが普遍的で確かなものだと
>認識はできる人は少なかったでしょう。
お聞きしたいが、貴方の言う普遍的で確かな倫理の概念とはどのようなものですか?
もっとも、真理は認識出来ないと言っている以上、それは倫理観でしか無いのかもしれませんが。

286 :実習生さん:03/12/29 06:47 ID:5hXkyz4C
>>224
>>初めに倫理を会得してから道徳を覚える人間が何処にいる。
>倫理観があるから道徳に従うんじゃないの?
以前>>74
>倫理とは、自由である。そして道徳とは、強制である。
>あるいは、倫理とは自律的なものだが、道徳とは他律的なものである。倫理的行為は
>内的直観によって欲求されるが、道徳的行為は、外的規範を参照して課せられる。
と自分で書かれたことを忘れていませんか?
(もっとも、これもコピペでしたが)

改めて倫理観と道徳観の違いを説明して欲しいところですが、仮に道徳観と書いてあっても間違いです。
道徳を”覚える”ではなくに”従う”には倫理観も道徳観も必要有りません。
だだ命令に従うなり、恩賞によるなりして動けば良いだけです。

道徳的行為は外部からの働きかけで行なうことはありますが、その意義を理解させずに
行為のみを要求することは色々な問題があるように思えます。

自分が実際に感じた、ほんの一例ですが
ある人は目上の人の言葉を良く聞きよく働いていました。
いつの間にか年を経て目上の者が居なくなったとき、当然のように目下の者に自分の言うことを素
直に聞くように要求します。
ところがその内容が非常に自分勝手であったり独善的だったりしたのです。
それまでその人物に言うことを聞かせていた人物の言動は非常にまともで理に叶っていたにも
関わらずです。

これは目上の人間の言うことを素直に聞くという事が習慣化してその言葉の意義まで考えずに
いたことが原因ではないかと思いますが、このタイプの人間が下にいると素直に言うことを聞く分だけ
信用もしやすいし、後を任せたくなり易いのですが、実際に任せてみれば後は酷いものでしょう。

287 :実習生さん:03/12/29 06:57 ID:i8q1B0se
>>238
>アノミーなんか吹き飛ばす戦いが必要だ。
”アノミー”は”無連帯”のことであるともされますが、なにゆえ無連帯が問題になるのでしょうか?
それには先ず、善悪という概念がなぜ生まれたのか考える必要があると思います。

人がもし、仮に強い牙や爪を持ち、一人で生きていくことが容易かったならば道徳観も
倫理観というものも生まれず、ただ本能の命じるままに行動するだけで十分な存在で
有ったのではないかと思います。
しかしながら、人はそのようなものは持ち合わせず、生存のための有力な手段として
集団で暮らすことを選びました。
それゆえ、自分達の集団を維持することは人の生存にとって重要なことになります。
集団の存在を危うくするような行為は、例えば集団内での勝手な殺人などは忌み嫌われ
悪とし犯罪行為として認識され、反対に集団を強固にすることや円滑に維持される
ような行為は推奨される行為、あるいは善として認識されるようになったのだと思います。

つまり、集団内にあって初めて善悪が規定される。
それは即ち、集団に所属している、あるいはその集団が自分に必要であるという実感が有るほど
その集団に対する規範も強く感じ、順守しようとする意識が強くなるということにも繋がると思います。
ところが、他人との繋がりを感じられない、あるいは実際には集団が必要であっても、その意識が乏しく
自分一人で生きているという感覚を強く持つとき、人はその集団に対する規範の必要性を
実感することが出来難く成り易い。

これはどのようなことを意味するのかと言えば、善悪を規定するべき集団との繋がりを
実感出来なくなるとき、自らの行為に(感情レベルで)善悪の区別がつかなくなるという事にもなる
のだと思います。
知識でそれを知っていたとしても、その意義が理解出来ない。
こうなれば、その人の行為を罰則などで抑制することは出来ても、良心による抑制は期待出来ない
ことになります。
これがどれだけ問題のあることなのかは容易に想像がつくのではないでしょうか。

288 :実習生さん:03/12/29 06:57 ID:i8q1B0se
ところで、文明が進み、社会集団が大きくなり、周りの脅威が少なくなってきている状態では
人は以前に比べ容易に生きられるようになってきますが、社会集団が大きくなってくると
その集団自体を実感として感じられることも出来難く成って来るようです。
それゆえ、実感の少ない大きな社会的集団の規範よりも、より実感のある小さな集団の規範を
優先させやすい状態にもつながりますが、このとき、その小集団が母集団である社会と正しく
連帯するような意識が有れば、人はその小集団を通して社会との関係を正しく見つめることが出来ます。
また、人は同時に複数の小集団に属していることが普通なので、それぞれの集団から社会に対する
アプローチを行なう結果、社会自体に対する帰属感も高まり、小集団の規範よりも社会の規範を
優先させることが出来るようになるのではないでしょうか。

ところが、所属する小集団が社会との連帯意識がなく、孤立した意識しかない場合
その集団に居る限りでは、社会に対する帰属意識も持てないために、何時までも小集団の
規範が優先されるようになります。
内部の論理を優先させ、社会に対する責任を果たさず不祥事を起こす企業や
明らかな犯罪集団などはこの事の典型であると思えます。

いずれにせよ、個人であれ小集団であれ、孤立した意識しかない無連帯というものが問題になるのは
このような理由によるものではないでしょうか。

289 :実習生さん:03/12/29 12:28 ID:IQb1mlo5
聞いた話。
関東では魚をさばくとき、背中からさばくって聞いたんだけど、
関西じゃ、腹からさばくって聞いたんだけど、ほんとなの?
切腹が関係あるとか。

290 :実習生さん:03/12/29 18:34 ID:NceeS6DA
デカルトの理性至上主義は間違っています。
未熟な人智(理性)を絶対的な神とし、人為的に社会をコントロールしていこう
という思想は、極めて危険です。

ノーベル経済学賞を受賞したハイエクは理性至上主義のフランス啓蒙哲学を
『設計主義的合理主義』と言い拒絶しています。
人間のコロコロ変わる心(理性)を神とする訳ですから、それで複雑な社会を
コントロールすることは不可能です。
デカルト、ルソー、からマルクス・レーニンまでの思想は間違っています。

ルソーは『社会契約論』で政治が国民を虐殺することができるとしています。
「お前の死ぬ事が国家に役立つのだというとき、市民は死ななければならない」
「ルソーいう市民宗教の教理を公に受け入れた後で、これを信ぜぬかのように
行動するものがあれば、死を持って罰せられるべきである」

ルソーの教義をもとにフランス革命でギロチンによる大虐殺が行われたそうです。
英国の哲人エドマンド・バーク「フランス革命についての省察」など。
          

291 :実習生さん:03/12/31 02:16 ID:Ps8pHRzh
共同体、村落社会、集団
という言葉を使用していますが、
これらの言葉の意味を誤解しているように思われます。
これらの言葉には、無謬の人間の集まり、とか、善良な人間の集まり、
神に準ずる立法者が治める集まり、という意味はありません。

どうして小さな共同体が平等で道徳的で犯罪をしないと言えるのでしょうか。
村などの小さな共同体は抑圧的で自由が少ないものです。


292 :ひめだるま:03/12/31 23:06 ID:tQ8BnYgn
>>290
中川八洋の「正統の哲学 異端の思想」のダイジェストでつか?

293 :実習生さん:03/12/31 23:59 ID:TlNCxk1q
>>292がいう本ではなく、他の複数の本からのものです。
本をよく読みましょう。

294 :実習生さん:04/01/01 17:06 ID:KO3X+lPA
>>291

誰も「共同体、村落社会、集団」という言葉に「無謬の人間の集まり」とか
「善良な人間の集まり」「神に準ずる立法者が治める集まり」という意味があるとか
「小さな共同体が平等で道徳的で犯罪をしない」とは言っていませんよ。

要旨としては、およそ以下の3つ。
1、集団内にあって初めて善悪が規定される。
2、集団に所属している、あるいはその集団が自分に必要であるという実感が有るほど
 その集団に対する規範も強く感じ、順守しようとする意識が強くなるということにも繋がる
3、社会集団が大きくなってくるとその集団自体を実感として感じられることも出来難く成って来る


恋人と居るとき、家族と居るとき、友人と共に過ごすとき、抑圧を感じ自由がないと感じますか?
もしそれしか感じないというなら、そのとき精神的な連帯は失われていると言っても良いでしょう。
もっとも、抑圧を感じながらも求めるという二律背反の感情を、人間は時に持つものですがね。
あまり物事をスッパリ割り切って判断するのも良い事じゃないと思いますよ。

2、の場合には自分にとって必要であるという事と同時に、自分も相手や集団に対して求められている
という実感が必要かも知れませんね。
求めても、求められないという意識を持つときには、連帯しているという意識は無くなってしまい
かねないと思いますから。
このことは恋愛を想定してみれば解りやすいと思います。

295 :実習生さん:04/01/01 22:48 ID:/m8n+Epn
小さな共同体に特別な働きが本当にあるのでしょうか。
昔の村落社会が信仰の自由すらなく半強制的である事を忘れてはいませんか。

御札を購入させられる、祭りの寄付を取られる、神山霊山などに集団で若者が
修行に行かされるなど半強制的であり、
それに違反すれば村八分のような状態にされます。
さらに、おばすて山、娘の身売りなどの悪しき風習がありました。

庶民は明治・大正に入ってもコレラの予防に、玄関に牛の絵を書き貼
るだけで、
政府の清潔にという呼びかけを理解できないものが多くいました。

小さな共同体よりも、歴史・伝統を基礎とした法による政府、「自由」「競争」
を中心とした最小限の管理の政府がよいと思います。

個人レベルにおいては、「才能の開発向上」、「自己実現」がしやすく
機会の平等がある社会。
「道徳なくして自由はありえない」のだから古典による最低限の修身(常識)教育、
特に、
才能の開発向上・自己実現のための「努力」を通して、努力の尊さ、奉仕精神、
ルールを個々人が自から学びとることを説くべきです。


296 :実習生さん:04/01/02 00:42 ID:2nli2V/R
>>295
君は国語をもう一度やりなおせ。

297 :実習生さん:04/01/03 23:46 ID:FUR15+41
>>291
>どうして小さな共同体が平等で道徳的で犯罪をしないと言えるのでしょうか。
> 村などの小さな共同体は抑圧的で自由が少ないものです。
現代社会に対する理解が感じられ無い。
なんで小さな共同体=前時代的なムラ社会となるんだ?
歴史や伝統、宗教など肌身で感じられないものが有効に作用する訳ないだろう。
カルト化するのがオチだ。
結局、自然な営みの中で個人が試行錯誤しない限り倫理も道徳もまともに作用しない。
伝統は近代化した社会に対応出来ないから伝統となる訳で
そうで無ければ自然の営みとして当たり前の常識ととらえるはず。

>>280
他者とコミュニケーションを通じて何かを達成できると言う可能性を信じると言う大前提
がなければ善悪は理解出来ないし罪悪感も感じない。



298 :ひめだるま ◆2kGkudiwr6 :04/01/04 00:12 ID:hQDtxA9K
日本政府が武士道を理解し、アメリカへの道義なき協力をやめるとき、はじめて
子供たちは武士道について、日本の文化について興味と誇りを持てるだろう。

299 :実習生さん:04/01/04 00:55 ID:7HrTyofM
>>298
それは武士道に拠った暴論。

300 :実習生さん:04/01/04 12:17 ID:kdQEesJX
「若者言葉が乱れている」と騒がれるようになって、もう10年。
ボチボチ沈静化の方向へ向かっていると思う。沈静化というより 「誰も驚かなくなった」という方が正しいのかもしれないけど。 「全然」を肯定の時に使うのも、実際問題、話し言葉の中でだったら、
相手に伝わればいいわけで、たしかに仲間内で使う分には問題はない。
でも、文章に書いたり公の場で話す時はやっぱりマズイわけで、
そういったことの積み重ねで、普段は饒舌なおもしろい若者が、
ちょっと場面が変わっただけで言葉が出なくなってしまう、
という現象が起きているらしい。

http://www.avanti-web.com/pastdata/20021019.html

村上龍の希望の国のエクソダスにも興味深い事が書いてあった。
「そのフリースクールの生徒たちと会ったとき、非常に驚いたことがあるんです。
それは彼らのボキャブラリーというか、
使う言葉の豊穣さと彼らが非常に言葉を慎重に選んで話すということなんです。
(中略、同年齢の一般の生徒たちの場合は)だっせー、とか、うざってー、とか
そういう常套句でしか連中は喋れないんです。
若者言葉がどうのというより、表象能力がない。ボキャブラリーが極度に貧困なんです。
考えてみれば当たり前ですよ。学校に行ってれば簡単なんです。
サバイバルする必要もないし、マスコミとかテレビでもてはやす若者言葉というのを喋ってさえいれば、
少なくともアイデンティティの危機はないわけです。

http://www.jpnc.com/~aplac/thisweek/essay80/thisweek021118.html

301 :実習生さん:04/01/04 12:18 ID:ikscNiB4
http://www.mainichi.co.jp/eye/taidan/ishihara-chikushi/10.html
違ったベクトルでみると、戦後に私たちは結局大事なものを失ったゆえんのひとつは、
戦争中と同じような画一主義というのが、中央集権の官僚統制のなかで続いてきたんですね。
今日の日本の若い人たちはかわいそうだった。それは教育が悪かった。
教育は日教組じゃない。
みんな私たちの責任なんですよ。いかに画一化が徹底していまでも続くかと。
私はとにかく、海軍兵学校の予備校みたいな湘南中学へいって、
旧制から新制になって、延べ6年そこにいたの。
戦争中は、海軍の士官なんて玉砕するのが最高のなんとかっていったら先生はキュと変わっちゃって、
戦後は、とにかく東大にいって、法学部に入って大蔵省の役人になるのが最大のご奉公だと
馬鹿じゃないかと思った。

結局、私は自分の子どもが学校にあがったときに、この教育はまだ変わらないけれど大丈夫か、
いつ続くんだろうかと思った。
その子ども結婚して孫ができて、その子が小学校へ入ってまだ続いてる。
そういう反省というのは全然なし。

302 :実習生さん:04/01/04 12:25 ID:vcWogCUY
一九八九年の子どもの権利条約の国連総会採択を機に、
子供の権利を守るという観点から、幾つかの国で不十分な、
子供の性にかかわるさまざまな権利の保護に関する法的な施策を整えてほしい、
そういう国連からの要請というか期待に対して、
先進国の中で日本だけがそのような趣旨に沿う法整備を行ってこなかったために
、一九九六年の通称ストックホルム会議で日本が非常に強く批判され、
国会議員の方々が大恥をかくという事件があった。

 それを機に、児童買春・児童ポルノを防止する法案をつくらなければいけない
ということになったのだが、そのような法案作成プロセスで、
国外犯を捕らえるという方向からズレてなぜかこれが援助交際禁止法案の
趣旨に変わっていってしまった。
言いかえれば、子供の権利の保護という『倫理的』観点から
よき秩序を維持するという『道徳的』観点に、なぜか変化をしてしまった。

303 :実習生さん:04/01/04 12:59 ID:tVakYFOo
今まで倫理道徳の話しをしてきて武士道の割り込む余地がないのが笑える。

304 :実習生さん:04/01/04 13:14 ID:yKcBtmWn
アメリカ、ヨーロッパ各国では、宗教教育、道徳教育が行われている。
しかし、国民がカルト化しているとはいえない。
逆に、ロシアでは宗教の空白期間が長かったために、オウム真理教という
カルト教団に簡単に洗脳されてしまっている。

現代の若者も正しい宗教や道徳に対する認識が欠如しているために、
悪魔崇拝をしているロックグループと関系を持ち、ファンクラブ、ライブのイベン
トの
裏方の手伝いなどをきっかけに大麻、覚醒剤に手を出し、
彼らの呪術、ヒーリングまで伝授されている。
野外でのライブは夜通し行われ、観客は麻薬を使用し、狂乱する。

海外では、麻薬中毒の少年が、「ヒーリングを習ったので、立派なヒーラーになって
ひとを癒し、世のために役立ちたい」と馬鹿な事を語る。
麻薬あり霊術ありのカルト宗教は日本にも確実に増殖している。

共同体の中での試行錯誤でいつ解決できるのだろう。


305 :実習生さん:04/01/04 23:45 ID:pX3omxz/
誰かの話を垂れ流しにコピペしている奴はいったい何が言いたいのか全く解らん。
他人の言葉ではなく自分の頭で考えて書けないのか?

306 :実習生さん:04/01/05 14:25 ID:CGEzobMh
http://ken-san.sub.jp/mt/archives/000081.html

かなり前に話題になっていたマイケル・ムーア監督『ボウリング・フォー・コロンバイン』を
今更ながらレンタルビデオで観た。
銃乱射事件からアメリカの銃社会を題材にしているのかと思いきや、
事件の一時間前に起きたコソボの大規模爆撃と繋げて、
さらに9.11までのつながりを辿ってみせている。
メディアの恐怖の煽り方や背後の大企業の影まで、今年前半期に話題になった
イラク戦争やネオコン批判とも重なる。
事件によって歌手のマリリン・マンソンを悪者としたりなんかは、
『ゲーム脳の恐怖』でTVゲームを悪者にすれば大衆はなぜか安心してしまう例とも重なる。
題名になっている『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、銃乱射事件を起こす生徒が
その日の朝にボウリングをしていた、という事実から。
最後に今のアメリカはボウリングをしている状況だと喩えてみせるあたり、
そこに繋がるんだと思った。
結局、なぜあのような事件が起きたのか、との問いには答えは出していないものの、
未来を予見するための材料は充分このドキュメンタリーの中で指摘しているようだ。


307 :実習生さん:04/01/05 15:07 ID:Fh3dwfiR
>>304
アメリカではチャータースクール法に従った教育改革のプログラムをかなり成功させている、
一部の人は、アメリカの凶悪犯罪がふえたふえたと金切り声を上げるが、
少年犯罪全体としていうなら半減している。
凶悪犯はふえているが、少年犯全体は割合がかなり下がっている。これは教育の成功です。
http://www.suzume.com/~yoheisan/top/acnips/cs/charterschool.htm

>アメリカ、ヨーロッパ各国では、宗教教育、道徳教育が行われている。
エリートの場合に限るがドイツやフランスなんかが典型的で一人の子どもが
小学校、教会、ボーイスカウト、スポーツチームと幼少期から
三つから四つの地域集団に所属し、所属集団ごとに別々の物差で
自分を多元的にポジショニングできる様にしている。
ロシアや日本にはこう言った多元的に自分をポジショニングできる環境が少ない。
そのため受験勉強に明け暮れ大学を卒業後自分の能力がいかに役立つのかと考えた時
想像力が弱いために自分たちに都合の良い新体制を作ろうとして
オウムにはまる人間が急増した。
江戸時代の日本と同じに欧米では道徳教育のバックボーンがしっかりしている訳。
>>202-203も読んでおけ。
そういったバックボーンが無いと建国義勇軍なんていうカルトが育つ。

308 :実習生さん:04/01/05 15:29 ID:9tRQ93TA
宗教も武士道もその時代の人間の試行錯誤に支えられていた訳で
そう言った伝統を無視して武士道を現代の教育システムで教えても水野忠邦の二の舞い。
最悪の場合器の小さい自分を大きく見せるために武士道と言う
シークレットブーツを履いてカルト化する奴が出てくるだけ。
複雑な社会ではせいぜい「武士道を教えれば道徳的な人間が中には育つだろう」
と言う程度でしょう。

オランダでの調査で麻薬犯罪に対して未成年の学生たちを
1麻薬はいけないと教えたグループ
2いけない理由を説明したグループ
3麻薬の是非を議論させたクループ
に分け、その後の調査を行ったところ、
麻薬はいけないと禁止命令を出したグループが、
最も麻薬に手を染める割合が多かったそうだ。
法律で禁止されているから駄目なんだよということはかえって逆効果になりかねない。

309 :実習生さん:04/01/05 16:10 ID:9tRQ93TA
>>283
> 個人の合意の上なら構わないなら不倫も浮気も倫理に反しないですか?
> もっとも配偶者の尊厳は侵していますね。
不倫は、通常、婚姻関係の解消、再結成をも可能な行為選択肢として浮上させる
ヘビーな性関係を意味する訳で夫婦個人個人の合意の上で成り立ってる婚姻関係を
破綻させる危険性があるからあなたの言う様に配偶者の尊厳を犯し倫理に反する行為です。

> では独身なら構いませんか?
> それなら乱交もフリーセックスも倫理上なにも問題がないのでしょう。
病気を意図的、叉は不注意によりばらまかない限り倫理に反しませんよ。

> キリスト教ではそのようなことは認めていないし、性行為での快楽も否定しています。
> ということは聖書に書かれているのは貴方の言う倫理ではなく、あくまで道徳の範疇となりますね。
相変わらず否定と禁止を混同しているみたいですね。
キリスト教にはいかなる規範も無いです。
福音書に何をやれこれをやれなどとは書いて無い。
キリスト教では信仰だけが絶対で戒律などの外面的行動なんか何でも良い。
イスラム教の場合コーランを第一法源、スンナを第二法源として第十法源まである。
仏教も戒律は膨大煩瑣で律蔵という経蔵・論増に匹敵する程の
巨大な文献があり戒律を専門に研究する律宗という宗派がある程です。

> 取り出したものが真理だと判断するべき物差しはどのようなものなのでしょうか?
あくまでもそれは真理に近い解釈と言う事です。


310 :309訂正:04/01/05 17:27 ID:IEXpKe72
×キリスト教にはいかなる規範も無いです。
○キリスト教にはいかなる戒律も無いです。


311 :実習生さん:04/01/05 22:06 ID:K8veLfFf
>>306
ネオコン肯定、

マリリン・マンソン肯定、

子供を獣性化させるためにつくられたというTVゲームソフト・バ○オ〜の肯定

麻薬、霊術、悪魔崇拝と聞いて、すぐにマリリン・マンソンにつて
調べ、悪魔崇拝のロックグループを否定する一般的な米国世論と
逆の意見を持ち出し、反論できるなんてなんて凄いですね。
日本では、報道されていない、本もほとんど出ていないのに。
国をよくしようという立場の左翼でもなさそう。
まるで、米国の工作員のようですね。

アメリカでは、悪魔崇拝のウッド・○○ックは猛攻撃に遭い、
全米でコンサートが出来ず、日本に来たが、日本でも正体がばれました。


312 :実習生さん:04/01/06 10:05 ID:0sDhHgnI
マイケル・ムーアを知らないなんて朝鮮のスパイですか?

313 :実習生さん:04/01/06 11:21 ID:u7dgtFII
朝鮮のスパイが、悪魔崇拝、麻薬中毒のロックを非難してくれたらいいね。

314 :sage:04/01/06 12:17 ID:Eo/ackrB
ひめだるま=陛下の臣民=脱学校OK

315 :実習生さん:04/01/06 13:39 ID:dZWpolfT
武士は四書五経や老子荘子を読んでいた。

316 :実習生さん:04/01/06 15:13 ID:sU8Bx/Sq
ロック系の人が教える呪術ヒーリングとは何ですか。
こわいですね。


317 :実習生さん:04/01/06 19:42 ID:QFGuD+OK
個人の中で善悪とは周囲や共同体の利害関係により自分が承認されるかされないか
という経験から身につくがこれはコミュニケーションを通じて
何かを達成出来ると言う感覚があるからである。
道徳的想像(倫理)とは周囲や共同体から自分がいかに承認されるかと考える事である。
子供は親に人は社会に承認してもらわなければ生きてはゆけない。
他人や共同体を害すればそれは悪とみなされその行為は承認されない。
人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、
自己や種族の保存どころか、自己や種族の破滅に陥る(「人間は本能が壊れている」)ため、
むしろ、それ(快感原則に従うエス)を抑圧し、環境との折り合いをつける。
例えば子供がわがままを言う時子供は親の尊厳を完全に否定し我を通そうとする。
その事に対し親は怒り子供を叱る事によって子供を承認しないと意思表示する。
この時、子供は親にワガママはいけない(道徳)と言われたから
従ったのでは無く親とせめぎ合い試行錯誤する中で親に承認してもらうための
妥協点を見つけ自発的に親の尊厳を尊重した(倫理)だけである。
この場合「わがままは良く無い」と言う点で倫理観も道徳感も同じである
こう言った点で倫理と道徳は明確に区別されない。
この様な経験を積み重ねる事によって「これを守れば親や社会から承認されるという共同幻想(道徳)」
を守り社会から自分を承認してもらおうという意志がうまれる。
つまり倫理なくして道徳は産まれないということです。

318 :実習生さん:04/01/06 23:59 ID:VluW4nRi
>>307
ロシアの学者が、ロシアでオウム信者が流行った理由に、宗教の空白期間が
長かったからだ、と答えている。



319 :実習生さん:04/01/07 00:41 ID:+yOuLoFX
第一段階:乳児
・不快を訴える事に対して親が対応する事によって自分が承認されたと言う達成感を感じる。
(自律行動の原初的動機付けであり倫理観の礎)
・親の行動を真似る(主な第一段階の承認)という形で親を承認する。
・親がそれに対応する事によって子供は達成感を感じ
 コミュニケーションを深めようとする動機付けとなる。
(社会的行動=倫理の基礎造り)

第二段階:幼児
上記に加え
・親による行動の否認、または承認が始まる。(躾、教育の始まり)
例:挨拶の奨励、トイレの使い方を教える等。
これらを何度も繰り返すことにより覚えさせる。(道徳的行為の始まり)
初期段階で挨拶などの呼びかけを続け子供を承認することにより、
ごく初歩的な礼儀的行為を通じて自分を相手に承認させる初歩的な技術を身につける。

320 :実習生さん:04/01/07 00:57 ID:pI+f5dPR
>>318
オランダなんか特にそうだが若者にとってキリスト教はどうでもよくなっている
だかオウムのような神聖政治のカルトにはまる者は少なく
皆個人主義的である。

321 :実習生さん:04/01/07 01:29 ID:PVb/mC6y
>>308
>オランダでの調査で麻薬犯罪に対して未成年の学生たちを
>1麻薬はいけないと教えたグループ
>2いけない理由を説明したグループ
>3麻薬の是非を議論させたクループ
>に分け、その後の調査を行ったところ、
>麻薬はいけないと禁止命令を出したグループが、
>最も麻薬に手を染める割合が多かったそうだ。
>法律で禁止されているから駄目なんだよということはかえって逆効果になりかねない。

言葉で禁止と価値観(法律)を教えると逆効果になるなら、TV・新聞・ラジオから
情報を受け取り、法律を学んでいるわれわれは犯罪者だらけになってしまう。

オランダの例は、麻薬否定が「原則」の立場で、麻薬を使用させないための
「方法の問題」
についての調査である。
 「1」を例に言葉で禁止と価値観を教えると「逆効果」だと解説している。
が、ここが、錯覚を狙った詭弁である。
調査は「麻薬否定の原則」に立ち、方法論を述べているにすぎない。
麻薬に対する「善悪の判断」すら、教えてはならないとは言っていない。
しかし、308は「方法の問題」を「原理の問題」「善悪の判断を教えるべきか」と
いう話にすり替え、
原理的に言葉で禁止と、法律・道徳・倫理を教えると逆に麻薬使用者が増えるという
が、間違いである。
麻薬の善悪すら何も教えられなかった中国人は麻薬漬けになっていた。
われわれは法律・道徳・倫理を守る事によって、繁栄してきた。
逆ではない。

322 :実習生さん:04/01/07 01:34 ID:HvZoj8pz
武道やると麻薬系統のことする気がなくなるよ。

323 :実習生さん:04/01/07 05:00 ID:ppI2Hnee
逆効果ではなく、効果が薄い、というならわかる。

324 :実習生さん:04/01/07 10:05 ID:pI+f5dPR
麻薬否定の原則の前提というところがウソ
確かオランダはマリファナが解禁されている。
酒も煙草もドラックである。
前提となるのは常用性等人体に与える影響の正しい知識であり
そこから何が個人の尊厳に反するか考えるのである。

325 :実習生さん:04/01/07 18:50 ID:gL6d8dEX
同意。
われわれは試行錯誤する事によって繁栄してきた。
規則とは脆弱な自尊心を持ったものを補完するツールでしかない。
「個人の自由には自由にならない社会的前提が存在する」という認識は
社会学の学問常識であるが現代の社会システム理論の水準では稚拙すぎます。
初めに規則ありきといった考えは二千年前にイエスによって否定されています。
ユダヤ教では戒律を守った人間が者達が救われます。
しかし食うや食わずでその日暮らしをする人間に戒律を守る余裕はありません。
戒律を守れる人間は初めから救われている人間に限られてしまいます。
もし神が全能ならば
社会システム理論では自由を認めれば秩序はなり立たないと言った考えを
自由と秩序のゼロサム理論と言って徹底的に否定します。
要は秩序が信頼可能である程人々は自由に振る舞え
人々が自由である程結果的に得られた秩序は信頼可能だと言う事です。
戦後教育が自由を重視しすぎたから教育現場も社会もむちゃくちゃになったと言うウヨ厨的な考えや
知識人の考えた理念に基づいて社会が設計されるべきといったサヨ厨的な考えは
社会科学的無教養として笑ってやりましょう。
現代の教育は>>63で説明した江戸時代の教育とは程遠い不自由なものです。

326 :実習生さん:04/01/07 19:09 ID:N3bvjbrx
日本の近代過渡期に第二時産業が重視される様になると
農村から流入する大量の都市労働者を支えるために
必ずしもそれまでの伝統とは関係ない新しい共同体が利用される様になります。
まず都市労働者となりうる一定企画以上の人材を急速に要請するために
学校が利用され、次にかつての地域共同体を頼れない都市労働者の
生活再生産の保証をするために家事を担当する専業主婦を中心とした核家族化が進み
地域共同体から離脱がもたらす、バラアラになってどうしたら良いか解らない状態(アノミー)を
吸収するために会社が共同体化され受け皿となる。
戦後、企業戦士のサラリーマンに支えられ未曾有の高度経済成長期を支えるが
近代成熟期になり社会が豊かになるとそうした社会的装置のかなりの機能が用済となる。
企業は「有能で無くても忠誠心の高い」人材より「忠誠心が低くても有能な」人材を要求し
主婦が家族に提供していたサービスは世の中が便利になるにつれて必要無くなってくる。
子供達はみんなが無造作に教室に詰め込まれているだけで仲間では無いと気がつく。
今までの社会のシステムが空洞化してきている訳で誰もが既存の共同体に承認されない
アノミーを引き起こす可能性を秘めるようになっている。
得に子供達は家庭の中で役割を失い承認されない母親は
そうだ、子供をいい学校に入れさえすれば親としてちゃんとしていることになるんだという、
いわば学校教育での良い成績がアリバイがわりになってくるという幻想的な振る舞いが出てくる。
それが子供に試行錯誤をしてもらうこと、自分の目と耳で見聞し、頭と心で判断するような事を
否認する事となり子供のは初めから何処にも誰にも承認されない孤独な存在となってしまう。

327 :実習生さん:04/01/07 23:34 ID:4IweUxME
>>324
>麻薬犯罪に対して
>法律で禁止
とある。
オランダで一部の麻薬が許されていることは常識。
そこで、法律で禁止されている麻薬に対しての調査と考えるのが
普通である。

「逆効果」ではなく、効果が少ない、というならわかる。
逆効果では麻薬犯罪が増えるという意味になってしまう。


328 :実習生さん:04/01/08 00:16 ID:uTERTh8C
社会からドロップアウトした人間がその意思表示として
社会で悪とされているドラックに手を出すという動機付け
叉は周囲や親を心配させて気をひきたいという動機付けからドラックに手を出す場合
禁止されているからドラックは良く無いと言う認識は逆効果。
ドラックを熟知し激しい常用性と健康に対する害悪が
個人の自由を侵害するという認識を個人の判断で行うことによって
ドラックを悪とみなした場合こういう危険性は少ない。

329 :実習生さん:04/01/08 01:29 ID:IH0EIcZO
では、学生たちに対する麻薬調査
とは違ったものになりますね。


330 :実習生さん:04/01/08 09:28 ID:002Di8yC
意味不明

ひょっとして学生はドロップアウとしていないからという意味か?
ファッション感覚ではめをはずす時に「いけない事」は逆効果だが。

331 :実習生さん:04/01/08 17:16 ID:qX5tJ0wH
バークは、社会はルソーのいうような「自然状態」にあるばらばらな個人が結ぶ契約ではないとし、歴史の中で形成された国民「死者と今生きている者と次に生まれて来る者たち」のすべての人々が結んだ契約であると考えた。
『フランス革命についての省察』より。


332 :実習生さん:04/01/08 17:48 ID:MpccsE9k
バークは、「品性」とは父祖伝来の伝統・慣習の中で形成されるものと考え、
人間は先祖・子孫に歴史の継続を感じるからこそ、野蛮な欲心を抑えることが
でき、自ら高貴な行動をとるようになるという。

333 :実習生さん:04/01/08 18:37 ID:xywdNwtL
>>327
麻薬の是非を議論する訳であるから「法律で禁止された麻薬否定の原則の前提」
でも>>321は嘘である。
合法なドラックでも健康を害し事故や事件を誘発する。
合法なドラックとそうで無いドラックの境界線は確かなものか?という疑問が
「法律で禁止された麻薬否定の原則」という前提を覆す。
議論の前提となるのはドラックの本質と個人の尊厳だけである。
善悪の判断は結局個人の判断に任せるしか無い。
そして大多数の人間が悪と認めるであろう事が社会的にも悪と認められる訳である。
だから善悪は議論の前提にはならない。

>>327
>逆効果では麻薬犯罪が増えるという意味になってしまう。
端的に「悪」や「危険」と言うものは魅力的であるから逆効果である。
そこに、ドラックの非日常的快楽が禁止されている物の方が凄いかも?
という好奇心が重なってさらに「麻薬はいけない」という教育は逆効果となる。
退屈な現実を抜け出して非日常的快楽を感じたいという動機が若者を麻薬犯罪に走らせる。
だが常用性が強いハードドラックは止められなくなり非日常的快楽は
あたりまえで退屈なな日常的なものになり禁断症状の有る現実は辛いものになる。
こういった現実が麻薬を悪と認識させ麻薬犯罪の抑止力として効果を発揮する。

なんでも言われた事を素直にそのまま受け取るモノは人間とは言えない。


334 :実習生さん:04/01/08 18:49 ID:ey71BpMp
ヒュームの正義論は、ロック理論を非現実的と捉えるところから出発する。
ロックのモデルでは人間は相互性を守るが、ヒュームはそうは捉えない。
人間は愚かで、不寛容なので、相互性を守らない。従って、相互性を作り
出す機関が必要不可欠となり、それが国家(等)となる。

すなわち、ヒュームの思考は「理性」という、「感覚」を超える存在を政治
理論に持ち込まないことを目的としており、個々の人間が決断をすること
を否定しているわけではない。むしろ、小さな決断が積み重なり、秩序が
形成されることを認めている。

335 :実習生さん:04/01/10 00:04 ID:sRqSJVEv
カルヴァンの神学は「福音主義」(端的に、聖書主義、信仰主義)といわれるものである。
「予定説」ばかりが強調されるが、それはルターをはじめ中世末期のキリスト教思想家に
ある程度共通に見られた傾向であり、カルヴァンの著作を読めばわかるように、
彼が「予定説」をことさらに教義の中心においた箇所を見いだすことは難しい。
カルヴァン神学(つまりはプロテスタンティズム)の中心内容はいうまでもなく福音主義である。
人間の自己の自覚(人間が有限・不完全であることの自覚)も人間の救いも、
ただ神という基準によってのみ可能であり、地上の完全でも正しくもない権威、
伝統・伝承、制度(具体的には教皇)によるのではない。
なぜならあらゆる人間的なものは、どれほど正しく善に見えても不完全、
有限、さらには無価値であるからである。このように人間を、
個において、一人一人において、その存在の根底からあくまで徹底的に理性的に追求するという態度は、
人間を「人の間」とする東洋の関係主義の伝統とは大きく異なり、
この精神こそが西欧近代をはぐくむことになったのはいうまでもない。

336 :実習生さん:04/01/10 06:08 ID:3ySCb0kd
>>297

>個人が試行錯誤しない限り倫理も道徳もまともに作用しない。
まあ、そうしなければ倫理観も道徳観も会得出来ないということですね。
しかし
>伝統は近代化した社会に対応出来ないから伝統となる
随分乱暴な意見ですね。
伝統ということばが現代でもプラスとして人に解釈されることも多いですよ。

例えば、建築素材として伝統的な素材はアトピーなどの予防効果もあり、もっとも価値のあるもの
とさえされますが、ただ一点コストの面で現代的な素材に劣っているだけです。
音楽で言えば、雅楽で使われる伝統的な楽器である篳篥(ひちりき)が東儀秀樹さんによって
人気を呼んでいます。
その他、芸術など色々なものが伝統的手法によって支えられ愛されています。

また、革新の数多くは伝統の上に築かれています。
様々な知識、技術といったものは伝統的なものの上にさらなる改良が加えられたり
時には忘れられたりしてきました。
道徳観や倫理観といったものも因習として退けられるものもありますが、多くの賞賛されるべき
事柄は過去からの積み重ねの価値観の中で育まれてきたものが数多い。
>自然の営みとして当たり前の常識
というものが実は過去から続く価値観の中で磨かれてきたからこそ当たり前の常識となっている
と言えるのではないでしょうか。

337 :実習生さん:04/01/10 06:09 ID:3ySCb0kd
>他者とコミュニケーションを通じて何かを達成できると言う可能性を信じると言う大前提
>がなければ善悪は理解出来ないし罪悪感も感じない。
なかなか理解し難い言い方ですが、要するに他者との信頼関係がなければという事ですね。
確かに善悪を理解するためにはそれは必要だと思われますが、”罪悪感”という事について言えば
それは必要とは思われません。

罪悪感、あるいはこの言葉が誤解を与えるようならば罪責感と言っても良いですが
ともかくそれは”しては成らないことをしてしまった”という感情です。
例えば、暴力的な親元で育った子供は、親に対する信頼関係というものが無くても暴力に対する
恐怖から、その”しては成らないことをしてしまった”という感情を持つ場合が多い事を見ても解ると
思います。

ところで、このとき ”しては成らないこと”の具体的な何かを知っている必要はありません。
自己に与えられた、ペナルティからの不快な状態を取り除くため、その原因を類推する。
大抵は、その過程で悪の概念を知ることになります。
つまり、善悪を理解しているから罪悪感を感じる訳ではなく、順序が逆だと言うことです。

338 :実習生さん:04/01/10 06:11 ID:3ySCb0kd
>>308

>宗教も武士道もその時代の人間の試行錯誤に支えられていた訳で
>そう言った伝統を無視して武士道を現代の教育システムで教えても水野忠邦の二の舞い。
現代の教育で問題とされるのは価値観の一元化ともされますが、それは学校が受験を前提とした
機能集団としての側面を多く持つことに拠ります。
企業の多くも受験で上位の成績を修めた者に、より価値があるとする考え方が多く有るため
これに拍車を掛けている状態でした。
その中では社会的に成功することを目的としていますが、肝心な、何故社会的な成功を収めるのが
良いのか、幸福になるためだというのなら幸福とは何なのか、人が生きるとはどういう事なのかという
根本的な問題からは離れています。

社会的な成功を収めるというのは、幸福を実現させる可能性のある手段の一つでしかないのですが
手段が目的そのものに変化しているために幸福とはどういう事なのかが置き去りにされた状態です。

つまり、補うべきは人の幸福とは何なのか、その実現のためにはどの様なことが必要なのかといった
思想的なものであり、それを成すために欧米では宗教教育や倫理学講義が成されているわけです。
それはいかなるシステムに於いても価値がないことはないと思われます。
「武士道」に関する教育もまた同じです。

オランダでの調査結果を参考に挙げていますが「武士道」に関する多くの書物に拠るものが
「2いけない理由を説明したグループ」に相当することを理解しないで
>法律で禁止されているから駄目なんだよということはかえって逆効果になりかねない。
と言っていることからも武士道教育に対する理解が無いと言えます。

339 :実習生さん:04/01/10 06:14 ID:3ySCb0kd
>>309

>相変わらず否定と禁止を混同しているみたいですね。

>キリスト教にはいかなる規範も無いです。
>福音書に何をやれこれをやれなどとは書いて無い。・・・
小室さんの本で似たことを言っていた気もしますが、それは良いとして、なぜキリスト教では
戒律がないのか解っていないようですね。

イエスは裁く者ではなく、救い主、贖う者として此の世に存在したと言っている。
裁くのはあくまで、最後の審判の時、唯一の神が裁く。
審判の時までのイエスの役目は導く者として在る。
ゆえにその言葉は導きの言葉しかない。
戒律があるということは同時にそれを破ったものを裁かなければならないことを意味するので
イエスはそれを定めない。
しかし、律法を軽んじるかと言えば

【マタイによる福音書】(律法について)
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。
はっきり言っておく。
すべてのことが実現し、天地が消え失せるまで、律法の文字から一点一角も消え失せることはない。

【ローマ信徒への手紙】(正しい者は一人も居ない)
なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。
律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

【ガラテヤの信徒への手紙】(奴隷ではなく神の子である)
こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。
わたしたちが信仰によって義とされるためです。
しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。

340 :実習生さん:04/01/10 06:17 ID:3ySCb0kd
つまり、キリスト教の原理には律法の内容が大きく色を残すが、それに拘れば神の前で義とされない。
ではどうするか?
それは信仰による生活の実践にあると説く。
その実践とは

【ガラテヤの信徒への手紙】(霊の実と肉の業)
霊の導きに従って歩みなさい。
そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。
〜中略〜
肉の業は明らかです。
それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和
仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。
以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行なう者は、神の国を
受け継ぐことはできません。

ここまで書けば明らかだと思うが

>>では独身なら構いませんか?
>>それなら乱交もフリーセックスも倫理上なにも問題がないのでしょう。
>病気を意図的、叉は不注意によりばらまかない限り倫理に反しませんよ。
はキリスト教精神に則れば明らかな誤謬。
では何故否定であって禁止ではないのか?
それは「神は自らを助けるものを助く。」「求めよ。さすれば与えられん。」という言葉があるように
救いは自ら選ぶことによって(救われる存在であることを)証明されるから。

※救いは人間の技によって左右されず、あらかじめ決められているが、その行動によって
救われる存在かどうかが証明される。(プロテスタント的な考え方でいくとこうなる)


341 :実習生さん:04/01/10 06:18 ID:3ySCb0kd
簡単に言えば、外面的行動なんかいくら守っても、心の奥底から善を求める存在じゃなければ
意味がないから戒律なんかいらないってことですね。
ある意味禅の思想に近いものがあるかも知れません。
「禅は精神に焦点をおく結果、形式を無視する。」(鈴木大拙)

>キリスト教では信仰だけが絶対で戒律などの外面的行動なんか何でも良い。
外面的行動を支える精神がどのようなものであるかを理解していれば、その精神に則っている限り
何でも良いという意味だと気が付くはずです。

>>取り出したものが真理だと判断するべき物差しはどのようなものなのでしょうか?
>あくまでもそれは真理に近い解釈と言う事です。
つまり、それすらも人の合意の上でそれに違いないと推測しているだけでしょう。
それなら貴方の言う、共同幻想(道徳)と何処が違うのかハッキリしませんね。


342 :実習生さん:04/01/10 06:19 ID:3ySCb0kd
>>317

>道徳的想像(倫理)とは周囲や共同体から自分がいかに承認されるかと考える事である。

>例えば子供がわがままを言う時子供は親の尊厳を完全に否定し我を通そうとする。
>その事に対し親は怒り子供を叱る事によって子供を承認しないと意思表示する。
>この時、子供は親にワガママはいけない(道徳)と言われたから
>従ったのでは無く親とせめぎ合い試行錯誤する中で親に承認してもらうための
>妥協点を見つけ自発的に親の尊厳を尊重した(倫理)だけである。

周囲から承認される行動というのは、その特定の集団にとっては善でありますが
(極めて限定された範囲での善ですが)その集団自体が反社会的な存在であったなら
その行動が倫理的な行動と成っているのかどうかは判りません。
例として挙げている行動も、親の行動が道徳的あるいは倫理的なものに沿って注意を与えている
という前提がありますが、この前提を外してしまえば子供が承認して貰うためにした行動が
実は世間的に言う悪徳である可能性すら有ります。
子供が取った行動というのは、外的規範を参考にした道徳的行動でも、公的善を欲求する
内なる欲望に従った倫理的行動のいずれでもなく、単に嫌われたくないという妥協以外の
何ものでもありません。
集団を形成するのに必要な事柄だというだけです。

343 :実習生さん:04/01/10 06:20 ID:3ySCb0kd
>>319
>・不快を訴える事に対して親が対応する事によって自分が承認されたと言う達成感を感じる。
>(自律行動の原初的動機付けであり倫理観の礎)
これはそれほど間違いというわけじゃないですが、承認というと多分に理性の範疇を連想させますが
実際には、未だ本能の範疇に有ると思われます。
従って承認されたかどうかの判定は、本能的で単純な快、不快という情報となって脳に
送られるわけですが、これが信頼関係というものに繋がります。
もちろん倫理観を会得する基礎的条件となると思いますが、それはまだ集団を形成するのに
必要な条件という以上のことはないでしょう。

>・親の行動を真似る(主な第一段階の承認)という形で親を承認する。
承認と言えば承認ですが、単なる本能的な反射に近いものですね。
卵から孵った雛が初めに動くものを見たときの行動に近いかもしれません。
いずれにせよ、この段で倫理と書き添えている事柄は、集団の中で円滑に活動出来るようになるための
基礎的な条件に過ぎません。

344 :実習生さん:04/01/10 06:21 ID:3ySCb0kd
>>324
>>321 さんではないですが

>麻薬否定の原則の前提というところがウソ
>1麻薬はいけないと教えたグループ
>2いけない理由を説明したグループ
上記の二つは明らかに麻薬否定を前提にしていますよ。

前提にしていないのは
>3麻薬の是非を議論させたクループ
だけでしょう。

345 :実習生さん:04/01/10 06:46 ID:NwvwMY+p
>>325
>規則とは脆弱な自尊心を持ったものを補完するツールでしかない。
自尊心と規則は直接的には関係ないでしょう。

>「個人の自由には自由にならない社会的前提が存在する」という認識は
>社会学の学問常識であるが現代の社会システム理論の水準では稚拙すぎます。
社会システム論とはまた難しげなものを出してきましたね。
全体的なアウトラインは以下が参考になりそうです。

「ほうとう先生の自省式社会学感覚」(野村一夫 氏)
http://archive.honya.co.jp/contents/knomura/lec/lec16.html
『ルーマン理論における「人間」の問題』(東北大学 小松丈晃 氏)
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~takeaki/96okinawa.html
「社会学から社会システム論を検討」
(URLが長いので上記でgoogle検索して下さい)

時間(時代)や地理的条件、自然環境など「個人の自由には自由にならない社会的前提が存在する」
のは当然すぎるほどの前提条件です。
あなたの大好きな宮台氏も、社会システム論に関する記述で「私たちには偶発性を一切操縦できません」
と言う言葉を書いていますよ。

346 :実習生さん:04/01/10 06:48 ID:NwvwMY+p
>社会システム理論では自由を認めれば秩序はなり立たないと言った考えを
>自由と秩序のゼロサム理論と言って徹底的に否定します。
あなたの言う自由の定義が判りませんが、自己の欲望に忠実な行動として捉えるなら、その行動が
無秩序に行なわれる結果、他人の自由な行動との衝突が起きます。
この衝突の結果、互いの妥協点を見いだすことになりますが、この境界こそが秩序となるわけです。
しかし、一定のルールがないところではこの境界線を探るのに非常な労力がいる。
ある種のルールが存在すれば、その境界の探求に労力を割かなくて良く、何らかの逸脱があれば
そのルールを基準として呼び出し物事に対応すればよいので、境界線を探りながらの行動よりも
自由に行動出来るというわけです。

このような理由でルールが信頼可能である程人々は自由に振る舞えるというわけですね。
また、「人々が自由である程結果的に得られた秩序」というのがルールの最適ラインである
ということなのでしょう。

ただし、ここで重要なのは基準として呼び出されたルールを如何に物事に対処し、実行するか
考えた場合、当然それを遂行する権威者の存在が不可欠だということです。
そして、それが果たされることを前提として、初めてそこに自由が存在するといえます。

では、権威者を想定せず、秩序を収束するにまかせたまま放っておけばどうか?
その場合、人が歴史の中でその最適ラインを探す過程でどの様なことが行なわれてきたのか
もう一度考えてみる必要があります。
簡単に言えば闘争です。
その過程では殺戮があった。
人の歴史は戦争の歴史だと言う人間も多い。
そのなかで得られてきたルールを無視して改めて構築しようとすれば、初めから闘争の歴史も
やり直す必要があるでしょう。

347 :実習生さん:04/01/10 06:49 ID:NwvwMY+p
また、人間は幼少の頃から無秩序である行動をそのまま認めていれば、抑制が効かない人間になる
可能性が高く、社会化されない人間となる可能性も高い。
結局のところ、正しく社会化されている人間の間では、自然発生的に起こるルールの中で問題なく
行動されるが、そうでない人間の間では混乱を引き起こすだけという当たり前の話にしかなりません。
このように考えていくと、無秩序な行動をそのまま放任することに問題があるのは、当然の事として
理解出来ると思います。

>戦後教育が自由を重視しすぎたから教育現場も社会もむちゃくちゃになったと言うウヨ厨的な考えや
>知識人の考えた理念に基づいて社会が設計されるべきといったサヨ厨的な考えは
>社会科学的無教養として笑ってやりましょう。
厨だの何だの、あなたは安易に他人を笑えるだけのものは持っていません。
社会システム論自体がデュルケムを通してマルクス思想に少なからず影響を与えられているのは
少し調べれば判ることです。

>現代の教育は>>63で説明した江戸時代の教育とは程遠い不自由なものです。
だから、藩校はどの師匠を選択するかはあくまでも学ぶ側にあるわけではありません。
寺子屋なんかは実学のみで、道徳など社会教育は別の集団で行なわれていたし、藩校は主に儒学が
主体で講義と対論が主となっていた。
儒学は主に道徳、倫理というものに訴えかける学問だが、儒学思想の中では、教育してやると言う
考えは今以上に高かったと思われます。

348 :実習生さん:04/01/10 06:51 ID:NwvwMY+p
>>326
日本に於ける企業の共同態化という事に関しては特に異論はありません。
もともと、企業というのが機能集団(ゲゼルシャフト)であったのが日本の多くの企業で変質していた
ものが、本来の姿に戻り始めたというだけですから。

参考になりそうなものとしては以下のHP
「日本型企業社会と会社人間」(宮坂 純一 氏)
http://www.nara-su.ac.jp/~miyasaka/companyman.htm
(ここで言う共同態は、故、大塚久雄 氏によるもの)
宮台氏の師匠、小室直樹氏は大塚久雄氏を高く評価しているが、大塚氏はM.ウェーバー
マルクス等の研究者として有名。
そしてマルクスの思想はデュルケムに影響を与え、ウェーバーとデュルケムの思想を統合したところに
社会システム論で有名なルーマンの理論に繋がるとされる。

デュルケムに関しては以下のHPが結構面白い。
「デュルケムと社会主義」(斉藤悦則)
http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/durkheim_socialism.html

主婦の価値の変節という点では多少違った考えもあります。
近代社会以前では家庭内の家事は重労働であったこと、また、田畑の割り当ては男に限っていたとしても
実際に農業に携わり糧を得るには家族全体、あるいは地域全体の共同作業で、家庭内に於ける男女の
価値の差は殆ど無かったと思われます。
しかしながら、明治期に入りサラリーによって収入を得るようになると、家庭内の仕事よりも
外で貨幣を稼ぐことの方が重要視されていき、相対的に女性の役割を軽く考えるように
成っていきます。
家庭内の労働が文明の進歩とともに楽に、あるいは代替え出来るものとして捉えられるようになると
これに拍車を掛けてきました。

349 :実習生さん:04/01/10 06:52 ID:NwvwMY+p
とは言いながら、実際に主婦の代わりに家事をこなせば、依然としてその労働は大変だし
また、代替えしようとすれば、大変な高コストに成ることが判ります。
(主婦が主婦として真っ当な家事をこなしていた場合に限る)
つまり、現実問題として主婦に家庭内で価値がないかと言えば、十分に価値がある。
しかし、その価値を実際に認めるかどうかとなれば話は別になります。
機能として有用かどうかという現実だけではなく、認識があってはじめて価値が認められる。
言い換えればシステムとしてどうかという事だけではなく、人の意志や精神の作用というものが
深く関わってくるということです。
ここら辺りが教育に訴えかけるポイントにもなりますね。

さて、賃金労働が主体となった社会で、賃金労働と切り離されたところにいる主婦は、家庭内で
価値を認められている分には良いですが、認められない場合その存在に不安を抱きます。
賃金労働の担い手である者と切り離された場合に実生活が成り立たなくなるためですが
その不安を取り除こうとして、血の絆という強い繋がりを持つ子供に拘ることが多くなるようです。
夫婦は所詮他人ですが子供はそうではない。

そういった考えから、自分の有り得たかもしれない可能性を子供に投射し、子供の行動に対して
子供自身の考えではなく、自分自身の考えを優先させることに繋がっていくと思われますが
子供にとってみれば、それは自己の否定と捉えられるわけです。
かくして親が子供に拘り、必要以上に繋がりを持とうとするのに、子供は繋がりを持とうとされるほど
孤立感が強まるというパラドクスが起きるのではないでしょうか。

350 :実習生さん:04/01/10 07:08 ID:folU6ITz
常連の方が真面目な意見を14回も書き込んでいるのに
掲示板の最新20位の中に入らない。
141位である。


351 :実習生さん:04/01/10 22:51 ID:dlPm3Hwb
>>336
少し乱暴な言い方でしたけど近代があるからこそその対象として伝統がある訳です。
> というものが実は過去から続く価値観の中で磨かれてきたからこそ当たり前の常識となっている
>と言えるのではないでしょうか。
要するに歴史ですね。

>>337
そこに悪と言う概念が無いのでプレッシャー(罪責感?)と言うのが妥当だと思います。
罪悪感なら原因を類推する事が出来ますが、これを只のプレッシャーと感じた場合
危害を加えられたという認識しか出来ません。
この反応はかなり病的で目の当たりにした時ゾッとしますよ(寒w
まるで世界と自分が一体化している様な感じです。

>>338
私は現在の学校教育で武士道を教育する事を反対しているだけです。
現在の学校教育では>>308の2も1になってしまうからです。


352 :実習生さん:04/01/10 22:53 ID:kpMiM+Ra
>>339-340
>救いは自ら選ぶことによって(救われる存在であることを)証明されるから。
要するに救われるも救われないも個人の自由でそれはつまり倫理と言う事では?
倫理:救われないから乱交をしない方がいいという個人の判断。
道徳:罪深い事だから乱交してはいけないという周囲からの規制。
と言う所でしょうか。

>>341-343
>つまり、それすらも人の合意の上でそれに違いないと推測しているだけでしょう。
倫理は道徳の最大公約数的な形でしか認識出来ないと以前言いました
つまり周囲の人間だけの合意の上では認識出来ないということです。

>周囲から承認される行動というのは、その特定の集団にとっては善でありますが
そこまで話しを限定していません。
それは、道徳の範疇の話しです。
私が話しているのは子供が我を通そうとする事に対して周囲の人間が楔を打ち込む事で
それはつまりフロイドの言う所の「父性」を指します。

>単に嫌われたくないという妥協
それだけじゃ無いです。
親は「怒り」子供を「叱る」事によって子供を「否認」する事に対する恐怖心が子供にあり
そこから罪悪感が生まれる訳でその説明はあなたが>>280でしていますので省きました。

>この段で倫理と書き添えている事柄は、集団の中で円滑に活動出来るようになるための
>基礎的な条件に過ぎません。
倫理の礎と倫理の基礎造りとは言っていますが倫理と書き添えていません。
要するに倫理の母は道徳では無くそれは本能の範疇にあると言う事を説明したかった訳です。

353 :実習生さん:04/01/10 23:24 ID:kpMiM+Ra
>>344
>>321は 「調査は「麻薬否定の原則」に立ち、方法論を述べているにすぎない。」と言っています。
つまり1.2.3全てが麻薬否定の原則に基づいていると言っている。
これに対する批判です。

>>345
自尊心に強度があれば試行錯誤を通じて自己判断で物事の善悪が区別できる訳です。
脆弱だからこそルールが必要となる。
まあ、そんな完璧な自尊心をもった人間なんていませんけど(w

時間(時代)や地理的条件、自然環境などは「個人の自由には自由にならない『自然的前提』」です。
宮台真司は「私たちには偶発性を一切操縦できません」 と言う事を確か
社会の隙間から世界が見えるとか世界の未規定性と言っていたと思います。

>>346
>あなたの言う自由の定義が判りませんが、自己の欲望に忠実な行動として捉えるなら、その行動が
>無秩序に行なわれる結果、他人の自由な行動との衝突が起きます。
その相手は第一次反抗期の時の親の役割ですね。
衝突は状況と年齢に応じて不透明、複雑に移り変わり変化していきます。
学校にも衝突の場となってもらい権威者は教師に勤めてもらうのが理想でしょう。
現代の学校は衝突を否定し教師にはそんな権威がありません(なめられている)。

>>347
>、藩校はどの師匠を選択するかはあくまでも学ぶ側にあるわけではありません。
それでも現代の学校よりは遥かに自由ですが。

>厨だの何だの、あなたは安易に他人を笑えるだけのものは持っていません。
すみません「知識人が社会を設計すべきといったサヨ厨的な考え」でした。.
これはファシズムの権化です。

354 :実習生さん:04/01/11 04:23 ID:FW3mSkBv
>オランダでの調査で麻薬犯罪に対して未成年の学生たちを

とあるから、調査側は、「3」の場合でも
麻薬犯罪に対して議論しろと学生に説明するわけだから
その時点で、否定している事になる。


355 :実習生さん:04/01/11 07:12 ID:y2SC91Ac
フロイトは大学の職についたことは一度もない。
「教授」という称号をもっていたが、単に称号だけであった。
私講師で、教える許可を与えられ「教授」と呼ばれていたが、
大学から一銭も受け取っていない。


356 :実習生さん:04/01/11 15:35 ID:C+S3zLxR
>>354
それは麻薬を比定しているだけで麻薬比定が原則というわけではないよ。
それは>>333で説明されている。


357 :実習生さん:04/01/12 18:23 ID:VxCStCgV
マルクス主義・フロイト主義の教義は、
自分達の用語が必然的に真になるように用語を定義している。
マルクス主義者・フロイト主義者は、自分達の理論は、原理上反駁されえないと
主張するため、科学的ではない。




358 :実習生さん:04/01/13 23:20 ID:pixlyRVK
>>354,>>356
そんなに難しい問題じゃないと思いますよ。
ほとんど国語の問題。

>オランダでの調査で麻薬犯罪に対して未成年の学生たちを
>1麻薬はいけないと教えたグループ
>2いけない理由を説明したグループ
>3麻薬の是非を議論させたクループ
>に分け、その後の調査を行ったところ
上記の「1」と「2」の命題は初めに「いけない」という結論があって、その結論について従うよう
求めたり、結論に至った過程を説明している。
つまり「麻薬の否定」が前提として存在している。

ところが三番目「3麻薬の是非を議論させたクループ 」は結論を討議者自身にゆだねている。
もちろん命題を与えている存在には、麻薬に否定的な見解があって出しているかもしれないが
命題自体には麻薬を否定しているという前提が存在しないと言えます。
 (例えば企業犯罪について「企業の是非を論じよ。」という命題が与えられたとき )
 (企業を否定していると捉えるだろうか? )
 (この例えが解り難かったら、資本家の犯罪について「資本家の是非を論じよ。」という命題なら)
 (なにやら昔の共産主義者の間で有りそうで理解しやすいかも知れない。)
その結果として、出題者の意図するものとは違った結論に至る可能性は多分に存在することになります。


その他の事柄はまた後日にでも。

359 :実習生さん:04/01/15 04:41 ID:Iqi8ojcK
>>338
> 手段が目的そのものに変化しているために幸福とはどういう事なのかが置き去りにされた状態です。
と言うより現代の学校とは富国強兵の為の機能集団であり第二時産業に対しては
かなり有効なシステムであり豊かな生活という国民的目標があったから
人々にとって幸福とは何かと言う事が一元化できた訳で
そういう背景があったからこそ学校を共同体化できた訳ではないでしょうか?
70年代に中盤に入るとその目標が達成されて個人個人が自分にとって幸福とは何か?
と考えなければならなくなるはずだったのだが家庭と地域と学校とが力を合わせると言う
学びの共同体が成立してしまい社会全体の価値観が一元化させてしまい誤魔化されてしまう。
この時期、第二時ベビーブームの世代が思春期に差し掛かり受験戦争も激化する。
この当たりからツーリングチームが狂暴化して珍走団になり全盛期を迎え校内暴力が問題になってきている。
社会(学校)が受験戦争に勝利した人間以外の実存的尊厳を認めようとしないで疎外するから
当然の結果とも言える。
価値観の多様化から教師からは子供が理解出来なくなる訳だがここで学校を只の機能集団として
理解し合えない者達が共生出来る環境を作れば良かったのだが
一人の教師が理解出来る人間なんて5人位が限度なのに生徒の心を理解できれば子供達を
無害な存在として一元化できるといった風潮が広まり(金八先生w)
いまだに学校を共同体として捉えている所に問題がある。
欧米では宗教教育や倫理学講義がされているがこれは学校に集約されていない。
学校が全てを抱え込もうとするとただちに教会から「ふざけるな!!越権行為だ」とか
「学校は読み書き算数だけ教えていればいいんだ」と批判が出てくる。


360 :実習生さん:04/01/15 04:54 ID:hWP6eaUF
社員の実存は企業に預けられる。それ以外に余計な事を考えるのは
会社の為にも本人の為にもならないといった考えは第三時産業が発達と
バブル経済崩壊で完全に嘘だと見破られ
社員が会社の社畜になることは会社の為にも社員のためにも社会の為にもならない
と言う事がわかってきた。
時代が変わった時その時代のよかれとしていた価値観にすがりついていては生き残れない
能力主義、個人主義でなければやっていけないとなってきた。
こういう時代には個人が様々な小さな共同体を自己選択し多元的に所属し
想像力を磨く事が大切だと思います。(>>300-301参照)

361 :実習生さん:04/01/15 08:31 ID:xOcqMEFJ
70年代には高校には大体入れたし、そうでない人は職業学校にいった。
大学は多くはなく、小中学生の時点で、親も子も大学受験をしても無理と判断できた。
暴走族は、バイクの普及が影響している。


362 :実習生さん:04/01/15 12:21 ID:lR9r5IxT
受験戦争の勝利とは進学ではなくより良い学校に入学すること。
バイクの普及が珍走の全盛期の原因ならその前に愚連隊が社会問題になっているはず。
90年代に入って首都圏での全盛期の終了も説明がつかない。
アノミーと社会的価値観が偏差値主義化した事が
大きな要因となった事は否定出来ない。

363 :実習生さん:04/01/15 15:27 ID:NI4eg3KG
自動車が高いので、バイクが家庭にあった。
その後、自動車を買い、バイクが余った。
それで、暴走するバイクが増えたのでは。
受験戦争というが、都会の知識人金持ちの家だけの事。

一般の家庭では教育費をケチる。
勉強しろと缶詰にされる事もないと思う。

364 :実習生さん:04/01/15 16:12 ID:u4+6kVpK
>>363
珍走族(暴走族)の族車は盗難車が多かったので関係ないよ。

365 :実習生さん:04/01/15 17:00 ID:syBPtA2h
受験戦争の不満から暴走族というのも疑問だし、
>>364
盗難車が多いといっても半数以上というほどではなく、
家のバイクと見ていいと思う。

366 :実習生さん:04/01/15 20:21 ID:lR9r5IxT
受験戦争に対する不満ではなく
偏差値や進学した学校で人間性まで
評価されてしまうような風潮に対する不満という様に
書いてあるとしか思えないが。

367 :実習生さん:04/01/15 20:33 ID:ODJQwi/O
学力が低く、善良な性格の人が、風潮のせいで、暴走族になるということか。


368 :貴方達えの解放者:04/01/15 23:06 ID:qzDKHpsq
貴方達のいっている事偽善に満ちている!だから理性と自然の本能つまり獣性
に満ちあふれた悪魔主義をやるべきなんだ!愛や美など偽りに過ぎない!

369 :実習生さん:04/01/17 18:18 ID:ZnrtU/CL
>>363
> 自動車が高いので、バイクが家庭にあった。
> その後、自動車を買い、バイクが余った。
> それで、暴走するバイクが増えたのでは。

これは
>>361
> 暴走族は、バイクの普及が影響している。
と矛盾している。
珍走が前盛期に入った頃にバイクが普及したのなら一般家庭にバイクがあまる訳がない。
当事の人気のバイクはホンダCB750、'スズキGT750やカワサキ・マッハ750SS
ヤマハTX750、カワサキ750RSなどのナナハンと呼ばれる
750ccのスポーツタイプのバイクで家庭用ではない。
当事暴走族の問題や、悲惨な事故の多発などがクローズアップされ
日本メーカーが国内市場で販売するバイクの最大排気量は
事実上750ccまでに制限されることになった。

>>367
最初から善良な人間などいない。
勉強のできる人間も社会的交流をしなくても勉強ができる程度で暫定され
自尊心が肥大化してしまう。
高学歴のオウム幹部にはこの世代が多い。


370 :実習生さん:04/01/17 19:05 ID:l/vs/MOV
240 名前:/名無しさん[1-30].jpg :04/01/17 19:02 ID:PN4zcEeE
児童買春 弁護士でヒットする弁護士というのも恥ずかしい。
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%bb%f9%c6%b8%c7%e3%bd%d5%a1%a1%ca%db%b8%ee%bb%ce&hc=0&hs=0


371 :実習生さん:04/01/18 16:49 ID:lWa0RvLa
オランダでの調査で麻薬犯罪に対して未成年の学生たちを
1麻薬はいけないと教えたグループ
2いけない理由を説明したグループ
3麻薬の是非を議論させたクループ
に分け、その後の調査を行ったところ、
麻薬はいけないと禁止命令を出したグループが、
最も麻薬に手を染める割合が多かったそうだ。
法律で禁止されているから駄目なんだよということはかえって逆効果になりかねない。

端的に「悪いこと」や「危険」と言うものは魅力的であるからである。

そこに、ドラックの非日常的快楽が禁止されている物の方が凄いかも?
という好奇心が重なってさらに「麻薬はいけない」という教育は逆効果となる。
退屈な現実を抜け出して非日常的快楽を感じたいという動機が若者を麻薬犯罪に走らせる。
だが常用性が強いハードドラックは止められなくなり非日常的快楽は
あたりまえで退屈なな日常的なものになり禁断症状の有る現実は辛いものになる。
こういった現実が麻薬を悪と認識させ麻薬犯罪の抑止力として効果を発揮する。

372 :実習生さん:04/01/18 16:50 ID:gSUTZX3P
誤爆死真下


373 :実習生さん:04/01/21 21:18 ID:MjSuAlhm
THE武士道

374 :実習生さん:04/01/23 19:31 ID:E3v7hgp6
自分の先祖は農民なので武士道なんて関係ないです

375 :実習生さん:04/01/23 19:43 ID:ZwRIxk3Y
受験戦争に対する心構え、それが武士道です

376 :実習生さん:04/01/24 15:14 ID:8R73oMLu
オランダの話をよく出しているが、
一部の麻薬を許可しているという理由で、オランダが個人の尊厳や自己決定を重視する
進んだ国だと考えているらしい。
オランダの知識層や教会側はこの法律に反対か賛成か
聞いてみる必要がある。
オランダは経済力などが弱い。他の強国に変な法律を作るように強要された可能性
も視野に入れて見てもいいのではないか。

キリスト教の話が以前に出ていた。
キリスト教には詳しくないが、ローマ法王の考えはどうなのか、ローマ法王の
考えを聞いたほうが効率的である。


377 :実習生さん:04/01/24 16:07 ID:NO4R1NAJ
>>376
>一部の麻薬を許可しているという理由で、オランダが個人の尊厳や自己決定を重視する
>進んだ国だと考えているらしい。
何処でそんな話ししている?

>キリスト教には詳しくないが、ローマ法王の考えはどうなのか、
>>222をよめ

>ローマ法王の考えを聞いたほうが効率的である。
そういう問題では無い>>335を読め。



議論の返答が帰ってこないので武士道は現在の学校で教える意味は無いって事で終了ですか?

378 :実習生さん:04/01/24 19:06 ID:hD8x6Rdu
>>222は新聞にも載っていたこと。
普通の事だと思う。


379 :実習生さん:04/01/24 20:28 ID:hFmA2e96
ヨーロッパで騎士道教えてる学校なんてないだろ?
それと同じ。

380 :実習生さん:04/01/24 23:01 ID:Tf9f55aI
どう同じ?

381 :実習生さん:04/01/25 01:26 ID:McOEl8Z0
>確かオランダはマリファナが解禁されている。
>酒も煙草もドラックである。
>前提となるのは常用性等人体に与える影響の正しい知識であり
>そこから何が個人の尊厳に反するか考えるのである。

これに対して詳しい説明をして欲しいな。

382 :実習生さん:04/01/26 05:39 ID:sCNNTKki
>>377
反論を書かなかったのは、忙しかったのと疲れたのと
>>352
>倫理は道徳の最大公約数的な形でしか認識出来ないと以前言いました
>つまり周囲の人間だけの合意の上では認識出来ないということです。
これ読んで萎えたことによる。

>>215
>それから倫理と道徳の範囲の違いは、簡単に言ってしまえば倫理とは道徳のうち最大公約数で
>まとめられるもの。といった程度ですね (私の発言)
>>220
>道徳は倫理を母とするの間違いでは?
>広辞苑を見る限り倫理とは道徳の規範となる原理です。
>人間がその倫理を認識するには道徳の最大公倍数という形でしか出来ないというなら解ります。
(対論者の発言)

>>359
>現代の学校とは富国強兵の為の機能集団であり第二時産業に対してはかなり有効なシステム

>豊かな生活という国民的目標があったから人々にとって幸福とは何かと言う事が一元化できた訳で
>そういう背景があったからこそ学校を共同体化できた
機能集団=ゲゼルシャフト、共同体=ゲマインシャフト
ある種の共通項は必要だが、思想の統一がなければ共同体が形成されないというのは間違い。
共同体≠全体主義。

>一人の教師が理解出来る人間なんて5人位が限度
人が他人を理解できるわけもなく、自分自身すら理解しがたい存在。

383 :実習生さん:04/01/26 05:40 ID:sCNNTKki
>>371
>端的に「悪いこと」や「危険」と言うものは魅力的であるからである。
交通教育ではスピードの出し過ぎがどのような結果を招くか、交通事故のスライドなどを映し出して
教育するわけだが、これを見てスピードを出すことが格好良いと考えてスピード狂になるような
人間が果たしてどれ程いるだろうか?
あるいは一気飲みで死亡した人々の具体例を示しながら注意を呼びかけたら逆効果になるとでも
考えるなら、現実はまさに逆に流れていることを知らないと言えますね。
麻薬にしろ教育する場合はその危険性を十分に訴えることが必要な訳ですが、それが逆効果になると
考えるのならば余程いい加減な教育カリキュラムなだけでしょう。

はっきり言わせて貰えれば
>法律で禁止されているから駄目なんだよということはかえって逆効果になりかねない。
と禁止の根拠を法律に求めているだけで、なぜそのような法律が出来たのかという説明を省く
ことにより>>371 の論理に正当性を持たせているだけでしょう。

他にも細かいところで穴がぼろぼろ有りますが一々反論しているといい加減疲れます。

384 :実習生さん:04/01/27 00:24 ID:kAH4bOyE
学校の共同体はゲマインシャフトよりソキエタス=キウィリスの方が近いな。

385 :実習生さん:04/01/27 00:32 ID:UgROyPlK
>>383
> >>371
> >端的に「悪いこと」や「危険」と言うものは魅力的であるからである。
> 交通教育ではスピードの出し過ぎがどのような結果を招くか、交通事故のスライドなどを映し出して
> 教育するわけだが、これを見てスピードを出すことが格好良いと考えてスピード狂になるような
> 人間が果たしてどれ程いるだろうか?
> あるいは一気飲みで死亡した人々の具体例を示しながら注意を呼びかけたら逆効果になるとでも
> 考えるなら、現実はまさに逆に流れていることを知らないと言えますね。
> 麻薬にしろ教育する場合はその危険性を十分に訴えることが必要な訳ですが、それが逆効果になると
> 考えるのならば余程いい加減な教育カリキュラムなだけでしょう。
あくまで端的に 「悪いこと」や「危険」と言うものは魅力的なんだが・・・
1と2を混同しているよ ・・・・
> はっきり言わせて貰えれば
> >法律で禁止されているから駄目なんだよということはかえって逆効果になりかねない。
> と禁止の根拠を法律に求めているだけで、なぜそのような法律が出来たのかという説明を省く
これも 2だね・・・


386 :実習生さん:04/01/27 00:41 ID:JdgpWC45
>>382
> >一人の教師が理解出来る人間なんて5人位が限度
> 人が他人を理解できるわけもなく、自分自身すら理解しがたい存在。
何処に「完全に」理解出来ると書いてあるのだろう・・・
コミュニケーションがとれる程度の理解と解釈するのが普通だと思うが・・・
思想の統一がなければ共同体が形成されないのではなく
全員が理解可能な人間でなければ共同体が成り立たないということ。
新世代が新人類とか宇宙人とか言われ出した時代からこれは不可能。

387 :実習生さん:04/01/27 00:44 ID:OD8Buimb
>>382

> >それから倫理と道徳の範囲の違いは、簡単に言ってしまえば倫理とは道徳のうち最大公約数で
> >まとめられるもの。といった程度ですね (私の発言)
> >>220
> >道徳は倫理を母とするの間違いでは?
> >広辞苑を見る限り倫理とは道徳の規範となる原理です。
> >人間がその倫理を認識するには道徳の最大公倍数という形でしか出来ないというなら解ります。
> (対論者の発言)

倫理は本能の範疇が含まれるため道徳の最大公約数でまとめられ無いが
道徳の最大公倍数という形で倫理を認識する事はできると言う事ですけど。

388 :実習生さん:04/01/27 02:01 ID:iSgTTIGU
>>385
>1と2を混同しているよ ・・・・
>>351
>現在の学校教育では>>308の2も1になってしまうからです。

>>359
>幸福とは何かと言う事が一元化できた (思想、価値観の一元化)
>そういう背景があったからこそ学校を共同体化できた
>386
>思想の統一がなければ共同体が形成されないのではなく
>全員が理解可能な人間でなければ共同体が成り立たないということ。

>>352
>倫理は道徳の最大公約数的な形でしか認識出来ないと以前言いました
>つまり周囲の人間だけの合意の上では認識出来ないということです。
(君の発言)
>>387
>倫理は本能の範疇が含まれるため道徳の最大公約数でまとめられ無いが
>道徳の最大公倍数という形で倫理を認識する事はできると言う事ですけど。
(これも君の発言)

倫理は本能の範疇には、実は入りません。
本能が倫理を形作るきっかけを与えるのみでしょう。
>>337 を頭に入れて心理学の本でも調べれば解ると思います。

389 :実習生さん:04/01/27 18:19 ID:j5AH+Ve4
>>388
2が1に成る事はあっても1が2に成る事は有り得ないと言う事。

人々の思想、価値観を一元的に捕らえることはできても思想は統一できませんが・・・

倫理は調べなおしておきます。


390 :実習生さん:04/01/27 18:23 ID:u8HnZx4S
日本で公とかパブリックっていう概念が、ほとんど理解されていないのはなぜか、
つまり、田舎のおやじの発想なんです。つまり、日本のパブリックっていうと、
せいぜい世間様なんです。確かに西洋の歴史を見ても、ギリシア時代なんかは、
あるいは、中世なんか、そういう感じでよかったんですが、18世紀、19世紀以降のパブリックっていうのは、
そういうものとは全く別のものに変わりました。どういうことかというと、
今の日本なんかも中世のヨーロッパと同じような感覚でパブリックと考えている。
それは、要するにみんな同じ、つまり、パブリックっていうの共同体なんです。
自分の属する共同体の作法に従うことがパブリックなんです。
ところが、18世紀、19世紀以降の市民社会のパブリックは、それとは違うパブリック。
そうではなくて、簡単に言えば、同じ共同体に属さない人間、民族も違えば、作法も違う、
場合によっては言葉も違う人間が一つの社会で共存するために必要なルールや創造力の領域を
パブリックと呼ぶわけです。ぜんぜん違うでしょ。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/6503/txt14.html

391 :実習生さん:04/01/28 23:24 ID:Xy3IYvON
「公共性」はあらゆる対象にオープンで他者との共生を侵害しない限りにおいて
多様な価値観の存在を認め、そういった、個々の共同体の〈間〉を構成する空間を意味する。
それに対して、「共同性」は言語・民族・宗教をはじめ、所属における必然性、
いかなるものを「共通善」とするか、というように、ある一定の価値観の共有が前提となる空間であり
異質のものを排除するという性質を帯びたものとして理解されるべき概念だ。
そして、最も強調したい相違点として、「共同性」を担保とするメディアを愛国心・愛校
心・愛社精神・仲間意識などに求めるのに対して、「公共性」のそれは、
人と人との〈間〉における事柄・関心事への意識に求める。いいかえれば、
「公共性」は「共同性」のように所属の必然性をアイデンティティに求めるような空間ではなく
アイデンティティに依拠しない、多様な価値観を持った共同体を超えた
「間共同体的」コミュニケーション空間である。

392 :実習生さん:04/01/29 04:31 ID:qe+6x2uX
>>391
少なくとも他人の書いたものを、あたかも自分が考えて書いたように参照先も示さず
載せるような奴に公共性はないな。
それともご本人ですか?

「個」と「公」論再考
(平成12年度 亜細亜大学新聞会主催懸賞論文優秀賞入選作品:橋爪甚一 氏)
http://homepage2.nifty.com/jinichi/thesis2.html

393 :実習生さん:04/01/30 19:06 ID:2G9Mb5Bt
長文の持ちネタををまとめてPCの中に保存しているんで元ネタを見つける気にならないだけです。
だいたい匿名なのにあたかも自分が書いたものの様に振る舞うメリットがどこにある?
むしろソースを挙げた方が議論がスムーズに進むのでは?
とりあえずリンク先のURLは有り難くブックマークをつけさせていただきます(w

394 :このレスだってツギハギさ(w:04/01/30 19:25 ID:kyxT8Wqy

人が教義を理解すると言う事は個人が今まで経験してきた事に照らし合わせて
相対化するといった脆弱なもので「かろうじて理解したかの様に」思うといった頼り無いものです。
武士道でさえ自由に振る舞って、自由に振る舞った帰結を自分で処理してもらう
自分が不快な状態にあるとすれば、周りが悪いというよりも、
まず、自分の選び方が悪かったのじゃないか、
自分の試行錯誤に問題があるのじゃないかと自分に引きつけて責任をとる、
つまり、しりをぬぐうと言う経験がなければ理解不可能でしょう。
しかし、そういう態度は責任のある態度に結びついていくのでそういう経験をした者に
その後学校で画一的に武士道を詰め込んでも「何を今さら…」となるでしょうね。
逆にこういった経験の無い者に武士道を教えたとしても教義の後ろ楯となる自我に強度が無いので
小さな挫折でニヒリズムに落ちいり武士道に対する信頼は無くなってしまうでしょう。
せめて教義の体現者がいれば手本となるでしょうがいたとしても現代は江戸時代では無く
割と適当に回っている世の中なのに「実際の所、オマエどうなんだよ?」となってしまうでしょうね。
むしろ小さな挫折で良かったかもしれません大きな挫折をするまで気付かない
叉は世の中が悪いと反社会的な行動に出るよりはマシでしょう。

人が従うべき規範は歴史的空間的、すなわち相対的なものでしかない上に
価値観の細分化、流動化が激しい現代では武士道なんて役に立ちません。
個人個人に社会をサバイバルしてもらい自分で規範を身に付けてもらうしかないです。
既成の学校制度は公共性よりも共同性を強いる傾向が強すぎるので
子供達がサバイバルをする事を妨げてしまいます。
こういった要因を取り除いていく事が現代の学校にとって大切な事だと思います。

395 :実習生さん:04/01/31 00:31 ID:+t4o8f3g
ちなみに>>392のリンク先は宮台真司の「自由な新世紀不自由なあなた」の盗作です。


396 :実習生さん:04/01/31 21:18 ID:aNfGX25Y
>>394
>人が教義を理解すると言う事は個人が今まで経験してきた事に照らし合わせて
相対化するといった脆弱なもの
>教義の後ろ楯となる自我に強度が無い
>人が従うべき規範は歴史的空間的、すなわち相対的なもの

こう言えるのはなぜでしょう?

397 :実習生さん:04/02/01 14:43 ID:wLwqv6u2
心理学を勉強しなさい

398 :実習生さん:04/02/01 22:51 ID:fn9EFlFi
あいかわらず面白い奴だな。
心理学じゃなくて認識論と社会学だろ。

>教義の後ろ楯となる自我に強度が無いので小さな挫折でニヒリズムに落ちいり
この辺は独自の解説が必要な部分だな。

>>389-395
に関しては今度は時間がかかっても投げ出さずに反論を書くようにするよ。

399 :実習生さん:04/02/02 00:38 ID:og/nSTex
別に社会学でもいいがフロイドのこれで十分でしょ。

集団と個人は共同幻想を介してつながっている。
集団を支えているのも、個人を支えているのも共同幻想である。
集団の共同幻想は、個人の私的幻想の共同化としてしか成立し得ず、
個人はその私的幻想を共同化することによってしか個人となり得ない。

本能に従うことがそのまま自己保存の方法でもあるような動物と違って、
人間は「現実原則に従う自我と快感原則に従うエスとの対立」
あるいは分裂状態にあるところにその根本的原因があります。
人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、
まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、自己や種族の保存どころか、
自己や種族の破滅に陥る(「人間は本能が壊れている」)ため、
むしろ、それ(快感原則に従うエス)を抑圧し、
環境との折り合いをつける、自己や種族を保存をするための
「自我」が形成される。この自我が「共同幻想」である。
この自我は通常、母親の自我をコピーすること(identification)
によって幼児期に形成される。
つまり、個人は人間社会という環境のなかにおける自己保存方法を、
(通常)母親から得、また、社会はその母親を通して、
共同社会保存方法として、個人が守るべき行動規約を
その母親(の持つ共同幻想)を通して生まれてくる個人に付与する。
こういうわけで、「自我すわなち共同幻想」が
個人にとっても共同体にとってもその存在を支える
重要なものとなるわけです。

400 :実習生さん:04/02/02 00:42 ID:Di8/XTSu
認識論の場合これでいいかな?

ヒュームは、自我などというものは、
それ自体実在する訳でなく、
さまざまな知覚なんかの束にすぎない。
あるいは知覚印象・観念の一過的な(その場限りの)
構成の結果(うたかたのようなもの)にすぎない
と言っています。
いろんな思いや感情や知覚や何かは、
様々にインプットされ、互いに関わり合い、
結び付き、あるいは分割されて、
いくつかはメモリーされ、いくつかは、
また別の思いや感情や知覚や何か関わり合い、
結び付き、あるいは分割されて……、といった「心のシステム」。

401 :実習生さん:04/02/02 07:45 ID:ECfhwfU4
なるほど
>>399-400
>>教義の後ろ楯となる自我に強度が無いので小さな挫折でニヒリズムに落ちいり
>この辺は独自の解説が必要な部分だな。
この回答ですね。

しかしその説明だと「小さな挫折でニヒリズムに落ちいる」事の説明には不十分だよ。
単に、欲望が優先され、倫理的あるいは道徳的傾向が備わりづらいとか、他人の言動に
流されやすいということを示唆しているだけです。

ところで、今更ですがこの説明だと>>114 の説を否定しているようなものですね。
つまり、初めに得る倫理観というものが刷り込みによるって事でしょう。
まあ、これはもう、どうでも良いですけど。

402 :実習生さん:04/02/02 07:46 ID:ECfhwfU4
>>396
例えば、ここに一つのリンゴがあるとしよう。
赤に対する色覚異常の人がそのリンゴを見たとき灰色に見えているのかも知れない。
だが、正常な人が見ればそれは赤に見える。

この違いは、人がその対象を見るとき、自己の肉体を媒介としてしかその対象を捉えることが
出来ない事による。
極端に言えば、私が赤と認識している色が他人にとって同じように見えているとは限らない。
ただ単に同じ対象に対して、赤という言語上の記号を与えているに過ぎないと考えることが
出来る訳です。

同様にして他人の教義というか、倫理的とか道徳的な規律のようなものを理解するためには
自分の生まれ持った資質と、育ってきた環境によって作り出されたフィルターを通してしか
物事を認識することが不可能なのです。
そのため
>人が今まで経験してきた事に照らし合わせて相対化するといった脆弱なもの
と書いたのでしょう。

>人が従うべき規範は歴史的空間的
というのは規範というものが他人との関わりのなかで生まれてくる、つまり空間による
という事と、その規範が時間を経て段々と形成されてきた、つまり歴史的ということ
なのでしょう。
ただ、だから武士道は役に立たないという事にどのように繋がるのかは判然としませんけどね。

403 :実習生さん:04/02/02 23:11 ID:4MD9ucj3
>>401
> なるほど
> >>399-400
> >>教義の後ろ楯となる自我に強度が無いので小さな挫折でニヒリズムに落ちいり
> >この辺は独自の解説が必要な部分だな。
> この回答ですね。

いや>>396へのレスだが・・・

>>402
>ただ、だから武士道は役に立たないという事にどのように繋がるのかは判然としませんけどね。
ベースとなる共同体が既に無いという話を以ままでして来たのですが・・・

所でこの人は武士道的にどうなんでしょうか?
青色LED訴訟、200億円支払い命令 東京地裁
http://www.asahi.com/national/update/0130/030.html

404 :実習生さん:04/02/03 00:46 ID:qz1mioTx
「セサミストリート」を例に出すが
番組では子供に、君は何がしたいのと聞ききます。
子供は僕はこれがしたいんだと答えます。
それがしたいんだったらみんなに言わなきゃ。言わなきゃ周りに伝わらないぞ。
つまり、周りが何を言っていてもしていても、自分がしたいことを必ずちゃんと言えること、
これが一番重要なことだというふうにどこの国でも教えられます。
これが主体性です。
日本では教えられません。

そして君はそれがしたいのか。でも、ひとりじゃできないぞ。
だれかに助けてもらわなきゃ。そのためには友達をつくらなきゃいけないな。
友達をつくるには、君、魅力的じゃなきゃだめだぞ。
さらに、友達がしてほしいことをしてあげれば、友達は君がしてほしいことをしてくれるぞ。
主体性の為に行う相互扶助。
社会あるいは社会性を媒介しないと本当は自分がしたいことさえできない、
自分の幸せさえやってこないという事が武士道の教義にあったでしょうか?
どうしても「己を殺す」というイメージが・・・

405 :実習生さん:04/02/03 01:45 ID:041t5F/H
別に江戸時代の武士に主体性が無いという話では無いのは解るよね。
当時の武士達が何をしたいかというのはある程度自明のものだったというのは
>>391を読めば解ると思う。
語るに及ばない次元の話だったのではないかという話。


406 :実習生さん:04/02/03 23:44 ID:vycAG00d
あんた>>147でとんでもないとこのリンクを参考になると言ってあげてるね(w
「機会のアノミー」のみで「目標のアノミー」に触れていない所で問題外だけど(w

福岡県「青少年アンビシャス運動HP」現代社会とアノミー(住田 正樹)
http://www.ambitious.pref.fukuoka.jp/chousa/kenkyuu/ken-21-3-6.htm

これは>>392もリンク先で論破されている。

407 :90:04/02/07 00:14 ID:JMkZQOLI
>---相手の立場にたって考える習慣だ---
これはコミュニティー・マナーでは?
相手の立場にたって考えるということは相手が理解可能な
同じ価値観、同じ思想を持っている人間であるという前提が必要です。
パブリックとは多様な価値観を持った共同体を超えた理解不能なもの同士のコミュニケーション空間で
互いに侵害しあわないで共生するための、ルールや想像力の領域のことを言います。

「セサミストリート」を例に出すが
番組では子供に、君は何がしたいのと聞ききます。
子供は僕はこれがしたいんだと答えます。
それがしたいんだったらみんなに言わなきゃ。言わなきゃ周りに伝わらないぞ。
つまり、周りが何を言っていてもしていても、自分がしたいことを必ずちゃんと言えること、
これが一番重要なことだというふうにどこの国でも教えられます。
これが主体性です。
日本では教えられません。

そして君はそれがしたいのか。でも、ひとりじゃできないぞ。
だれかに助けてもらわなきゃ。そのためには友達をつくらなきゃいけないな。
友達をつくるには、君、魅力的じゃなきゃだめだぞ。
さらに、友達がしてほしいことをしてあげれば、友達は君がしてほしいことをしてくれるぞ。
主体性の為に行う相互扶助。
社会あるいは社会性を媒介しないと本当は自分がしたいことさえできない、
自分の幸せさえやってこないという事を日本では教えていない。

408 :実習生さん:04/02/07 00:18 ID:vrPgrn0y
またご爆してしまった・・・

409 :実習生さん:04/02/26 19:42 ID:ZHP02e5s
内容が重複しています。以下、こちらでどうぞ。

●○反日教育統一スレッド Part3○●
http://school.2ch.net/test/read.cgi/edu/1060575738/



410 :実習生さん:04/02/29 12:53 ID:bUF7BJxG
武士道は反日ですか、そうですか。
>>釣り師さん

411 :実習生さん:04/03/05 20:23 ID:LlflwEdJ
【厨房の】スレ立て道を教育するべき【証】

412 :実習生さん:04/03/10 13:33 ID:kXSu4Igc
【「教育勅語」を教え続けた神父】神奈川栄光学園のグスタフ・フォス校長(神父)
は、戦後、GHQの中止警告にもかかわらず、生徒に「教育勅語」の講義を続けた。
フォス校長は、生徒に「これはカトリックの倫理綱領と同じです」「日本人としての生き方を示す根本原理が示されている」と説いた。(桐蔭横浜大学鵜川昇学長「教育基本法・改訂試論」日本の息吹・平成十二年九月号)




413 :実習生さん:04/03/17 00:14 ID:UVPqgczv
【【【【【武士道精神が日本をダメにする】】】】】
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/asia/1079141730/l50

414 :実習生さん:04/03/19 22:43 ID:PeHmf0L/
実際、やってみないとわからん

415 :実習生さん:04/03/20 12:11 ID:AP1Hl+5T
>>412
グッジョブ!


416 :実習生さん:04/04/18 12:12 ID:Ks6E3g0t
保守

417 :実習生さん:04/04/18 16:11 ID:ZEEdi77/
武士道の分かる奴がまだ日本に現存するのか?

418 :実習生さん:04/04/27 00:27 ID:IYyPHZJs
男の子は男の子らしく。投票をお願いします。
http://www.tanomi.com/metoo/naiyou.html?kid=39474

419 :実習生さん:04/04/29 12:52 ID:kzJiOfZw
>>418
子供を自分の思い通りにしたいという賛同者のエゴが醜いですね(w
道徳とは何の関係もないし。

420 :実習生さん:04/05/14 02:31 ID:fdR3/jtY
あまり同意できかねます。

421 :実習生さん:04/05/21 16:08 ID:fzTv5c91
>>419>>420
http://www.kirinpro.co.jp/boys/index.html
ならば、上記のアドレスに見られるようなファッションを小学生がすることが望ましいと思いますか。
茶髪をやめさせるのはしつけの一環だけれども、ハーフパンツをやめさせるのはエゴの押し付けなんですか。
ハーフパンツは本人たちが望んでいるなど理由になりません。
茶髪も本人たちが望んでいます。

422 :実習生さん:04/05/21 17:43 ID:izAAv0Vg
武士道を知りたければ宮本武蔵的な思想を習得させるのかな?ちなみに武蔵は個人主義です!個人主義は保守的な人は嫌うみたいですが そこをどう調整して都合よく武士道サイコー!と訴えるのですか?

423 :実習生さん:04/05/21 17:49 ID:izAAv0Vg
武士道教育=この世に自分は一人だけ!自分と向き合い自分を知る刀を持てば 常に立場は対等!まさにリベラル教育!アンチ共同体教育にはふさわしいから支持します!

424 :実習生さん:04/05/21 18:00 ID:izAAv0Vg
礼節教育的武士道とは徳川期に入り、徳川幕府に歯向かわないようにする為に儒学の要素を取り入れ利用しただけ。結局、幕末には腰抜け武士が多発。武蔵的武士道は、個を研く武士道。どちらの武士道教育が望ましいのですか?

425 :実習生さん:04/05/22 01:01 ID:TuNVjWeN
武士道ねぇ・・・。
都合が悪くなったらさっさと自殺しなさいとでも教えるつもりか?

426 :実習生さん:04/05/22 04:17 ID:LVWUEyZu
>>421
> http://www.kirinpro.co.jp/boys/index.html
> ならば、上記のアドレスに見られるようなファッションを小学生がすることが望ましいと思いますか。

何の問題もない。
何故茶髪がいけない?
消防からお洒落しとくとセンスが身について奇抜な格好をしなくなるよ。

427 :実習生さん:04/05/22 04:52 ID:L46Iuvq9
>>421
リンク先の子供達を良く見てみたけど・・・・
けしからんと思うなんて頭おかしいんじゃないの?

428 :実習生さん:04/05/22 06:27 ID:LtxtUewc
>>426>>427
勝手にしなさい。

429 :実習生さん:04/05/22 08:27 ID:WXmHPNoT
武士道を教えたら、受験用の科目になるヨカーン。
成績に関係ないなら、だれも真面目にやらないヨカーン。

でも、武士道は、なくならないで欲しい日本男児の哲学。

430 :実習生さん:04/05/22 09:29 ID:sc+fFjWH
男はいつも一人。個人主義教育だよ。ハードボイルド。あと子供は芸能人やスポーツ選手になることで 大きな理想(夢)を持ち、かえって非行やヒキをふせいだりする。そのきっかけがお洒落だったりやスポーツだったり健全だよ

431 :実習生さん:04/05/22 10:08 ID:kq6RceJZ
広島県廃止運動!

広島は極左によって教育が支配されている歪んだ県だ。現状を打破するためには広島県を廃止して国家直轄地とするのがもっともよい。広島県内のすべての公立学校は国立化し、文部科学省の直轄とする。そうすれば特定のイデオロギーに染まった団体が入り込む余地はない。

いまこそ広島県を廃止しよう!

432 :実習生さん:04/05/22 10:14 ID:sc+fFjWH
思春期は、お洒落に関心を持っても健全だよ下手に抑圧して無趣味や無関心にさせると、非行化になる。目的意識の無い子や無趣味の子は、非行に走ったりする「側面」があることを認識してほしい。お洒落=非行と思い込むのは、スキゾかパラノか?

433 :実習生さん:04/05/22 14:08 ID:+hzrOomX
広島県教組は、今時珍しい新社会党支持。
解同書記長の小森龍邦の地元でもあるが、小選挙区では亀井静香に勝てるわけがない。

434 :実習生さん:04/05/23 00:30 ID:Lm9OyMoS
みんな茶髪で、のびてきてプリン頭にしてるのをみると、
染める気にならない。
もともとの髪の色でまったく問題ない。染めたいとも思わない。
茶髪が多いならあえて黒髪で通したい。
http://www.genki-life.net/kami/maga/maga20.html
http://www2f.biglobe.ne.jp/~sf-toshi/reason.htm
http://www.genki-life.net/kami/merumaga.html
http://www.genki-life.net/kami/man/hisi.html
http://www1.odn.ne.jp/~can33750/ikumou/box/maga2-1.html
http://www.genki-life.net/kami/abunai.html
http://www.genki-life.net/kami/maga/maga5.html
http://shounika.owlet.org/fukurou2003/03-04.htm
http://www.global-clean.com/html/gan-zyosouzai_04.html
あと、ここ数年見かける茶髪小学生≠中学生
は、まともな家の子なら、させてないと私も思う

435 :実習生さん:04/05/23 00:31 ID:Lm9OyMoS
髪染め剤には身体に悪い成分が使われています。もし長年使い続けると
髪にものすごいダメージを与え最悪毛根が抜けて毛が生えてこなくなります。

それとイメージ的にも他人はいい印象で決して見ていません。つまり髪を染めている人が
善人でも悪人というイメージになってしまいます。

ましてや頭皮がデリケートで新陳代謝が活発な
成長期の小さい子が髪を染めること自体絶対にしてはいけない行為です。
これから身体はどんどん悪くなってきます。下手をすれば30代前半で
ハゲになってしまいます。いくら育毛剤を使っても毛根が死んでいるので
二度と生えてきません。

悪いことは言いません、髪を染める(させる)のは即刻中止してください。

>特に男性は禿げるよ


436 :実習生さん:04/05/23 00:32 ID:Lm9OyMoS
[1]まさ 04/05/22 0:02 L441buplN0w
俺は最近染めるの止めた。
禿げると老けて見える
俺の親父は56
まだ禿げてないし
髪は20代の頃のままでずっと黒々もっさりしている
自分も30年後に
そうでありたいのだが…

渋い柄のカジュアルに
あわせて髪を同じような色に染めると
ダンディに見える

禿げて、さらに環境ホルモンの影響で
子供ほしくてセックスしても、
子供が出来なくなるくらいなら
黒髪のままでいたいが…
しかし、俺も、10年ぶりに短髪にしたら
前の生え際からM型禿が進行している…
もっとつらいよ…



437 :実習生さん:04/05/23 00:36 ID:Lm9OyMoS
個人主義が行き着く先は教育・税金という以前に社会自体の崩壊。
だから、社会では良識を持って行動できるようにしなければいけない。
そのため、節度ある身なりをする訓練は必要。
特にいろんな生徒がいる、公立の小・中学とかは…
アメリカでは、
ストリーターで見境なく少年カラーギャング団の抗争が学校内部でも発生し、
米のカラーギャング団の抗争は少年少女といえど
売春したり893に殴られて死者などでますから深刻です。
染髪・脱色禁止の違反者は、
「初犯で停学、再犯で除籍」にする程度の処分は必要。


438 :実習生さん:04/05/23 00:42 ID:Lm9OyMoS
ヘアーカラー農薬より強い劇毒物。

妊娠中に毛染めをやって、奇形児が生まれた例もあります。

アレルギー性の強い薬品です。

ようこんな物を頭に掛けて喜んでいるなー

美容師さんは自分達の髪で毛染めの練習をするんだけど、

毛染めをしすぎ
て、脱毛が進んだり
気分が悪くなり、寝込む事もあるらしい。
最近は鬘でやるのが多くなっている



439 :実習生さん:04/05/23 01:48 ID:bZFC8xB2
>>437
思春期ならおしゃれがしたくて健全、という意見が間違っているとは思いません。
しかし、小学生以下の男子がストリーターの真似事をするのは即刻やめさせるべきです。
私が反対しているのは、実際の年齢よりも大きく強く見せようとするおしゃれです。
イトーヨーカドーのバイヤー頭が、「デニム半ズボンにブランドハイソックスは要人に献花するときに着るほど決まりすぎの衣装だった」と述べていました。
それが今では、リサイクルショップからも、「いかにブランド品であれ、股下まで切れ込んだ半ズボンはお断り」と言われています。
半ズボンはヨーロッパの上流階級の子弟が編み出した高級な子ども服が辱められ、なぜアメリカ黒人の遊び着がもてはやされるのでしょうか。

440 :実習生さん:04/05/23 08:21 ID:GeXKl9x6
無害のエクステ付け毛茶髪かヘアーマニュキュアで脱色してるよねすすんでる小学生は。

441 :実習生さん:04/05/23 10:05 ID:GeXKl9x6
また そういう黒人差別的なことをいう・・・。あと新社会党ってまだあったんだ(苦笑)お遊び諸派政党化してるんじゃないの? あと、ヘアーカラーとヘアーマニュキアは違よ。後者は強烈アンモニアを使用しないよ

442 :実習生さん:04/05/23 13:48 ID:5J09AVPy
新社会党も地方議会にはいるよ。
東大阪市議選で、新社会党大阪府本部委員長が最下位近くでやっとこさ当選した。

443 :実習生さん:04/05/23 20:36 ID:GXiyzqqr
染髪が一気に増えだしたのはモラル崩壊の現れでしょう。

今時とか時代とかいう奴は、戦争しない奴を非国民と言い出すタイプです。
時代に関係なく人間としてどうかと思うことでも、時代に流されて見失うやつなのです。

ムキにならずに生暖かく見守りましょう。日本人は時代に流されやすく
流行ればそれに乗っかるタイプがほとんど。


444 :実習生さん:04/05/23 20:39 ID:GXiyzqqr
私はいわゆる進学校と呼ばれる学校にいってます。うちの学校ではもちろん染めることは、ゆるされていません。
私の学年で見ている限り今、染めている人はいない。。。周りの学校では、たくさんいますが、、、
本当に≪おしゃれ≫に興味がある人っていうのは、きめられたルールの中で、十分おしゃれをしてるし、
「あっ、かっこいいなぁ」とも思う。私からみれば、ルールをまもらず染めている人は、寂しいのでは!?
と思う。注意されたいんぢゃない???誰かにきにとめてほしいんじゃないかな?


445 :実習生さん:04/05/23 20:40 ID:GXiyzqqr
あと、若いときに髪染めるといけんよ。
もともと染髪料は有害なんだから。
若いときには体がとりあえず成長するために
なんでも吸収しとけって感じだから
染めるときに染髪料まで吸収しちゃって、
体に悪いから。
5歳で初潮がきちゃった子も
いるらしいし。
きをつけなよ。

446 :実習生さん:04/05/23 20:41 ID:GXiyzqqr
[25]q 04/05/19 20:08 6j9QBUsm8VL
俺は最近染めるの止めて、黒に返している。
もう染めるのが流行なんて陳腐化している。

所詮猿真似と横並びが大好きな
島国根性日本人の世界への(特に欧米への)恥さらし。

近年の方がかえって個性ないような気がする。
不況と失われた10年、フリーターや
親離れしにくいでみんなやる気失せる売国政権の
影響が大きいと思うが…一体この国はどうなってしまったんだろうか?

[19]ハチ 04/05/18 18:04 ZfI1r9p4yvj
最近はヤンキー猿真似軍団と一般人の線引きが曖昧。
これが一番困る。
なんか「弱そう」だと損をする、みたいな価値観が
日本中に蔓延していて、無意味に虚勢を張ろうとする奴多すぎ。
無駄に刺々しい。無駄に他人に対して不遜な態度。
そのくせ仲間内ではキモいくらい慣れあう。
ストリートカルチャーが渋谷と日本のマスゴミ・メディアを
制圧した90年代初頭ころから
こういう傾向が強まってきたように思う。
元気ないぞ。日本人のこころ。
逆に個人主義が蔓延し、自我と個性の区別がつきにくいような教育が普及しはじめてからのほうが
「自分でふさわしい行動を考える」ような機会が
少なくなってきた気がするなぁ・・。


447 :実習生さん:04/05/23 20:50 ID:GXiyzqqr
我慢を覚える時期は必要だと思うね。

制服反対みたいな考えも悪くは無いが、自己主張ばかりでは、かえって無駄な努力をすることにもなりかねない。

所詮学校のルールなんて、大した意味はなさそうだけれど、
それをルールとして守れる人間なら、社会に出てもルールを尊重できるだろう。

さて、茶髪禁止なんて簡単なことだろ。難しいのかな。
茶髪は自己主張なのかな?違うだろ単なる「おしゃれ」だろ。

では、学生はおしゃれはいけないのか?
おしゃれじゃないだろ。結局「外面を気にしている」だけだろ。

学生としての内面を重視して外面を気にするなと叫びたいなら、
最低限の整髪をすればそれでよいはずだが、違っているか?
自己主張をするなら、内面で勝負すればよいと思うが、違っているか?
数日前に美容院へ行った。
美容師さんとの会話の中で私の白髪の話から髪染の話しになり
子供や中高生の染髪の話しも出たのだけど、
染髪はかなりダメージがあるから
薄くなる家系の子があまり若いうちからやってると
親の年代より10年くらい早く薄くなり始めるだろうって。
子供を若ハゲにしたい親や
そうなってもいい中高生は好きなだけ染めればいいんでない。
年に関係なくお洒落に染めて可愛いとか素敵に見え人も多いけど、
染髪がそんなに珍しくない今黒髪の方が個性的に見えるな。




448 :実習生さん:04/05/23 20:54 ID:GXiyzqqr
最近、幼児・児童の染髪脱色をしたりして
「天然でない去勢加工の」
アカ髪・金髪にした親御さんがでてきているけど
子供が将来若ハゲになったら・・・
って心配したりしないのでしょうか?
もしも自分が物心つかないうちに、親の勝手で染髪されて、
髪や地肌がボロボロになったりしたら
成長してからかなり恨むと思うのですが。

アメリカじゃ制服の規定を緩くしたり、私服に
したことで学校がストリートみたいな状態になって、
学校の規律の力が薄れ、生徒は権威に対する尊敬を忘れて
刹那主義に走るようになった。
詳しいことは「ゆとり教育が国を滅ぼす」/小堀桂一郎編著
をどうぞ。
教師も投げやりになって
不祥事に走りやすくなった

449 :実習生さん:04/05/23 20:58 ID:GXiyzqqr
校則などは20年前の自分の時代と比べると
ずっと自由だし、話し方、服装などもずっと自由だと思います。
でもそれは真の自由ではなくただ秩序が乱れただけの事。
無責任な自由は存在しない。
束縛されないという事には責任が伴うのだという
認識のない子供達にこれ以上自由を与えるのまちがい。
あと、自由不自由の前に、「放任主義」なんだと思う。
今や、共稼ぎでゼロ歳児から保育園に預け、
今や高校を卒業するまで家族揃って食事もとらないような
家庭もあるし、離婚、不倫と家族が一定しない。
親が自分勝手なのでどうしようもない。


「束縛されている」という思いに、「束縛されてはいけない」。

「不自由=束縛」ではない。
「自由=非束縛」でもない。

「不自由」を知ることが、「自由」を知ること。


450 :実習生さん:04/05/23 20:59 ID:GXiyzqqr
つーかマスゴミに踊らされてるだけでしょ。
髪なんざ染めなくても個性は出る。

個性だの自由だのを求める、口先だけのガキが多いね。小中学生に。
高校は自分で好きなところを選べば良い。
勿論、自由に対する対価として、
授業を受ける責任感
環境のよさや態度など、何かかんかの犠牲を払うんだろうけど。


451 :実習生さん:04/05/23 22:33 ID:GeXKl9x6
なんで 髪ごときにムキになってんだろう?自演までして・・・。どうでもいいお洒落に対して「ダメだ!」ってムキになるほうが、茶髪してる子に踊らされてるように思うけど

452 :実習生さん:04/05/23 23:12 ID:GXiyzqqr
>>451
躍らされていない。
早いうちからそんなことさせている親がDQNなだけ。
金銭感覚の麻痺や、繁華街でヤンキーに絡まれたり
する原因。


453 :実習生さん:04/05/23 23:14 ID:GXiyzqqr
[23]Q 04/05/22 18:34 Uy1WUCplN0w
こんどの平井卓也代議士は、地元大手の「四国新聞」の社主。だれよりも報道の自由を守るべき
立場にありながら、他誌の報道を闇に葬ろうとした卑劣な行為は、断じて許しがたい。
 平井卓也代議士が、若くして当選できたのは世襲政治家であったことと、自分が経営する四国新聞を不当に
フル利用したからだとカンぐる人も多い。
 県内の有権者は保守派が多く、世襲議員を出したがる傾向が強い。平井卓也議員は、祖父・太郎氏、
父・卓志氏に次いで三世になる。週刊文春が二世議員としているが、これは間違いである。
 また、平井代議士が発行する新聞は、県内においては朝日、読売、毎日、産経などを押えて最高部数を
誇っているから、その影響力が大きい。
 しかしながら、今度の事件で平井卓也代議士の人気にかげりが出たし、四国新聞の信用度も落ちたので
あるまいか。


454 :実習生さん:04/05/23 23:16 ID:GXiyzqqr

 週刊文春の記事の大要
 週刊文春九月十一日号が入手できず、読めなかった大勢の人のために、同誌に掲載された「慶応高校生
恐喝で退学になった自民党有力二世議員の息子」と題する記事について、その内容を紹介してみよう。
 以前、早大生が美人局事件を起こして話題になったけれど、実は慶応でも同じようなことをやっていた
グループがあるらしい。それも大学でなく、慶応義塾高校。
 その中の一人が、今年の春以降、校内で大掛かりな恐喝事件を起こし、退学になっている。そいつは
幼稚舎上がりの、ある国会議員の息子だ」。
 この問題の事情を知る塾高校生が語る。
 「あいつは落生≠ニ呼ばれる留年した生徒が集まっている十人ぐらいのグループにいた。あいつは
ピアスをつけていた。入学した時は金髪だったとか。もともと素行はよくなかった。女友達も多かったようだ」。
 別の塾高生も語る。
 「今年の五月か、六月ころのこと。あいつが二年生を脅かして金を要求した。その二年生が、今度は
一年生に同じ事をやった。これが学校にバレて、そこから芋づる式にあいつの存在が発覚し、あいつは
最終的に自主退学扱いになったようだ」。


455 :実習生さん:04/05/23 23:18 ID:GXiyzqqr

[24]Q 04/05/22 18:38 Uy1WUCplN0w
http://www.shikoku-times.com/html/BACKno/h15-10/h15-10.html
 六月には学年ごとの集会が開かれ、校長先生から風紀の乱れを注意する話もあったという。
 記者が、慶応義塾高校に事件確認を求めたところ「個人に関する情報については答えられない」という
回答が返ってきた。
 名門を誇る慶応義塾もこの事件のために大荒れに荒れていたのは確かなようである。
 その手口について聞いてみると、実際に恐喝を受けたという生徒は
 「あいつのグループにちょっとしたことで因縁をつけられた。トイレに連れ込まれ、血が出るまでポコポコに
殴られたあと、食堂の裏に引きすえられ、あいつが『キャッシュあるのか』と聞いてきたが、黙っていると
腕にタバコの火を押し付けてきた。 結局十万円近いカネを要求せられ、持っていった」
と語った。
 高校生ながら、暴力団まがいの暴力行為と恐喝をやっていたのである。末恐ろしい子供ではないか。
 こんな子供が成長し、父の後を継いで、四世議員にもなりかねない。もっとも父親の卓也代議士を
よく知る人から聞けば、父親を見習っているのではないかということも聞く。さて、香川県民は四世議員を
誕生させるのかどうか見物である。



456 :実習生さん:04/05/24 00:07 ID:Mt5OvP22
今や親も子もDQNだらけ。
学校に行きたくなるような面白い授業をする先生や威厳のある先生が居ない。
生徒が外で揉め事を起せば親が呼び出しをくらい、親も一緒に説教する生活指導が出来ない。
生活指導させてくれない。そもそも親の態度が子供以下。

目先のリスクが怖くて仕方ない。万が一が怖くて仕方ない。
不祥事が起ると謝らずに隠す。
隠せば隠すほどリスクが高くなると知っているにも関わらず現実逃避。
そして責任の擦り付けあい。
明らかに〜のせいだろうと、言う事でも
メディアなどに規制をさせるよう責任転換。
まるで、石に躓けば「そこに石があることが悪い」と言うように・・・。

と、こう言うことですね。

結局、当事者の意識改革が一番重要。


457 :実習生さん:04/05/24 01:08 ID:kXv9/sfE
男の子は男の子らしく。再び投票をお願いします。
http://www.tanomi.com/metoo/naiyou.html?kid=39474
80年代後半までの6年生担任の小学校教員は、「下級生が真似をするから半ズボンを履け」と指導したものです。
それが今や、「学校もファッションを取り入れなければ」「児童・生徒の要望が強い」と体操着までを動きにくいハーフパンツに改める学校が多数派を占めています。
学校は商業ベースには無縁である、校則には口出しさせない、といった毅然とした姿勢が今の学校にはありません。

私は、おしゃれを全面否定しているわけではありません。
ただ、まだ思春期にも達していない小学生以下の男子に実際の年齢より大きく強く見せるおしゃれには反対するといっているのです。
半ズボンがおしゃれでないなどと言うことはありません。
今から15年ほど前、デニム半ズボンにブランドハイソックスがはやりましたが、衣料業者によれば「あれは決まりすぎ。要人に献花するときの服装だ」と述べています。
「股下まで切れ込んだ半ズボンは、いくらブランド品であれ一切買い取らない」というリサイクルショップがあると、なぜ半ズボンではいけないのか尋ねてみたくなります。

458 :実習生さん:04/05/24 03:11 ID:Mt5OvP22
>>443>>444
問題なのは、入学式や始業式など重要儀式のとき
にはまともな格好で行って、それ以降の授業時に校風や
学校や地域の暗黙の規制を無視した格好をする(させる)ことではなかろうか。


459 :実習生さん:04/05/24 10:39 ID:W9A+zjPT
・エリート教育が必要な理由=「官僚・財界エリートに対する市民エリートを育成する」
・「機会の平等」だけでなく、やる気のある貧乏人にも同じような教育を受けることができるようにする「機会の再配分」
・今の教育に必要なのは動機付け教育と能力別選択カリキュラム制
・「機会の平等」を否定して、金持ちしか東大に行けないようにして格差を拡大したのはバカ左翼
特に3番目の能力別選択カリキュラム制は「試行錯誤・自己選択を認める」という意味ではいいと思います。


460 :実習生さん:04/05/29 20:02 ID:6Kd1E5uV
「資源独占の恐れ」日中境界海域にガス採掘施設、欧米企業も参加−中国

東シナ海で調査活動を続けてきた中国が、日中中間線ぎりぎりの中国
側海域で、天然ガスを採掘するための施設建設に着手したことが二十
七日、航空機からの本紙調査で確認された。

資源が日本側にまたがれば埋蔵割合に応じて配分を中国側に求める
ことができるが、日本側に具体的な資料はなく、中国側が独占する可能
性が大きい。
採掘には米国と英国・オランダの石油企業が一社ずつ加わっており、日中
間の新たな懸案に発展する恐れがある。 

(以下略)

http://www.tokyo-np.co.jp/00/kei/20040528/mng_____kei_____004.shtml


461 :実習生さん:04/05/30 08:35 ID:eU2I6LbT
>>448
私も23歳ですので千葉県の酒々井のある高校時代のことは
よく分かっています

462 :実習生さん:04/05/30 21:20 ID:DeWZI30H
278 名前: 日出づる処の名無し 投稿日: 04/05/24 06:10 ID:tcfyqHXt
軍人勅諭に「朕は汝等軍人の大元帥なるぞ」といい、
だから今後は朕が親ら兵馬の権を取る、
そうして「再び中世以降の如き失態なからんことを望むなり」とあります。
「軍人勅諭」によれば、武家政治は中世以来七百年の"失態"なのです。
大元帥陛下として天皇が兵馬の大権を取って、その上に明治国家が築かれる。
だから、「武士」のエートスと「軍人勅諭」を基礎とする
近代日本の――文武"官僚制"の一翼をになう――軍人精神とは非連続なのです。
後者の、国家による武装の立場から批判すれば、
「自己武装」の原則に立った武士の存在は、七百年にわたる「失態」にほかなりません。
のっぺらぼうの「武士道」の連続的伝統を説く論者は、新渡戸稲造から三島由紀夫まで、
その辺をまったく混同しているように思われます。

丸山真男「「文明論之概略」を読む」より

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